花屋のおばあちゃんのお話

ふと立ち寄った小さな花屋さん。おばあちゃんが一人。
お釣りは、おばあちゃんの財布から。
どこの花屋さんの花よりも、見事な開花で、長く生き生きしていました。
今日も立ち寄ったところ、お嫁さん?
おばあちゃんは、奥で休んでいるとのこと。
花のことを伝えて、よろしくと妻と店を後にしました。

@古い昔ながらの商店街、横浜市

次の週、まだ出かけました。
「いい花ですね。特に菊がよかった」と、店先にいたおばあちゃんに声をかけた。
「菊は、仏教では大事な花ですから」とおばあちゃん。
「蓮の花ではないのですか」妻が言った。
「蓮の花は目的です。菊の花は手段です」
おばあちゃんの話は、私たちには少し難しかった。おばあちゃんは、話をつづけた。
「蓮の花が心に咲いた人だけが、死後、極楽の蓮の台(はすのうてな)の上に生まれることができるのですよ」
私たちは目を丸くした。
「で、菊はどう関係あるんですか」
「ほほほ。言葉遊びよ。菊は、『聞く』ということよ。お棺に入れるものじゃないわ。死んだら、もう間に合わないわよ。聞こえないからねえ」
妻が身を乗り出して質問した。
「それで、いったい何を聞くんですか」
「本願よ」おばあちゃんは、静かに言った。
「ホンガン?」
「そう、本願、まあ今の若い人には『お約束』って言ったほうが分かるかしら」
「それで、誰の約束なんですか」
「阿弥陀仏(あみだぶつ)というお釈迦様の先生の仏よ、聞いたことない?」
「聞いたことあるような」
私たち二人は黙ってしまった。
おばあちゃんも黙った。
穏やかな沈黙が流れた。
他のお客さんが入ってきたので、妻と二人店をあとにした。


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