育むひとら

当たり前のことだけど、混同されがちなので一応言っておくと【モテる】のと【愛される】のは違う。ふたつは違う才能である。

どんなにモテようが愛されない人もいるし、どんなに愛されててもモテてる訳ではない人もいる。
驚くことに世の中には、どちらの才覚も手にしている恋愛師範代みたいな人もいるし、酷なことにどちらの才覚も持たない恋愛プータローもいる。因業なことです。


誰が言ったか定かじゃないけどこの世には『どんな人でも人生に三度モテ期が来る』という金言がある。大変に希望溢れる言葉である。生きる活力を呉れるよね。最高。ビバなんですけど。今がどんなに駄目だってモテ期が来たら挽回さ。どんなにモテなかろうが今を堪え忍んで未来に乾杯ッおっひょひょい!と思わせてくれるようなとっても素敵な言葉である。
しかし。
36歳の秋になってもこれまで1度もモテ期が来てない僕には当然モテの才覚はないでしょうアッアーッ、アア、ハッフーンンとっても残念だぜッ!言った奴出てこいッッ!

と、まあ、そう憤ってみても詮ないことなのでもうひとつの方に期待してみても、どうやら僕には愛される才覚もなさそうだ。

個人的な感想なのだけど、お笑いをやっていた頃に常々思っていた事があって、モテる才覚を持つ奴はやはりファンが多い。
そして、愛される才覚を持っている奴は先輩後輩から好かれているというか、仲間が多い。
僕なんかはスーパーカミオカンデじゃないと観測出来ないと言われるくらいにファンが少なかったし、数少ない慕ってた先輩の内ふたりも犯罪者になっちゃったし、後輩からは名スラッガーだと思われているのだろうか、敬遠されてばっかりだった。


では吉本純ことYJは愛に見放された人間なのか。神が戯れに作った人間を模した贋作なのか。違う。僕には【愛する】才覚があると思う。









さ、これは『可愛いひと』から『愛しいひと』と計10回続けた惚気ブログの続編です。
ハッキリ言って惚気話しは山程ある。日にひとつふたつ生まれる。それをいちいち記していたのでは埒が開かぬので、愛が育まれたと感じた時に記していきたいと思っていたのだけれど、この度お付き合いをはじめて2ヶ月が経ちましたこと、ここに報告致します。

付き合いたてのひと月でなんと30日のうち20日も会っていたと以前記したけれど、ふた月めの30日は数えてみるとなんと23日も会っていた。これは驚異である。
一般的な社会人の清い交際ならば週に1度の逢瀬、なんなら二週に1度なんてのもザラである。
大雑把に月に5回会うのが一般的な社会人の交際とするならば、なんと僕と彼女の二ヶ月は八ヶ月分に相当するのである。学生かよ!思春期かよ!青春かよ!と外野がやいのやいの騒ぐ声が聞こえてきそうだ。


この一ヶ月でますます仲が深まった模様。ほんとピッタリきてる。ふたりはピッタリきてる。
たくさんふたりで自炊をしたし、たくさんの美味しいカレーを外食した。愛とは突き詰めると『食べる』ことであると愚考する。一緒に食事をするというのは無条件で愛を育む行為であると思ふ。
映画に展覧会に紅葉狩り、街をぶらぶら歩いたりショッピングと色々デートをしたし、今週末は浅草寺をひやかして仲見世通りでまんじゅうなどを頬張りつつ水上バスに乗ってお台場に行って浜辺をプラーしたり夜は観覧車に乗ってみたりしようかなとか思って、わ、わわわ!キャ、キャキャキャ、文字に起こしているだけで楽しみなんですけどッ!高まるンですけどッギョワギョワ!キキキィキィうふふ。
そうそう年末に旅行することになって先日、宿の予約も完了したウハー。


ふたりのLINEに、お食事(おうち)・お食事(おそと)・おでかけと3つのアルバムがあり、日々写真が増えていくことに無上の喜びを感じる。






具体的にこのひと月で変わったことと言えば、僕がタイ料理屋さんで働きはじめたことだろうか。
予てより飲食店で働きたいと思っていたところ天恵により、タイ料理屋さんで働くことに相成った。単なるアルバイトだけど、飲食業はやりたいことなのでやりがいがあるし楽しい。これについてはこのブログではなくてまた別のブログにちゃんと書こう。
都営三田線の芝公園駅から徒歩2分のところにある『タイ国専門食堂』みんな是ッ非来てね!




