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万年筆の思い出

 こちらの記事に出てくる、亡くなった父の万年筆にまつわる思い出です。


 結婚して実家を出ることになったとき、「今まで育ててもらったお礼を置いていきなさい」と母に言われました。そして「お礼」の条件を告げられました。

 1.父と母それぞれに置いていくこと
 2.何にするのか自分で考えること
 3.それなりの金額のものにすること

 私は、条件2に違和感を覚えました。母は、私と同じく、サプライズを期待し喜ぶタイプではありません。それまでのプレゼントは、一緒に買いに行っていました。何なら、母がひとりで下見に行き決めたものを、私が後で買ってくるということもありました。

 母は「娘が自分たちのことを一生懸命考えて選んだものであれば、どんなものでもうれしい」というスタンスで言っているのではありません。「私たちが喜ぶもの、分かってるよね?」と言っているのです。実家を出るにあたっての卒業試験です。

 すると、条件3が俄然重要な意味を帯びてきます。「それなりの金額」って、みんな違いそう。「これくらいで考えているんだけど」と、それとなく直接聞き出しました交渉しました。結果、ひとりにつき10万円に落ち着きました。

 母は、何が欲しいのかな? 自分たちの結婚指輪を買った日でした。そうだ! 父と母にも結婚指輪をプレゼントしたらどうだろう? 両親も、第2の結婚生活が始まるのです。

 「指輪にしようと思うんだけど」と母に言うと、「お〜、いいね!」という反応でした。どうやら、卒業試験は無事合格できそうです。当然一緒に買いに行きました。「お誕生日ですか?」と言う店員さんに、「育てたお礼!」と誇らしげに答える母。店員さんは、ちょっとびっくりしていたと思います。

 ただ、父は「指輪もらってもな〜」という反応でした。そもそも父は、結婚指輪をしていません。私は、これを機に指輪をしたらいいと思っていたのですが、そうもいかないようです。

 「指輪じゃなくて万年筆が欲しい」と父は言いました。いいよ、スキなもので。卒業試験はすでにクリアしているし。

 父は、黒い革のシステム手帳を愛用していました。角はなじんで丸みを帯びています。書くのはシルバーの万年筆。カートリッジ式で、インクはブルーブラック。太めのペン先で書く字は、決して上手ではなく、独特のクセがありました。父のお葬式に参列してくださった方々を調べるのに、とても重宝した手帳。みんなでめくりながら「お父さんの字だね」と言ったものです。

 父は、さっさとネットで自分が欲しい万年筆を探して買いました。私はその金額を教えてもらって、父に渡しました。さすが、夫婦です。でも私も、どうせなら欲しいものをもらったらいいと思います。私だって両親の子どもなのです。

 届いた万年筆を、父が見せてくれました。「モンブランだよ」聞いたことがある名前です。高級万年筆の代名詞、という印象です。「MONTBLANK」と書いて「モンブラン」。「T」はどこにいった? モンブランのマーク、星かと思ったら、山なんだ。父は、買った万年筆について、ひとしきり説明してくれました。

 結婚式の招待状の宛名は、モンブランの万年筆で母が書いてくれました。母は書道で師範の免許を持っています。緊張しながら書く母が、新鮮でした。

 父が亡くなって遺品の整理をしたときに、モンブランの万年筆が出てきました。「もらっていい?」と母に聞くと、母は「そんなのあったっけ?」という様子でした。遠慮なくもらうことにしました。だって、もともと私のお金で買ったものだし。

 モンブランの万年筆は新しいままでした。吸入式なので、びんに入ったインクもありましたが、あまり減っていませんでした。そういえば手帳に書くには、ちょっとペン先が太すぎたって言ってた気がする。

 今、その万年筆は、私の手元にあります。ずっとしまい込んだまま忘れていたけれど、今年の春からかばんに入れていました。私の手帳に書くためです。でも、夏になり、紙の手帳を卒業してしまったので、またおうちでお留守番です。

 最近、この万年筆について思い出したことがあります。父が説明してくれたとき、音楽家の名前を言っていたのです。とある音楽家をイメージした万年筆なのだ、という意味だったと思います。

 でも、残念ながら、その音楽家が誰なのかさっぱり覚えていません。箱や説明書も残っていません。父はこの万年筆を、使うために買ったのでしょう。

 父がクラシックを聴いていた記憶はありません。父が運転するスカイラインには、日本の女性アーティストの曲がよく流れていました。きっと、そんな父でも知っている有名な作曲家な気がします。ベートーヴェン? モーツァルト? ショパンってことはなさそうだなあ。

 私は最近、エレクトーンに加え、ピアノも弾くようになりました。今まで、クラシックは弾いてこなかったけれど、ピアノを弾く方のnoteの記事を読むと、クラシックの作曲家の名前がよく出てきます。知っている名前も少しですが増えました。

 この万年筆は、どの音楽家をイメージしたものなのか。

 いつか、正解が分かるのかもしれませんし、永遠に分からないのかもしれません。知りたい気もするし、知らない方が楽しめる気もしています。

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