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タイの学生による反政府デモについて

タイについて

・人口は日本の半分ほど。国土は日本の1.5倍程度
・首都バンコク付近は発展しているが、北部と北東部は取り残されている
・就業者の4割は農業だが、GDPの12%にとどまる。製造業就業者は15%だが、GDPの34%、輸出額の9割を占める
・1%の富裕層が富の66.9%を占有する世界最悪の格差国家
・80年代後半以降、円高を背景に日本企業が進出。トヨタやホンダの工場もある。在住日本人は7万人

1973年~2000年

戦後は軍政が続いていたが、1973年の学生運動により民政に移行。それからは、軍政と民政の間を行ったり来たりする状態だった。
この間、国王がバランサーとして積極的に関わる。例えば軍がクーデターを起こしたとしても、国王に伺いをたてて承認をもらわないと、正当性を維持できない。国王がデモの指導者と軍の司令官を呼び出し、調停を図って対立を終わらせたこともある。
これができるのは、プミポン国王の持つ個人的なカリスマによる。プミポン国王即位時には王室の権威は有名無実化していたが、軍政がその権威を復活して利用しようと図る。プミポン国王はそれに協調、地方への行幸を繰り返して民衆の話を聞き、王室プロジェクトによって農村のインフラ整備や農業開発を行うことで、民衆を気にかける徳の高い統治者としてのイメージを作り上げた。プミポン国王の肖像画は街のいたるところに掲げてある。京都のタイ料理屋ですら掲げてあったりする。プミポン国王はこうして民衆に尊敬され、軍と民衆を超越した立場で利害を調節できたわけだ。

経済成長と格差

外国からの投資により、80年代にタイは経済成長するが、それが深刻な格差をもたらす。バンコク付近には富が集まるが、地方は取り残される。都市でも貧富の差が拡大。人口800万人のバンコクには2000のスラムがあり、200万人がそこに住む。
その階級社会の頂点に立つのが王室だ。バンコクの一等地などに莫大な土地資産を持つほか、財閥大手のサイアム・セメント・グループや有力銀行のサイアム商業銀行などの関連企業をかかえる。資産は推定350億ドルで、世界一豊かな王族だ。

2001年~2013年

2001年にタクシンが首相になる。タクシンはIT企業で成功した大富豪。30バーツ(100円程度)で医療を受けられる制度等、農村住民や貧困層が直接利益を享受する政策で、圧倒的な支持を受ける。
2005年に既得権益層がタクシンへの反乱を開始した。国民が圧倒的に支持し、その結果として議会の多数派を形成している以上、民主主義的には対抗できない。そこで持ち出すのが、国王の権威だ。タクシンを不敬だと攻撃し、王室を守るためだと言って、自分たち少数者が支配を続ける正当性を保つのである。タクシンの腐敗を追及するキャンペーンを張り、都市の中間層を味方につけて街頭行動に乗り出す。他にも、自分たちの握る裁判所に解党命令、辞職命令を出させるなど、あらゆる手を駆使してタクシンを攻撃する。
国王はこの過程でバランサーとしての立ち位置を維持できなくなる。民衆が直接政治の場に出てきているのに、その代理人として振る舞うことなどできないからだ。選挙に参加して得たものに比べれば、貧困層が王から受けていた恩恵など些細なものでしかないのである。
2006年、軍がクーデターを起こしてタクシン政権は崩壊するが、それ以降もタクシン派は勢力を維持した。総選挙には全て勝利。タクシン派と反タクシン派が、赤シャツと黄シャツを着て相争う時期が続く。

2014年からの軍政

2014年に、再び軍がクーデターを起こす。今度は今までのように、短期間で権力を手放そうとしない。民政への移行を引き伸ばし、タクシン派の復活を防ぐために様々な手を打つ。
そのなかで一番重要なのが、憲法の改正だ。これにより、選挙制度を軍に有利なものにする。上院250議席は軍の指名制になった。下院は500議席で、両方をあわせて過半数を取らないと首相になることができない。つまり、首相になるには下院で過半数を取るだけでは足りず、375議席以上の獲得が必要になるわけだ。
この間、戒厳令を敷いて人々を弾圧する。5人以上の集会を禁じ、軍政への批判者を不敬罪で投獄する。タイでは不敬を行うと、一件につき最高15年の懲役になる。FACEBOOKに書き込む程度でも逮捕されてしまう。
タクシン派以外の党も弾圧。反軍政を掲げる新未来党が若者の支持を集め、議会において三番目に大きい勢力になっていたが、憲法裁判所が解党命令を出す。さらに、党首を含めた幹部を10年間選挙に出られないようにしてしまう。

最近の情勢

コロナ危機がタイで特に深刻なのは、観光がタイの基幹産業だからだ。タイは観光でGDPの2割を稼ぐが、それが大打撃を受ける。経済は停滞し、若者にとっては未来の展望が全くない状態だ。卒業しても職につけないだろう。それなのに政府は有効な対策を出さない。相変わらず弾圧を続けるだけだ。
プミポン国王は2016年に死去する。新国王はコロナが起きると、王妃、側室20人を含む100人の同伴者を連れてアルプスの高級ホテルへ避難。そのままずっと戻ってこない。王室は莫大な財産を私物化し、外国で豪遊している。そのお金をもっと有効に使えば、自分たちが晒されている悲惨な状況も改善するだろうに。これでは国民が怒るのも当然だ。
以前は国王がバランサーとして振る舞うことで、既得権益層による支配が正当化されてきたが、経済の発展でそれが不可能になった。徳の高い国王が民衆を治める国家は、貧富の差が小さく、民衆が声をあげない時のみ可能なのだ。だが、タクシンが民衆を政治に目覚めさせてしまった。プミポン国王が生きている間は、そのカリスマにより、旧来の秩序を暴力的になんとか維持できたが、プミポン国王の死去によりもはやどうにもならなくなった。そして、学生がデモを起こし、政府の退陣、憲法改正に加えて王室改革を要求しているのが今の情勢である。

タイの政治情勢わからないなと思って勉強を始めたが、思っていたよりも複雑ではなさそう、というのが今の感想。プミポンの行幸は、明治天皇が初期に行幸していたのと似ているし、軍が王室の権威を民衆弾圧の正当化に使うのも昭和期にあったことだし、バランサーとしてのプミポン国王の振る舞いはボナパルティズムの典型例に見える。
深刻な格差の存在、少数者が民衆を政治から排除し続けている状況はフランス革命に似ている。違いは、国王が最初から国外逃亡して豪遊を決め込んでいるところですね。

バンコクの労働者よ、団結せよ!

参考

Behind The Return Of Thailand’s Student Protests

続くタイの政治混乱――あぶり出された真の対立軸

『王室と不敬罪 プミポン国王とタイの混迷』岩佐 淳士

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