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起業5周年。1,2,3,4,5年目のそれぞれで、ハッとした学びを時系列にて紹介

株式会社ウサギは、皆様の温かいご支援を頂きながら、2019年9月末で5周年を迎え、10月より6年目に突入しました。

大企業で10年勤めた後の5年間で、本当にたくさんのことを学ばせて頂きましたが、その中でも毎年一番心に刺さった気づきを合計5つ、皆様にシェアしたいと思います。これからいろいろな働き方を考えたい人たちに読んでみていただけると嬉しいです。

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ウサギ5周年記念パーティの写真。撮影してしまった僕は右上のお休み枠で ↑


1年目:独立すると、成長するのが難しくなる

新卒から10年間勤めた大企業を卒業し起業したひよっこの僕は、急激にいろいろな人に出会えるようになって、毎日が刺激的で、楽しい気持ちの連続でした。「俺、新しい人生歩んでる!」という高揚感で、ウェイウェイ言ってる感じでした。そして、いろいろな人からいろいろな話を聞いているだけで、自分がどんどん成長しているような感覚を覚えました。

その数か月後、「…あれ? 俺、全然仕事のスキル上がってないんじゃ!?」ということに気が付き、急に恐怖心が湧いてきました。(湧いただけよかったと思います。)

大企業時代は、辛い仕事が嫌でも次々と振ってきました。つらいなー、と思いつつ、頑張ってこなしていれば、新しい開発スキルを確実に得られました。それが、辞めたとたん、「面白い人いっぱいいるなー! 新しい俺ウェイウェイ!」と言いだして、気が付けば何か月も同じ自分のままでした。

叱ってくれる人もいなくなりました。「怒られるのヤダーーー!」とうんざりしていた会社員時代。それは有難いことでもあったのです。(まあ、嫌なものは嫌ですけど、ね。)

最近よく「大企業はオワコンだ」とかいう意見をWebなどで見かけますが、それは大間違いです。僕が就活生にアドバイスするときは必ず、「迷ったら最初は少しでも大きな組織に行ったらいいよ」と言います。大きな組織は、辛いこともたくさんあるけど、自分で選べない方向に自動的に成長させてくれる超スゴいシステムです。

また、個人や小さい組織で働いた後に、大きい組織に行くと、「え?」となって、その良さが分からないまま嫌になることが起きやすいと思います。これは、経験してみないと分からない感覚かもしれませんが、とにかく大企業を最初にピュアな目で見て、ピュアに楽しんで、それから苦労して、いろいろ分かった上で自分の働き方を作っていくと、どこに行っても人の役に立てる仕事人になっていくことができます。社会の立役者は大企業です。

このままでは適性に成長できない、と早々に気が付いた僕は、起業1年目から、特に講演や研修講師の仕事に関してエージェントをつけて、お金を払って技術を教わりながら仕事をすることにしました。叱られるのが嫌だったのに、叱ってくれる人をお金を払って付けることを選びました。その後は、開発設計の師匠にも、業務提携の形でくっつきました。自分は勤勉な人間だと思っていたけれど、一人では、心地いい成長しか選ぶことができず、痛みを伴う成長などできなかったのだ、ということを改めて知った1年目でした。

書いている小サイズ

5年前、ウェイウェイ言ってるとき ↑


2年目:凸(強み)でなく、凹(弱み)から話さないと、出会いはうまくいかない

起業1年目、「俺、アイデアや企画力がウリです!」みたいな感じでいろいろなところに営業に行きましたが、良い出会いは全く生み出せませんでした。僕がめちゃくちゃイタイ奴で、無理矢理とった仕事で人にご迷惑をおかけしたりもしていました。よく考えれば、自分の凸を最初に語りながらアプローチしてくる人なんて、自分が逆の立場だとしても、なかなか合わせづらいですよね。自分たちの環境や立場で一生懸命仕事をしているときに、「俺の凸、これです!」みたいなやつが特攻してきたら、「いやそれ今求めてないから!」となって、印象も悪くなるということ、今なら簡単に想像できます。

でも、仕事が欲しい、というときはこっちも必死で焦っているので、どうしてもそうなってしまう時期がしばらく続きました。まあ、それはそれで頑張った歴史だから否定はしませんが、それが徐々に、いろいろな人と話すときに、例えば「僕って、絵描けなくて、デザイン弱いんですよね~」などという、凹の話から始められるようになっていきました。

