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思えば罠か

 昨日は久方ぶりに炎上し、昼も食べる時間がないぐらいの忙しさになり、途中、社外役員の調査会という、糾弾集会のような場に呼ばれて集中砲火を浴び、ヘトヘトの体になって夕方を迎えました。

 僕のセクションは、内部統制と企業内法律顧問的な役回りのため、当事者として外圧にさらされるのは常に事業部門であり、炎上や不祥事は別世界と受け止めていた面がありました。

 社内の内部統制の問題を、企業の社会的責任に結び付け、そこにスポットライトを浴びせて、社外役員と一部メディアが連携して、ネガティブキャンペーンを張られている状態です。
 
 昨日までは、なんでこんな内部統制に関することで、しかも実害はほとんど出ていないような、過去の話を、急に引っ張り出すのだろうと、疑問に思っていました。

 ただ、今朝になって考えてみると、これって、どこで爆弾をさく裂させても良かったわけで、僕が個人的に攻撃されているという考え方もできるかもと、思うようになりました。

 穿った見方であることは承知していますが、問題が急浮上したわりには、周到な準備の形跡はあり、昨日の炎上も、どう考えても連係プレイで僕らがそこにしか行くことができないよう、心理的陥穽を計算しつくしているように思えるので、これは僕の担当する組織、または僕自身に仕掛けられた罠で、そんなものが組織内にあるとは思っていなかったので、正攻法で進んで見事に罠にはまった、そんな気がしなくもありません。

 人事的な評価とは別に、昇進が早い人間には妬みの思いを持つ人は一定数いるはずであり、また、社内政治の力学においても、僕に対する悪意はないにせよ、社内のポジションを確保するために、あるいは試す意味で、仕掛けられている罠もあり、少し俯瞰して全体をみると、自分の現状を取り巻く罠は、一種類ではなく、いくつかの思惑の異なる罠が仕掛けられている、そのように感じた次第です。

 今年に入り、事業部門における一連のバタバタで感じた、今の組織に対する「違和感」のようなもの、僕自身の自立への予感、さらにはここから先、経営幹部としての役割を果たそうとすると、僕の個性は大きく減殺され公式イベントにやたらと時間だけは食われる、そんな漠とした不安感は、いずれも外に向かって動けという、自他から送られるサインであり、これを無視して進むことは、人生にとってプラスではないと、強く感じました。

 今の生活をつなぐ金のひもは手放しがたいものの、会社に対する未練はなくなりました。やはり、まずは乗り移れるロープを探し、多少の条件に目をつむっても、乗りうつってみる、家族は理解してもらうしかない、古い価値観の人は理解が得られないだろうから、そこはあえて話さない、そのへんの軌道離脱行動を、具体に起こしていくこと、決意を新たにしました。

 決意の積み上げだけでは、次のステージにはいけませんので、まずはキャリアチェンジのために、数に当たりぶつかるしかない。おそらく、本気で棚卸しすることで、全然手がかりがないということはないと思います。

 簡単ではないですが、一度しかない人生、罠だらけ、地雷だらけの場所で、限られた先人の残した轍を頼りに主体性なく歩くのは、つまらないですから、勝負をかける、この夏を過ぎて、離陸が見えるところまで、棚卸しを徹底する。

 今日の仕事も、自分の資源を棚卸しして、売り物を磨く作業だと思えば、どんなにくだらん話でも、前向きに考えられるし、常に基本に立ち返ることで、応用自在なスキル習得の機会とする、最後に、いろいろ詰め込まれて精神的に窒息させられそうになっても、いずれ自分の力で抜けると思えば、いろんなものが懐かしく見えてくる。

 人任せだから、現状がつらいのだし、人にやらされてる感があるから、自分の時間を奪われているように感じる、すべて自分の物語を編み、次の章に行くための伏線なのだと思えば、人の仕掛けた罠でさえ、使えるものになります。
 

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