大須賀乙字という俳人 5



5月号

鬼栖めば花赤き島霞みけり 大須賀乙字


  鬼栖めば花赤き島霞みけり
 鬼が栖むという伝説のある島がある。何の花だろうか、一際明るく赤い花が咲いているのが、霞の中に浮かぶ島に見える。鬼が栖むから花が赤いのか、鬼が栖むから霞むのか。「霞みけり」にどことなく優しい叙情が感じられる。
 乙字の句としては珍しい幻想的な物語性のある作品である。明治四十二年の龍眠会例会の折に「霞」の題で出した句だという。同時出句に
「砂金掘渡るとも聞く島霞む」
などがある。こちらも多分に物語性がある句と言える。この句会において、乙字は総得点で二位、第一位は河東碧梧桐であった。
 この年の四月、碧梧桐は中断していた全国俳句行脚を再開した。碧門の三羽烏と呼ばれた乙字、喜谷六花、小澤碧童に、宇佐美不喚洞、松本金鶏城、細谷不句、荻原井泉水を加えた「七人の団体」と当時呼び称された碧梧桐門下の仲間たち等と送別を兼ねて一泊ほど旅に同行した。井泉水はもう一泊、金鶏城は更にしばらく碧梧桐に同行したという。
「行く送る心躑躅に山吹に 井泉水」
などの送別の句があるが、何故か乙字の送別の句は残されていない。
  夏の雲長途の明日を思ふかな
 この句は、明治三十九年の夏、碧梧桐が最初の全国俳句行脚に出た折の、乙字の送別の句である。これから始まる師の旅の成功を祈る気持と憧れが、若々しく率直に詠まれている。
 この三十九年の最初の全国俳句行脚と、前述の明治四十二年のそれとは、単に中断していた旅を再開しただけではなく、その目的に大きな違いがあった。それは「新傾向俳句」のムーブメントである。この切欠を作ったのは、他でもない乙字だった。明治四十一年、乙字は
「思はずもヒヨコ生まれぬ冬薔薇 碧梧桐」
などを例に挙げ、季題が作者の境地や句の情緒
を暗示するように使われる傾向があると「俳句界の新傾向」と題した俳論を発表した。それを警鐘と受け取った碧梧桐は、「個性発揮」「実感を主とし、印象を重んじる」とした「新傾向俳句」の実践と広報に努めたのである。四十二年からの俳句行脚は、この「新傾向俳句」を全国に広めるという意味があった。
 この頃から大正三年ぐらいまで、乙字の句は少なく俳論は多い。四十二年の初めまでは、乙字の論調は碧梧桐に添うようなものであったが、瞬く間に全国に吹き荒れた「新傾向俳句」の流行とその実験的とも言える作風に違和感を覚え始め、四十二年六月には、すでに苦言を呈し、それを碧梧桐から「甚だしく無意味の言」と言い捨てられている。四月の碧梧桐の出立のころ、既に二人の間に秋風が吹き始めていて、乙字が詠んだ送別の句が残されていない、という訳ではないのかも知れないが、何か暗示的ではある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?