そうすると、「あ、うちの強みはデザインなんだよ。でも、ネタがなくてね~」みたいな話になり、「僕、ネタ考えてみて良いですか?」というマッチングが生まれるようになりました。
(なぜ気づけたかというと、自分にもいろいろな仕事のお話が来るようになって、その相手が凹から話してくれると、すごく、嬉しかったんですよね。それを気づかせてくれた多くの方々に感謝しかありません。)

不安だと、どうしても先に強みを見せたくなってしまいますが、それを先出ししていい事はほとんどないということを、約2年かけてようやく分かり、商談や営業ではなく、「まず凹と凸でくっついて友達になる」ができるようになっていきました。

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3年目:健康とは、波が揺らいでいる状態である

株式会社ウサギは、「健康第一」という理念を掲げ、自分と家族と仕事仲間とお客さんが健康になるための仕事をすることを目指して立ち上がりました。そして、それを実践しているつもりでやってきました。

しかし、実際のところは、ずっと不安を抱えながら仕事をしていました。起業当初はそれこそ、毎日一喜一憂していました。仕事が決まったり、上手く成果を出せたりしたら喜び、仕事がなくなったり、失敗してお叱りを受けたりしたら落ち込み…。その短期スパンでの繰り返し。それに慣れてくると、月単位スパンになって、利益が多い月は喜び、少ない月は不安で一杯になり…。

株式会社ウサギ(の、僕の事業部)は、1年目、決算が赤字で苦戦し、2年目にとてもいい成績を出しました。そして3年目は2年目より利益が低いことがほぼ確定したとき、また不安が押し寄せました。この先やって行けるのかな、と。

しかし、この3年目は、2年目に比べて随分楽しい仕事がたくさんできたな、という実感もありました。2年目は馬車馬のように働いたけど、3年目は楽しかったなー、と。それから、何となく分かってきました。会社員の時は、毎月同じ額のお給料を貰えていた。それに比べて、この働き方は、波があることが当たり前で、それを細かく見ても仕方がない。と言うより、上がったり下がったりする波の揺らぎがあるのが人生というもので、それが分かっていない状態が、不健康なのではないかと。

新卒から10年続けたサラリーマン生活で、給料が毎月変わらないことを当たり前に思っていたから、さざ波が立ったくらいで、すぐ不安になっていました。でも、その波を乗りこなしているのが健康な状態で、下がったら上がることが分かるし、上がったら一度下がった方が、揺らぐ波のようにまた自然に上がるのだと、少なくとも僕のような最弱起業家はそう思えました。

もし、2年目に続いて3年目も右肩上がりの利益を出していたら、4年目は暴落したかもしれない。その時に、病的に大きな不安を抱えたかもしれない。上がり続けたら、途中で精神が崩壊して倒れるかもしれない。長期にわたって上がり続けたら、その後長期にわたって下がり続けて、もう上がり方が分からなくなるかもしれない。

実際、次の4年目は3年目からまた利益が上がることになるのですが、僕は、お金を借りたり会社の株を売ったりしていない限りは、右肩上がりよりも、1年ごとくらいの短いスパンで波打っている方が、その波に乗って何度でも上りなおせる健康な経営(人生)なのかもしれないな、と思っています。

(5年目は4年目より下がりました。次の6年目は上がる、はずです汗。)

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2年目と5年目の利益が同じ数値で、気分が変わったのがポイント ↑


4年目 0→1と、1→10を考え分けなければダメだった

僕が起業した理由の一つに、「1000人に大喜びされる商品を作りたい」というものがありました。3年目に、民芸スタジアムという自分にとって当時の最高傑作となるカードゲームを丸1年かけて作り、約2000個売って、ファンの方にも高評価を頂きました。「これが僕がやりたかった、大企業ではできないネタだった」と喜び、こんな風に0→1をやりたかったんだなあ、と満足したことを覚えています。それから僕は、1000人に大喜びされる商品のつくり方を確立し、1000個売る商品を決め打ちしてやりたい放題、楽しくやっていました。

