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価値観の変化とは何かをようやく実感

 まだ20世紀も末、北斗の拳が予言した世紀末、大予言の有効期限が切れていなかったご時世に、僕は大学を卒業して就職のタイミングを迎えました。

 戦後の経済成長前提、人口増加前提の社会は曲がり角に差し掛かり、終身雇用前提の採用も変化の兆しはあったものの、就職の王道にして勝者の道で、そこから外れて生きることは、自分が安く買い叩かれることを意味していました。

 特にバブル崩壊後、就職氷河期の入り口ということで、射程圏内の内定をもらえた人は、それこそ卵を抱えるように大事に取り扱っていましたし、
今は不人気の公務員も軒並み高倍率、教育学部を卒業しても教員採用試験の狭き門を突破できず、教員になれない人が非常勤講師に流れるという状況で、隔世の感があります。

 当時のソフトバンクに就職した人から、「うちの社長は常々、社会のインフラ全体を手にすると言っている」と聞いた時、NTTなどのインフラ基盤を持つ企業相手に、どうやって戦おうというのだろう、まったく理解が及ばない話だなと感じたことを覚えています。

 今もチャンピオン的な企業は、相変わらず強さを発揮していますし、総合商社のように積極的にリスクを取り、次々と新分野を切り開いていく企業は、業績の波はあるにせよ人材を揃え、この国の成長エンジン、社会の人材供給源としての役割は担っているように思います。

 社会環境の変化が大きいことの裏返しで、今は旬を追いかけても、賞味期限が早いため、時代の旬にフィットしすぎる業種や組織にコミットしすぎることは、危うい面があります。

 保育所とか介護施設、教育現場などは、人の確保にしのぎを削っていますが、これから40年、50年と、その業界で働くことを考えると、どこかで急速に先細りすることは明らかです。

 今の世代の政治家や行政は個人の将来に対し無責任ですので、個人の適性に基づきその職業を選択することや、打算との適合において職に就くことはありでしょうが、必要数を確保する罠に嵌らないよう、願うばかりです。

 これからの世代は、組織の永続性への信仰はなく、まずは組織に依存しないスキルを身につけることが大事で、そこが難しい場合は、リスクの低いところに移る。

 今は、若いうちであればやり直しが効くので、基本的に耐える待つはせずに、船はさっさと乗り移る、これは価値観の変化でもあり、先行き不透明な時代なるがゆえの強迫観念が根っこにあるのかもしれません。

 以前は、受験勉強の延長線上の就職活動で同じように戦い、射程圏内の組織に入ったあとは、先輩にならて組織に適合した技を磨くことで、自分の安定性と組織内成長性を担保したわけですが、
今は先輩上司はモデルにならないので、情報の流体物をかき集め、いずれ壊されることがわかっていても砂の器を作り続けないと、自分も見失ってしまいかねない、
もちろん、日々の生活でそこまでの緊張感を持ち続けることは困難なので、覆い隠して生きている人が大半でしょうが、根底にはそういう不安感があるのだと思います。

 上の世代としては、価値観の断絶を理解したうえで、不安を抱えたうえでの表層に見える行動といったところを、理解することに努め、それをベースに、個人の生き方と共鳴できるような組織運営を、心がけたいところです。

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