彼女は相変わらずよく笑う女性でとても気持ちの良い人だ。
たまに、この世の全てを怨みます。四面楚歌だし逆四面楚歌。喜びも悲しみも十の昔に消え失せました。みたいな表情の女性を街中で見かけることがありますが、なぜ最高のベースメイクは笑顔だと気付かないのか。と僕は常々思っています。
美醜に関わらず笑顔こそが人を最高に輝かせるのに、何をしかめっ面をして世を儚んでいるのか。
その点、彼女はよく笑ってくれるので僕も調子に乗って冗句が止まらない。
たまに、というかまあまあな頻度であるんだけど、自分でも、うっわ面白くない言動をしてしまった!と思う瞬間があるのだけど、彼女はけらけらと笑っている。これは要注意である。
彼女が笑っていれば万事OKなんだけど、面白いか面白くないかの判断は自分でするものでしょう。時折ズバッと面白いことが言えた時に、あんまり伝わってない時もあり精進せねばならないねえと反省する。


このひと月で彼女が変わったことといえば、変わったというか元来そうだったのかもしれないし、僕が盆暗故に気付かなかっただけかもしれないけれど、彼女がどんどん色っぽくなっていく。色気が凄い。soセクシー。有り体に言えばエロい。そう、エロいのである。
これはこんなに最高なことはない訳で、もともとめろめろだったのに僕はますます彼女にめろめろになるしかないのである。


彼女の家に通ってばかりだけど最近は我が家に泊まるcaseも出てきた。
というのも、彼女の家はお洒落空間なので、人間の惰性の目盛りをマキシマムにしてしまうような家具はない。つまり炬燵という魔具がない。その点我が家には丸くておっきな炬燵があるのでぬっくぬくである。炬燵でハーゲンダッツを食すといった人間が実現可能な贅の頂なんかも堪能出来るのである。さらに我が家の冬布団は炬燵よりもさらにぬっくぬくで人間性を溶かす。小説『山椒魚』の岩屋もかくやというような入ったきり出たくなくなるような温さがある。これに彼女はめろめろである。


このように互いにめろめろなのである。にゃろめである。あと彼女は僕が自分でも引くような言動をしても引かない。
一例をあげると、床に抜け落ちた彼女の毛を発見して、拾いながら「これ保存しておいて、あとで指に巻いてハムみたいにして食む食むして出汁ができったのち食べよう。お蕎麦のように」と呟くと、とっても嬉しそうに微笑んでいる。髪の毛を歯間ブラシとして使うと宣言した時も嬉しそうにしていた。変態である。

他にも、僕の部屋に彼女が着た部屋着を置いていくというので、香りをすんすんしながら「会えない日はコレを嗅ぎながら自慰行為に耽る。ecstasyの瞬間に全裸になってこの部屋着を着てピチピチに締めつけてもらう。だから洗濯しない」と試しに宣言してみると、彼女は「私も家で脱いでった純の服嗅いでる」とニッコリ。昂奮した。


最近の彼女の口癖は眠る前に独り言のように「今日も好きだったなァ」ということである。
それともうひとつ口癖があって、おもむろに、ハァーッ!!と糞デカため息をついたあと「…好きすぎる」とポツリと呟くのである。怒っているのか睦言なのか謎だ。



僕は【愛する】才覚しか持ち合わせていないと言ったけど、おそらく彼女も【愛する】才覚しか持ってない人なのではないだろうか?と推察する。つまり僕らは文字通り「愛し合っている」状態なのである。
この【愛する】というのはどういうことかと言うと、やはり相手の喜ぶ顔がみたいという一心である。ちょっと違うけど自己犠牲の精神というか。僕は恋人のことを全力で愛する。流行の言い回しをするならば全集中で愛する。他の一切はどうでもよいのである。ハッキリ言って一歩間違えたらストーカーですかね。互いにそういう状態なのでイッヤーまあ、これは幸ですよ。そんでもって悦ですよ。幸悦(サチエツ)ですよ。


