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あとから来るもののために

先日は「ぴよこ茶話会」という子育てサークル「ぴよこの会」を卒業された方々とお茶する会の日でした。毎回、プチ修行的なものを30分ほど行いますが・・・今回は法話です。もともと法話は苦手なんで・・住職のトレーニング的なものとも言えます。

2本話をしまして、一本は過日このnoteに載せた「あり方」の話、言いながら自分が苦しくなるという感じに・・・

それこそお茶を濁す話として話したのが・・SDGsの話でした。

SDGsは「持続可能な開発目標」と訳されます。仏教界でもSDGsは取り上げられ、良い運動だと参画する傾向です。でも、果たしてそれが本当なのか?という疑問が提示され、ベストセラーになっています

斎藤幸平先生の『人新世の「資本論」』です。SDGsは「大衆のアヘン」であると指摘し、経済発展と地球環境は両立しがたい、経済優位主義に陥りやすいという考えを提示しました。「資本論」そのものは、マルクス思想の一部であり、晩年のマルクスの思考は、近年「メガ」と言われる資料を編集する作業で明らかになってきています。なお、本書の影響もあるのでしょう、今年一月の100de名著は斎藤先生を講師に『資本論』でした。具体的にはムックを見ていただきたいのですが・・第4回の「コモン」の再生が重要な指摘を展開しています。

そこには「贈与」の思考や共同体「コモン」の考えが提示されていますが、「人間と自然との物理代謝を合理的に、持続可能な形で制御すること」を考えていたようです。人間の欲望の無限性と地球の有限性そこに着目しているのです。

たとえとして出てくるのが林業で日本の国土の七割が森林なのに、安い木材を大量に輸入し、国内林業は衰退、質的に劣るものをわざわざ二酸化炭素を排出しながら輸入し他国の森林を破壊していると指摘しています。

SDGsは開発目標ですから、基本開発であり、日本も含めた高度な生活水準を維持するために多くの国々を今後も犠牲にし続ける思考でもあるということなのでしょう。となれば、どうすればよいのでしょうか?

寺院として一つの方法として、本休寺や善徳寺では間伐材塔婆を使用しています。それにより国内林業のわずかながら活性化をめざす。さらには、塔婆を乾かすのに障害者施設の方が従事していただいているものを使用する形を用いています。

坂村真民さんの詩に「あとからくる者のために」という詩があります。

あとからくる者のために                           苦労をするのだ                                            我慢をするのだ                                        田を耕し                                         種を用意しておくのだ                                    あとからくる者のために                                     しんみんよお前は                                       詩を書いておくのだ                                   あとからくる者のために                                  山を川を海を                                         きれいにしておくのだ                                      ああ後からくる者のために                               みなそれぞれの力を傾けるのだ                                あとからあとから続いてくる                                  あの可愛い者たちのために                                    未来を受け継ぐ者たちのために                                   みな夫々自分で出来る何かをしてゆくのだ

という詩であります。今の時代はあとからくる者すなわち子や孫への意識をもって生きているでしょうか?

私たちの欲望の在り方を変えていく、少しでも社会貢献や優しい世界を創造する。実はこのことは、私たち自身を守ることにもつながっています。コロナは、ウイルスです。このnoteでも書きましたが、『コロナ時代の僕ら』でも指摘されていました。

他の生物に寄宿していたウイルスが温暖化などにより、寄宿先の動物を失う。それにより人間に引っ越してきた可能性があります。多様性すなわち環境を保全することは、我々を守ることにつながっているのです。

ブッダの言葉である『ダンマパダ』121では、

「その報いはわたしには来ないだろう」とおもって、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがてわざわいにみたされる

と述べています。我々は過去からの蓄積の結果を今受けているとといえます。だとするなら、ここで考え方を変え、次の世界へよりよい形をバトンタッチするべきではないでしょうか?

具体的な答えはすぐには見つからないかもしれませんが、なるべく地産地消を目指すなどの方法を試みていきたいと感じています。

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ありがとうございます‼️
千葉市緑区のお寺の住職。読書好き。 NFL好き。寺はヨガ教室、リトミック教室、写経会、子育てサークル、子供会を行っている。オンラインサロン西野亮廣エンタメ研究所 サロンメンバー