やめろと言われる悪

こんにちは

前回勧められた善として六度万行について書き、詳しいことも今後書いていくと言いましたが、その前に「やめるべき悪」について書きたいと思いまして、今回はこれについて書きます。

お釈迦様は善をすすめた方です。「善をしなさい」とは裏を返すと「悪をやめよ」という事。悪い事をしていては善い事ができません。では、やめるべき悪とは何か?それは種々に書きようがありますが、一例としては

「我利我利の心」です。

我利我利とは「がりがり」と読みます。これはどんな心かと言いますと「自分さえ良ければいい他人はどうなってもいい」という心です。

「他人を騙して儲ける」「周囲を考えず傍若無人に振る舞う」などが例としてあげられます。

これはお釈迦様に教わるまでもなく不幸になる行いだとわかります。

最近話題になった買い占めも場合によってはその心です。もちろん「念のため買っておこう」という心は誰にでもあると思いますし、それは我利我利とは言えません。もちろん買い出し自体が悪だなんて乱暴すぎます。

今回の買い占めは誰かが「自分にだけモノがあればいいや」という心でやったわけではなく、「念のために買っておきたい」という人が誤情報によって突発的に多数発生したために起こった事かと思います。

ですが、もし「自分さえ、モノがあればいいや」という心ならばこれは我利我利の心です。

今の世の中、1週間程度一切の買い出し無しで生活できる程度の非常食があったらどれだけ心強いか、この気持ちは誰にでもあると思います。

しかし、自分が多く買うことで周りの人が買えなくなるのではないか?という事は考慮すべきです。それを考えず買いつづけるならそれは我利我利の心です。

コロナで多くの災難が襲う中、我利我利という不幸しかよばない行いなんてすればどんな事になるか、それこそ恐ろしい事しか起こりません。

ですが、すべての人間には欲があります。この欲の根底にはこの我利我利の心があります。ですから、欲は慎まなければならないんです。「欲と付き合う」とか「欲をコントロール」なんて言葉を自己啓発や僧侶が書いた本などで見かけます。世間的に、これらの本がどれくらいの大切さで認識されているかはわかりませんが、実は「欲と向き合う」事はかなり大切な事なのです。

そして、この欲や我利我利の心に立ち向かい、不幸になる行いをやめて幸せになるために、お釈迦様は善をすすめたのです。

では、我利我利の心に立ち向かうにはどうすればいいか?それはこの心の逆を心がければいいのです。

それは「自利利他の心」です。

自利→自分の幸せ
利他→他人の幸せ

つまり、他人に幸せを与えて自分も幸せになる、という事です。

一例ですが、アメリカでこの外出自粛の時期にスーパーで多くの食材を買い出す女性がいたそうです。周囲は彼女を白い目で見ました。「自分さえモノがあれば良いと考える我利我利」に見えたからです。ですが、彼女はそれを持ち帰ると食材を小分けにして箱詰めし、知人友人に郵送しました。

彼女は買い占めをしたのではなく、スーパーが遠かったり、外出自粛で外に出られない知人達のために代わりに買い物していたのです。その証拠に彼女の買い物した後を見ると、陳列棚にはまだ後の人が買い物出来るだけの商品がちゃんと残ってました。買い占めてなんてしていなかったのです。

彼女は知人の買い物を自分が代わりに行い、更に自分の後に買い物する人にも商品が残るように、買い占めをしないよう行動していたのです。

これは「知人達の代わりに買い物して知人を幸せにし、自分の後の人に商品を残す事でスーパーや買い物客にも幸せを与え、それによって自分も幸せになる」行い、まさに自利利他なのです。

昨今でみれば、会社や団体でマスクを大量に仕入れて住民達に配る事、ビラのオーナーがテナント利用者に家賃減額や免除を申し出ること、これら全ては自利利他であり、お釈迦様がすすめた善です。

これも、前回書いた「心が大切」という理由の一つです。先のアメリカの女性についてもしっかりと彼女の心を見つめなければ、買い占めと勘違いして意味のない誹謗中傷でもしかねません。事の真相も調べず誹謗中傷すれば、その報いを受けるのは誹謗中傷した本人以外の何者でもありません。

この自利利他も我利我利も、どちらも「私たちの心」です。その心の報いを受けるのは私たち自身です。

私たちが意味のない買い占めや理由のない誹謗中傷などの良くない行い、不幸にしかならない行いをしないためには、自分の心を見つめ、我利我利の心はないか?あれば慎み、自利利他にどれだけ徹しているか?を見つめなければなりません。

今、このご時世だからこそ、自利利他の心を目指し、我利我利の心に立ち向かい、みんなと本当の幸せになりたいものです。

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