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きみは僕の宇宙だったんだよ

webcomicranking(WCR)さんが閉鎖していたことを知る。
https://www.webcomicranking.com/

「webcomicranking」は、インターネット上にある個人のウェブコミックサイトを集めてランキング形式で紹介しているサイトだ。各々のサイトに投票用のリンクを貼ることができ、それをクリックすれば1票入ると同時にWCRに飛ぶ。そこから新たなたくさんのコミックサイトを見つけることができるのだ。
 更新サイト・新規登録サイトはランキングとは別口で紹介されるので、下位のサイトでも人の目につくことができる。

 活動初期の自分にとって、個人HPトラルドと、ランキングサイトから来てくれる訪問者が世界のすべてだった。

 投稿サイトやSNSが活発、もっと言えば、商業の漫画が気軽に読める今の時代、個人のウェブコミックサイト自体が斜陽となっている。
 今でもサイトを持っている自分ですら、閉鎖に気付いたのが半年以上、後というのが、ある意味現実を映している……。

 WCRさんと通じて多くのサイトを知り、忘れられない大好きな作品に巡り合った。個人サイトの名前を上げるのは気が引けるので控えるが、人生に大きな影響を与えた存在だった。
 個人サイトの漫画は粗削りでも熱量がすごかったり、半端なくネタが面白かったり、はたまた更新頻度は低いけど絵も話もめちゃくちゃ好みだったり、と。商業漫画とはまた別の面白さや良さがあった。
 商業の安定的に高品質な作品が気軽に読める今の時代はもちろんありがたいが、一方で閉鎖されていく個人サイトには一抹の寂しさを覚える。

 また、個人的な印象として、SNSや投稿サイトは、「外で待ち合わせしてお茶する」感じ。ホームページは「お家に招かれてお茶する」感じ。わかるだろうか、この違い……。

 自分は"一国一城の主"というものに憧れがあって、自分専用の独立した場所が欲しいタイプ。だからこれからも個人HPは活用していきたいと思う。(レンタルサーバー借りといて一国一城は厚かましいか……)
 あとは、やっぱり「トラルド」ははじまりの場所であり、ここを見に来てくれていた人たちが今の自分を作っているので、感謝を込めてできる限り残し続けていたい。

 そもそも何でリアルで物販したり展示したりするようになったんだっけ?
と、思い出しても記憶はぼんやりしている。

 すべてが風化してしまう前に、覚えている限りで活動の歴史を振り返りたいと思う。

(なお今の島田つきにつながる系譜のものを”活動”としている。賞応募などの作品が公表されなかったものや習作が批評サイトでお世話になったことなどは含んでいない。しかしそれらの経験にも感謝しているし血肉になっているのは間違いない)


「モノ描きの異常な愛情 私はいかにして心配するのを止めて個人事業主になったか」

 ざっくらばんにまとめているので、現実とは多少時系列など違うかもしれないがご容赦願いたい。

 自分は学校を卒業した後にクズニートをしていた期間があった。
いや、ニートではなかった。
 小説を書いては新人賞にせっせと送っていた。
 一番最初に応募した時に、今思えばビギナーズラックだったのだろうが、三次選考まで残ったのだ。これで沼った。「もしかしたらいけるかも……!」と思ってしまったのだ。
 それから小説を書いては、応募したり、書いたはいいが結局応募しなかったり、書きかけのまま放置したり……そんなことをしていた。
 漫画の応募はしなかった。漫画絵はそのレベルじゃないと思っていたから。自分でわかっていたから。下手なりに原稿用紙にペン入れして完成させる、その繰り返しこそが大事なのだが、その頃の自分はわかっていなかった。
 だからまずはホームページで公開して、上手になってから応募しようと思っていた。それが「トラルド」である。(これはいつになっても応募しなくなるパターン)

 働かずワナビと、サイトの更新を続けること、一年――! 一年、以上ッ!
 親の機嫌がどんどん悪くなり、家の空気が悪くなり……。
 仕方がなく実家を出て働くことにした。
 都会で働くこと幾数年。その頃には応募もやめていた。サイト更新だけ気ままに続けていた。
 このころは何となく満足していた。このままの生活が続けられればいいかなと思っていた。
 しかし、働いていた職場の景気が傾き、私のような者でも何とか勤めていられたありがたい場所を退職しなければならなくなった。ちょうど故郷が恋しくなってきた時期でもあった。猫に会いたかった。

