「ジョー・パターノ 堕ちた名将」組織を守るためには個人の辛さなど踏みにじる大衆心理の恐ろしさ


概要

名門ペンシルベニア州立大学フットボールチームのヘッドコーチを40年以上つとめ地元や大学関係者から絶大な支持を得ているジョー・パターノ。

だが2011年元アシスタントコーチの少年への性的虐待疑惑が地元新聞によって報じられる・・・

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大学フットボールの世界というのは日本ではここまで影響力が無いが、一つの町がそれを中心に出来上がってしまうくらいに力を持っているのがアメリカの社会のようだ。
アメリカでは日本で暮らしていると信じられないような街の成り立ちをしていることが現実に存在する。
「ウインターズボーン」では違法薬物製造によって町が潤っている様子に驚愕したがそれに並ぶとも劣らない異常な世界がそこにある。

61年間に及び大学フットボール界に君臨したジョー・パターノ。
かれを英雄のようにあがめながら優秀なフットボールプレイヤーを集める大学経営サイド。
そしてパターノの友人だった人間が幼い少年を犯し続けていることが分かり街の人々や世間の目の矛先が徐々に「隠ぺいしていた」疑いをかけられる監督自身に向かっていく。

ここで描かれる様子の中で最も恐ろしいのは、ほぼすべての人が10歳そこそこでアナルを犯されオーラルセックスを強要され続けた子供たちの心には向かず、「英雄を汚した」ことに目を逸らしていく様子だ。
人は己の所属している組織やコミュニティを守るためならいとも簡単に傷ついた人のことなど踏みにじり意図的に無視することが出来る、という構図が描かれる。
それを恐ろしさと表現することもできるし、本当につらいことを直視することが出来ない「弱さ」を見事に映画いている。
その「弱さ」の表現が見事だったのがパターノの奥さんに起訴状を読ませた時の描写だ。
アナルセックスやオーラルセックスの具体的悲惨な内容が綴られた文面を読んだ時この奥さんはトイレに駆け込み吐いたのだ。
その様子を見てなんて心の優しい繊細な人だと思うのは大きな間違いだ。
悲惨な現実を直視せず目を逸らし蓋をするタイプだという事が描かれている。
こういったタイプの人間は自分の家で息子がレイプを行っていたら気がついてもいても平気な顔で無視する人間になる。その臭いものには蓋をする他の大衆の代表のような役割をこの奥さんを使って表現させているところがこの映画の白眉でしょう。
そして、家族の中の誰一人としてジョー・パターノの気持ちなど理解していないことがはっきりと最後に描かれるシーンではとてつもなく複雑な気分になります。

当初巻き込まれているだけに感じるこの騒動だが、徐々にその内容が明るみになっていく。

「大したことだと思っていなかった」というところがこのジョー・パターノの本質だと思います。
本当に素晴らしい演技でした。

自分で他人を傷つける行動を決断したのに「やらされました」と人のせいにして会見し、大人を騙すことが出来る日本の能天気なアメフト社会とは明らかに違う町ぐるみの狂気。
警察組織が機能しなくなるほどのその自治はまるで中世のようだった。

どれだけ辛い現実でもそれを直視し傷つけられた人間をもう一度傷つけるような群衆には成り下がりたくないと心底感じる映画でした。

あなたは何を感じるだろうか。


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