父の日エクスプロージョン
先日父の日であったため、ぼくはこの宇宙の歴史上はじめてぼくの娘から父の日のプレゼントを貰う、というイベントを被った。
娘は2歳だ。
3年前は奧さんのお腹の中で豆粒未満の存在だった。
2年前は産まれて数ヶ月で、ようやく寝返りを打てるようになったころだった(この世で最も尊い成功体験をみた)。
去年はようやく歩けるようになったころで、公園の枝や小石ひろいに夢中だった。
そして今、保育園で社会生活を送り、文字読めないのに絵本を音読し、デリシャスパーティ・プリキュアのお人形で変身バンクを完璧に再現する(セリフもばっちり)に至った娘は、保育園から帰宅し、玄関で、
「ありがと!」
と言いながらぼくに手作りの紙のネクタイを差し出したのだ。
ある程度覚悟していたが、ダメだった。
語彙は見事に死に絶え、処理不能の感情で笑顔がうまく作れず、ぼくはたぶん笑ってるような泣き出しそうなへんな顔をして、なんとか「ありがとう」と言いながら娘をハグした。
2年前、病院で娘の産声をきいた一瞬でそれまで無かった父性が肉体を突き破るほどの勢いで生まれたし、ぼくのような感情表現に乏しい男がよくもまあここまでデレデレになるよなぁ、というくらい日々親バカを営んでいるが、今年の父の日で改めて、
「ああ、ぼくは『父』と呼ばれる存在なのだなぁ」
と思った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
家では娘は、
「おとうちゃんやだぁー!」「おかあちゃんと行きたいんだもん!」
とかぼくには厳しいことも言うのだが、ぼくとふたりでデートのときは、
「とうちゃんとうちゃん!」「とうちゃんいっしょに食べる?」
とたくさん呼んでくれる。
それに保育園の先生曰く、園では「おとうちゃんにいっぱい遊んでもらった!」「だいすきなおとうちゃん!」と言ってるらしい。
ぼくが娘をだいすきなことは魂に刻まれたしんでもゆるがぬ決定事項であるため、例え冷たくされっぱなしだとしても全く問題はないにも関わらず、なんと、デレてくれることもいっぱいあるのだ。
この事実が事象として相当やばい。
毎日、カメラが上にパンしてエンドロールが流れスタンディングオベーションが起こるようなシーンが発生している。
ネコのぬいぐるみで病院ごっこをやったら「もっかいやる!」とねだってくる。
晩ご飯のとき、大好きな海苔をわけてあげたら、ちゃんと頭をぺこっと下げながら「ありがと!」と言う。
コンビニにいっしょに行ったとき飲んだことないのに「おとうちゃんはこれかな!」とリボビタンD渡してくれた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
玄関で娘をハグした後、ひと呼吸置いて、
「それお父ちゃんにくれるん?」
と訊くと、
「えぇー、やだよぉ!」
とこわい顔された。
娘からは渡してくれないので、こっそり自分で作業部屋に持ち込んで壁に貼っている。見るたびに、娘のとうちゃんで良かったと思う。
居てくれてありがとう。明日もあそぼうね。
読んでいただきありがとうございます!!サポートいただければ、爆発するモチベーションで打鍵する指がソニックブームを生み出しますし、娘のおもちゃと笑顔が増えてしあわせに過ごすことができます。