 そして実家に帰還した自分がどうしたかと言えば……ニート! 再びニートである!
 前職のお給料がまあまあ良かったこと、自分がお金を使わない性格だったことで、貯金がたんまりとあった。そのお金でしばらくは観光地に行ったりエンジョイしていた。
 当然のことだが、だんだんと親から圧がかかるようになる。

「働きたくないでござる! 働きたくないでござる!!」

 自分が始めたのは新たなサイト開設だった(何でそうなる)。
 そう、アフィリエイトで稼ごうと思ったのだ! 
 自分が苦にならずできる内容。調べ物をして情報を載せたり、作品やらニュースやらへの雑感を述べたり……そんな感じでたくさん記事を作ってアフィリエイト広告で稼ぐ!
 それが「クロックロの書斎」だったのだ。
 地図が載っていたりするのはそのころの名残である。
 ところがどっこいクリックされない、ぜんぜん、クリックされない――! これが、現実、現実なのですっ。
 ちなみに初期はとにかく大量に記事がほしいと思っていたので、人に寄稿してもらったりもした。サイト内の数記事は私以外の人が書いている。どれがそうか見抜けた人間は相当な島田つきフリークスである。(答えを言っちゃうと感想文の「007」「るろうに剣心(実写映画)」「ワンピースフィルムZ」、事件簿「柔道体罰」。のはず。だけのはず。たしか。たぶん)

 まあもともとが書くのが楽しいが第一だったので、今も感想文をせっせと書いている。

 クロックロの書斎には主なキャラクターがふたりいる。書斎の主「クロックロ」と、その助手「カンちゃん」だ。
「クロックロ」は、自分が二番目に飼った猫「クロ」に由来している。「トラルド」が最初に飼った猫「ルドルフ」にちなんでいたので、次は二番目の猫に化けさせてもらった。
 サイトを見てもらえばわかるが、わりと好き勝手書いているので、猫が書いていることにしたほうがオブラートに包まれていいかなと思った。
「カンちゃん」は、実家に帰ってきたころ、ちょうど拾った子猫だ。可愛いからマスコットキャラに追加した。

 さてここから、いかにして「黒ねこカンちゃん」をキャラクターとして中枢に置き、展示やグッズ販売をするに至ったのか?
 実のところ、ぼんやりしている。

 一番最初にカンちゃんをキャラクターとして描いたのは、こちらのイラストである。

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 黒い子猫がカンちゃんだ。

 絶賛ニート中だったので、人に頼まれて代理出店して売り子をしたりしていた。映画が中心のイベントに参加するとき用に描いたものだったはず。
また、瓶にグラスデコでカンちゃんを描いたものを持って行ったら、子供に「ねこちゃん、しっぽ!」と喜んでもらえたのも本格的グッズ展開のきっかけの一つといえる。

 何と言っても昔からグッズ化が好きだったのだ。幼少期から自分のキャラクターをグッズにすることに憧れていた。
 ニート脱却を考えたときに、選択肢となるのは当然の帰結であろう。

 始めた当時は非現実的なほど希望に満ち満ちていた、いずれハローマックのような独立した店舗を持つのだと。本気でそう思っていた(今でも思っていないわけではない)。
 私が思う「クロックロの書斎」の理想形態は、「雑貨」「展示」「本棚」「喫茶」「猫」が合わさった空間である。
 店内では雑貨が並び、本棚で書籍も売られ、奥にはちょっとしたカフェがある。また、展示空間があり定期的に芸術鑑賞ができる。私はお店の二階に猫と一緒に住む。
 というのが、夢の中の「クロックロの書斎」である。
 今でも諦めてはいない。
(ちょっとだけそれに近いことをさせてもらえたのが「新生 妖力堂」だった)

 そんなこんなのうんたらかんたらの末にちょこちょこ単発で仕事しつつ開業届を出して個人事業主になったりなんかしているが心配するのやめてなかったね!


 仕事ください。

 WCRさんの跡地から。自分のサイトも載っていて感動。
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1v50JSJtMY3AKNtlRDCSP3xD6PKhdkP5P2lOIjc0d5wI/edit#gid=2099670935

 長い間本当にお疲れさまでした。


 さよならDINO。
 個人ウェブコミックサイトの盛期と共に生きたあの時代を、私は忘れない。

(そして、もしかしてコミックルームさんも閉鎖している? 私がリンクの確認ができなくなっているだけ? 現状を知っている方がいましたら教えていただけると嬉しいです)



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