母親、について③【プロポ】220908
ある晩、夕食のときに、父が唐突にこう言った。
「いやあ、味噌汁、うまいわ。この『薄味』が良いよね。」
父は、こういう誉め言葉を滅多に言わない。
ぶっきらぼう、とか、愛想がない、というわけではないが、積極的にポジティブな言葉を言うタイプではなかった。
別に、悪口も言わない。
ひょうひょうとした人だと思う。
そんなもんだから、この何の気なしに言った味噌汁への賛辞が、母の胸にズキュンと響いてしまった。
その日から
「私と言えば、『薄味』よ!」
となってしまった。
日に日に、我が家の味噌汁は、薄くなっていった。
最後の方は、もうほぼお湯だったかもしれない。
さすがの父も、
「もうちょっと…濃くても、いいかな?」
と言っていたような気がする。
とまあ、こんな感じで、母は誉め言葉にめっぽう弱かった。
私が、茶の間にあったどら焼きを食べて、
「どら焼き、うまい。」
と、アホなAIでも言えるような感想を言ったら、
翌日から、毎日どら焼きを用意してくれるような人だった。
遠足などの時のお弁当も、さすがの充実した内容であった。
大抵、ボイルした頭つきの海老が二尾ほど入っていたこともあり、それを見た友達から、
「お前の弁当、おせちみたいだな。」
と言われたことはよく覚えている。
おせちみたいな弁当を作ってくれる人だった。
あと、『年中行事』をとても大事にしていた。
七五三とか、ひな祭りはもちろん、
春の七草がゆ、とか、
端午の節句にしょうぶ湯に入る、とか、
他には、よくわからない風水みたいな吉凶についてもよく語っていた。
それに付随して、『神仏』を尊ぶ思いが半端なかった。
今でもそうだが、毎朝、神棚と仏壇の掃除、お祈りは欠かさない。
二礼二拍手一礼における、礼なんて、尊びすぎて、地面にめり込むんじゃないかというくらい深々と礼をする。
この姿は、明確に私にも受け継がれていて、毎朝、仏壇、と言えるかはわからないが、猫の骨が入ったメモリアルボックスに手を合わせ、その後、簡易神棚にお祈りをしてから、家を出ている。
なんとなく、力をもらえている気がする。
旅行先で、神社やお寺をめぐるのも大好きだ。
本当にそこに神みたいなものがいるのかどうかは、どうでもいい。
数えきれないほど多くの人が祈ってきたからこそ、その場所にパワーが宿るのだと思っている。
そういう場所が好きだ。
こういうちょっと、スピリチュアルな、もしかしたらちょっとオカルトなものに惹かれるのは、間違いなく母のおかげだろう。
一番そばにいたけど、一番よくわからない人。
それが、私の母親かもしれない。
もちろん、一番尊敬もしている。
今年の年末も、あの人が作ったメシを食べられたら、うれしい。
「かわいいひと 長生きしよう
ぼくをいつも 励ましておくれ
楽しいときも 侘しいときも
ブッ飛ばすから 陰ながら
喜んでくれませんか
かわいいひと」
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