迷わず、いけよ【プロポ】221017
〖怒られるのを覚悟で書くシリーズ〗
昔から、プロレスのおもしろさがわからない。
子どものころは苦手だったブロッコリーが、今ではぜひ食べたいぐらい好きになっているように、人間の好みとは成長とともに変化したり拡大していったりするものだが、プロレスはいまだによくわからない。
格闘技が嫌いなわけではない。
いや、好んでテレビや動画などを観るほどではないが、強いて言えば
漫画「はじめの一歩」をずっと愛読しているレベルではある。
端的に言うと、プロレスは、
「真剣勝負」なのか、
「ショー」なのか、わからない。
だから、嫌い、とかではなく、
「楽しみ方がわからない」という表現がしっくりくる。
おそらく、分類としては、「ショー」なのだと思う。
まず、子どものころは、子ども心に、
「なんでわざと相手のワザを食らうのか」
わからなかった。
仮面ライダーとかウルトラマンとか、そういう娯楽はしっかりと楽しんでいた少年だったからこそ、なんで、現実世界の格闘技で、そのような予定調和な都合のいいことが起こるのか疑問だった。
ロープの上で相手をつかんで一緒に飛び降りたり、タックルを待ち構えて胸で受けて吹き飛んだり、正直、意味がわからなかった。
あとは、画鋲をまきちらしたリングに相手を投げ飛ばしたり、パイプ椅子で殴り合ったり、痛々しいことこの上なかった。
いや、そういう「ショー」なのだ。
映画とかドラマで、殴り合いや、時に猟奇的な殺人があるように、それを生で体感できるスリルがあるのだろう。
そこまでなら、納得できたのだ。
納得できなかったのは、ショーであるはずなのに、
「勝ち負け」や、
「チャンピオンベルト」などが存在していたことだ。
ショーなのに、勝ち負けはあって、強い弱いといった差はある?
じゃあ、「チャンピオン」になるために必要なのは何?
そこの釈然としなさが、ずっとあった。
見せ方が上手いほど、勝てるのか?
自分が勝つっぽくなるまで我慢するタフさがあれば勝てるのか?
または、誰が勝つみたいな台本が事前にあるのか?
そういう、よくわからなさが、プロレスを好きになれなかった理由だ。
きっと、深く考えずに、手放しで楽しめばいいのだろう。
もしかしたら、「人生」もそうかもしれない。
変に、無駄に、疑問を抱いたりしていると、いい歳になって、夜な夜な独り、ソファに座って、こんな文章を書くハメになる。
よく考えずに、感じたまま、楽しめばいい。
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