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育児を「育事」と漢字まちがいしたら、世界が激変した話


育児という漢字を一度も書いたことがありませんでした。キーで打ったこともなかったかもしれません。イクメンという言葉は恥ずかしすぎるからこの世からなくなれと思っていました。

ある書類を記入していて、「いくじ」と書かなければならないことがあり、「あれ、いくじ、って、家事みたいに、子育てする仕事だから、育事?」と書き間違えました。調べたら、少なくとも僕の見た辞書には「育児」という言葉しか載っておらず、「育事」という言葉はありませんでした。

そうか、育児って、そのまんま、

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子供を育てる、って書くのか・・・。

僕は、6歳と3歳の親ですが、よくよく日常を振り返ってみると、子供に育てられてばかりです。普段ママが子供の安全を守って育ててくれているから、気楽な父親はそんな風に思えるだけかもしれませんが、たぶんママも思っていることは一緒でしょう。親の方がよっぽど子供に育てられます。というか、一緒に育たないと、どっちも育たないのです。あっちだけ育てよう育てよう、とコミュニケーションすると、こっちは何かをすり減らし、あっちもすり減るんですよね。子供をコントロールしようとして何かを押し付けると向こうは反発し、こっちは自己嫌悪になって気づいたらコントロールされている、という感じ。どっちもマイナスになってしまいます。

ここから、あえて現在正式にはこの世にない言葉である「育事」を使って書き進めていきます。

「育児」なら子供を育てる事になるけど、「育事」なら、育つこと、になります。

僕は、正しい漢字を知らなかったことをきっかけに、育事とは、親と子で一緒に育つことだと気付くことができました。そうしたら、子供とのコミュニケーションが一発で変わりました。

いま3歳の次女は、物心ついてからずっと、公園に行けば他の友達のおもちゃを取ったり、ケンカを吹っ掛けたりする分かりやすい暴れん坊でした。他の子や親に迷惑をかけるのは良くない事だし、話してもギャーギャー騒ぐだけで理解しているように見えないし、なかなか難しい状況です。世の中で多くの親が同じ思いをしていることでしょう。強く叱ったり、連れて帰ったりすることは簡単ですが、それが正解かどうかは微妙です。

僕はこの時、

1.どう対応したら子供を適切に育てられるか
2.どう対応したら他の親への迷惑を最小限にできるか
3.どう対応したらウチら親子は他の親に悪い印象を与えないか

などの見方で、取るべき対応を考えていました。

そのとき抜けていた視点が、

どうしたら僕も育つのか?

でした。

叱って公園から逃げるのは簡単だし、他の親に謝るのも簡単です。でも、その時やるべきだったのは、どうやったらその場の全員が楽しめるかを、失敗覚悟でいろいろトライしてみることだったんだろうなと思います。今は、そんなことを考えてコミュニケーションを試す日々です。

僕の行動が裏目に出て、うちの子がさらに暴れたり、他の親に変な人だと思われたりしても、そこから学びや気づきがあって自分が成長できたら、それを見た自分の子供も一緒に成長するはずです。子供は親をめちゃくちゃ見ています。そして感じ取って変わるんです。

そしてコミュニケーションの試行錯誤は、もしかしたら周りの親子にも少しだけ、成長の余波を与えられるかもしれません。「みんなと一緒に育つ」が、すべての解決の糸口であり、大切な意識だとようやく気付けたのです。

そして、もう一つ気づいたことが、

育事って、子育てだけじゃないよな。育てるって、仕事の中にもあるよな。・・・仕事も、育事だよな⁉


ということです。

子供と一緒に育つ育事と、部下やチームメンバー、取引先などと一緒に育つ育事は、全く同じでした。照らし合わせてみればみるほど、やることや考え方も全く同じです。

僕がこの記事でわざわざ書かなくてもいいような子育ての基本である、

・いっしょにわらう
・こうていする(みとめる)
・けっかよりがんばったことをほめる
・めせんのたかさをあわせる
・むちゅうになっていることをとめない
・たくさんはなしかける  
・きいてあげる
・まってあげる
・きっぱり、そしてやさしくしつけする
・いっしょにきまりをつくる
・よくねむらせる
・あいしているとつたえる ・・・・・・


どうでしょう。これら全部、仕事の世界のいわゆる「部下の育て方」と全く同じです。逆も同じ。仕事の育成論やチーム論で言われていることはすべて子育てに役立ちます。仕事=育事だったのです。

私が子供を育てよう、という一方通行ではダメ。
私が部下を育てよう、という一方通行ではダメ。
一緒に育つことを考えないと、どっちも育たない。

人を育てることに限った話ではありません。商売は、お客様を育て、会社を育て、社会を育てること。商売こそまさに育事です。

また、自分がコンサルや講師のような立場で仕事に関わる場合でも、相手を育てなきゃ、ではなく、一緒に育ちましょう、でないと上手くいきません。(僕はこれで起業当初にかなり失敗しました。)逆にコンサルに入ってもらうときにも、コンサルの人を育ててあげられたら、初めて自分が育ちます。一方的に育ててくれ、は、起こりえません。

小泉進次郎議員の育休のこともいろいろ言われていますが、国を育てるんだったら、自分も育つために育休は必要ですよね。


で、その次に、さらに気がついたのは、

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家事も、育事じゃん。


僕は、世の中の父親の平均よりは家事をしているつもり・・・ですが、やっぱり家事から逃げていました。楽しくないし、やってもやってもきりがなく同じ作業が毎日発生するし、生産性がないなあ、と思って、仕事に逃げました。すみません。

でもそれは、家事を、何もできない赤ちゃんのお世話をするのと似た意識で「家の世話をする」ようにやっていたから、そりゃ家も育たないわけで、

・こうしたら家がもっと良くなるよね
・そしたら自分とか家族もご機嫌になるし、うれしくなるよね
・そしてよりスムーズに家事ができるように成長するよね
・で、その結果仕事にもいい影響があるよね

というように、家と一緒に自分が育つように考えないと、家事は無限地獄になってしまうのでした。仕事と家事も一続きであり、同じものです。家事から仕事に逃げる、というのは文章としてねじれていると言っていいくらいです。家事=仕事=育事だから。

逆もあります。僕は大学生のとき、毎日自炊していました。それが会社に入ると、忙しさから3年ほど1度も自炊することはありませんでした。そして入社4年目に、ものすごく久しぶりに料理をしたら、学生時代に比べて驚くほど料理の段取りが上手くなっていたのです。仕事ができるようになったら、知らないうちに料理もできるようになっていた。

1人暮らしでも、家族といる場合でも、家事によって人と家が育つように。ぬか床のように家をかき混ぜて、ぬか床も、きゅうりとかナスみたいな家族も、育つように。

で、そう思ったら、さらに気がついたのは、

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育事じゃないモノゴトって、なくない?


学問、スポーツ、趣味、食事、恋愛、睡眠、自然・・・。

生きるとか、世界とか、みんな育事なんだ。楽しいことって、何かが育っているから楽しかったんだ。なんでポケモンをずっとやっちゃうかというと、ポケモンが育っていくから、そして自分もバトルが上達していくからなんだ。

ときには壊れることも捨てることも、一度後退してしまうことも、よりよい明日を育てるための育事なんだ。


・・・・・・

俺、イクメンだったんだ。

※メンは、menも、womenも、memberも、ですね。


結局何が言いたいかまとめると、

育てたい人やモノゴトがあるなら、相手と自分、一緒に育ちましょう。そして周りも育てましょう。それが育事です。この世のすべては一続きの育事です。


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