この駄文をここまで読んだ方ならお気づきだろうけど、そう、バカップルぶりに磨きがかかっている。そのうちふたりとも思考停止状態になり互いに愛で合う為だけに生命活動をする謎の生物になってしまう。ホラーである。


例えば先日を振り返っても酷い怠慢ぶりであった。赤面ものである。


彼女は土日休みなんだけど、会社の方針で有給というか、ときおり平日に休みをもらえたりする。
その日は平日なんだけどお休みで、前日の夜から会って朝、ふたりにしては9時頃と早めの朝食をとって映画でも見に行こうかと話していた。
テアトルシネマグループの会員である我々は火、金は映画1100円で見られるので、どこの映画館でみよーかーとか何の映画みよーかーとか話し合って前日にコレ見ようと決定していたのに、朝食後、まだ眠かったのか彼女がゴロゴロしだして、準備しないの?と問いかけても「ねむいー」「ゴロゴロしたいー」と布団から出てこない。「映画いかないの?」と問いかけても「映画もみたいー。でもゴロゴロもしたいー」と駄々をこね、気づいたら僕も眠ってしまい亭午。
もう映画館はいっかあみたいなテンションになり、どっか洒落たカフェーでも入ろうぜとだらだら近所を寝癖頭で散歩。もう彼女の家の周辺は歩き尽くしたので、気怠い散歩の割には遠出してぷらぷらしてたら気づけば東中野の方まで歩いてきていて、腹が減ったのでそうめん屋さんで飯。
ここは以前、田邊さんに連れてきてもらったところで大変美味な店だった。今回も大変美味だった。そこで15時過ぎくらい。
彼女は生ネギと海老とか蟹とか貝とかの魚介系とキノコ類が苦手なんだけど、彼女のオーダーしたものには全部入ってて笑った。それでも美味しく頂けるくらいに美味しかったみたいなので良かった。
関係ないけど、彼女は海老を憎んでいるのに海老の天ぷらと海老フライは好きとかいうふざけた好みで、こんな御都合主義も中々ない。


そのあと商店街をぷらぷらしてたら、肉屋かなんかの居抜きで出店したと思われる外国人がやっているフランス料理屋さんがあって、店先のショーケースにキッシュやら何やら家庭的なフランス料理が並んでいた。
野苺のタルトなんてものに目が釘付けになりコレを購入。定価のと見切り品だろうか半額のものがあり、半額のものを購入して、さらに半額のさくらんぼのタルトも購入。
これを路上で互いにあーんさせながらたらたら歩いているのである。平日の昼間に。30過ぎのカップルが。イチャイチャが止まらない。下校途中の中学生に呆れてものも言えませんといった視線を寄越された。

どこかカフェーに入ろうと家を出たのに、タルトが美味しくて満足してしまい、コンビニで珈琲を買って家路に。そもそも映画館に行こうとしていた訳で、予定していたことが何も出来なかったのに何だか凄く楽しい。まるで駄目人間のような1日だった。
しかしこのダラけきった1日は、ふたりの関係が次のstageに進んだことの証左ではないだろうかと思うのです。育まれた。愛が育まれたと感じたのです僕は。



毎月18日が付き合った月記念品なので、今月も手紙を書いて渡した。また、はじめて手紙をもらった人かのように喜んでくれた。けど、やはり手渡した瞬間に全ての活動を停止して読み始めるのは気恥ずかしいものがありますね。



気恥ずかしいといえば、実はこのnoteすらも彼女は読んでいるのである。ハハハ!読んでいるのである。どうだ怖いだろ。さらに怖い話をすれば、僕の母親も読んでいるのである。ハハハ!どうだ怖いだろ!
この前ひさびさに実家に帰ったら、彼女できたよと言ってもいないし、何か別の会話をしていたのに脈絡もなく「で、彼女の写真を見せなさいよ」と母親に言われた。恐ろしいことです。



まあ、こんな感じで仲良くやっています。
大好きエヘヘ。この文章を読んで嘔吐が止まらなくなってしまった方がいてもそこは自己責任でお願いします。

それではアデューアデュー、また会う日まで。イェイ。

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