そんな中、4年目にご縁を頂き開発をお手伝いさせて頂いた「アンガーマネジメントゲーム」というカードゲームが、ヒットします。それは独立起業してから関わった商品の中で、初めてと言える良い数値結果を出した商品でした。異常な情熱を注いで作った「民芸スタジアム」と、桁が変わったのです。携わったスタッフの規模もそんなに変わらないのに、広がり方の違いを肌で感じました。YouTuberのフィッシャーズに紹介して頂いたことも大きかったのですが、その時点で売れていたので、他の商品との差は歴然でした。


この時僕は、「ああ、0→1だけではダメだった」と、素直に思いました。

自分がやりたい0→1をやりたいという気持ちは今もそうだし、1000人を大喜びさせたいというのも、変わっていません。でも、1→10を必要としているパートナーとの仕事に、0→1で終わる、私情の塊のようなアイデアを持ち込む時期は、もう終わりにしないといけない。自分が食えればいいや、というモラトリアムを止めないと、それはもう、仕事ではなくなっていく。

振り返ると、「民芸品のアート性」×「トレーディングカードゲーム」という、ニッチ×ニッチで作られた民芸スタジアムは、好きな人だけが喜んで終わるのは、誰が想像しても当たり前のことで。一方のアンガーマネジメントゲームは、イライラしている人が会社にも家庭にもこれだけ多い中で、それを減らせるゲーム、というキャッチコピーに多くの人が飛びつくことは始めから想像が可能です。

0→1と、0→1→10のネタは、使い分けないと、クリエーターとしてダメなんだ。アイデアの元になる個人的欲求の中にも、0→1ネタと、1→10ネタが混在しているんだ。それで、お客様のやりたいビジネス規模ごとに、企画を作って行かないといけないんだなあ、

という、書いてみるとごく当たり前のことを、やっと4年目で分かったのでした。


5年目 Twitterをやりすぎると収益と創造価値が減ることがある

会社の5年目が始まった2018年10月、ずっとやっていなかったTwitterを本気で始めました。(この時期、Twitterを再開した人多かったのではないでしょうか。)

そうしたら、程なくして仕事の相談が流入し始め、素直に「わーい!」と思いました。新しい出会いが増えて、仕事も増えて、それがきっかけで、「もっとフォロワー増やして人に見つけてもらいたい!」という気持ちが高まっていきました。

気が付くと、開発の仕事の合間にTwitterを頻繁に立ち上げてチェックしたり、執拗につぶやいたりしている自分がそこにいて、何をツイートしたら受けるかを考えて投稿したりしていました。「つぶやく」って、こんなに考えてすること? みたいな自分へのツッコミをしつつ、承認欲求むき出しでTwitterをやりました。

で、この記事の最初、1年目の話に書いたのと全く同じ、「俺って結局Twitterでウェイウェイ言ってるだけで、何も仕事してないし、成長してないじゃん!」みたいなことに気付くわけです。まさに4年前へのウェイウェイ逆行ループ。

同時に気が付いたのは、Twitterをやればやるほど仕事の相談がどんどん増えたけど、利益が増えていない、ということ。実際に前述の通り5年目は4年目より利益が下がっています。

これって、世のあるあるなんじゃないかな、と思いました。多分、「バズり貧乏」って、良く起こりうるんだろうなと。

「バズってるあの人は有名人だから儲かってるよねー」というずれたイメージを持たれてからギャップが生じてしまう問題もあるし、本質としては、利益っていうものは必ず、与えた価値と等価。そうじゃないとおかしいですよね。楽して儲かる、なんてことは絶対にありません。ラッキーヒットは後で絶対にしわ寄せがくるし、ヒットしたものの裏には必ず、人が努力したという事実があります。僕の場合、Twitterに変に時間を割いたことで、知らず知らずのうちに、本業のものづくりの仕事の価値が薄まったのだと素直に反省しています。まさに、気が散ったのです。これは絶対にやってはいけない事でした。

だから、Twitterを楽しむのは悪い事じゃないけど、その前に本業の価値をちょっとでも高めろ! 人の役に立て!(Twitterで本当に成功している人は、そのツイートで本業の価値を高め、人の役に立っています、よ。)

と、自分に喝を入れながら、ついついつぶやいている今日この頃です。

6年目も一歩ずつがんばります。ご指導よろしくお願いいたします。



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