徳島とチャットモンチーとぼく

先日、上のニュースを見て大いにたまげてしまった。日本国内で至上最年少の女性市長の誕生だという。そして彼女のこれまでの経歴を調べてみてさらにたまげた。地元徳島の高校から東大に進学し、在学中に難病を患い、その体験を元に本を出版し、大学卒業後は徳島に帰郷して活動家として地域発展に尽力し、テレビでコメンテーターを務めたり映画にも出演したり…と、なんとまあ波乱万丈な人生。それで何故自分がたまげているのかと言うと、彼女が中学・高校の頃の同級生だったからだ。

とは言っても、学生当時に自分とは接点らしい接点はなかった。一回くらい同じクラスになったことがあったかな、程度のものだ。その時の僅かな記憶を辿ってみると、確かに彼女は当時から活発で、男女問わず友達が多く、勉強も出来るし全体行事も率先して盛り上げるしで、クラスの中心となるに相応しい存在、紛うことなき陽キャだった。当時から陰キャまっしぐらの自分はもちろん、そんな彼女を遠くの方から眺めることしかしていなかった。なので彼女が市長になると知った時、もちろん驚きはしたが、同時に深く納得もした。さすがに上記のような濃い人生を送っているとまでは思わなかったが、きっと持ち前のバイタリティ、リーダーシップを政治でも存分に発揮してくれるんだろうと思う。それと同時に、いつの間にか彼女は自分なんかよりも遥かに速いスピードで人生のステップを駆け上がっていたんだな、と遠い景色を見るような気持ちになってしまった。別に今の自分の人生が不満なわけではないが、こう、人生をやっていく覚悟のようなものが全然違うんだろうなと。

それで、どうも自分は過去にも同じような気持ちになったことがあるな、それはいつだっただろうと考えていて、思い出した。チャットモンチーというバンドがデビューすると知った時だった。

彼女らは年齢も出身地も自分と同じだった。何せ田舎中の田舎なもので、有名人が出てくること自体が稀少なものだったし、まさか同い年のロックバンドがメジャーデビューするなんて夢にも思っていなかった。しかもロッキングオンジャパン激推し、プロデューサーがいしわたり淳治ってマジかよ、とか。リリース日には徳島駅前の CD ショップにデカいポップが飾られ、期待の新人バンド!徳島の!と相当にリキの入ったプロモーションが行われていた。「chatmonchy has come」。自分もリアルタイムで買った。最初はなんだか垢抜けないなあ、そこはやっぱり徳島人っぽいなあとか思ったりもしたが、素朴に良いとも思った。そして、彼女らは自分なんかとは人生に対する覚悟が違う、やっていきの質量が違うのだなと実感した。自分は医療系の大学に入っていて、収入を手堅く得ながら趣味は趣味として楽しめればいいかなという考えだった。それを決して悪いことだとは思わないが、もしその趣味を実際に仕事にして、楽しいことだけを必死こいてやる人生というのはどんなものだろう、なんてことはたまに夢想したりする。彼女らはそれを夢想ではなく現実のものとしていた。それから程ないうちに彼女らはブレイクを果たし、批評家、同業者からも評価を勝ち取った。確実に、自分は彼女らに憧れを抱いていた。

それと、個人的に彼女らには少し負い目を感じているところがある。負い目と言うのが適切かどうかわからないが…それは徳島への郷土愛についてである。チャットモンチーはブレイクを果たした後も定期的に徳島で凱旋ライブを行い、出身校の卒業式でサプライズライブをやったり、「Awa Come」というミニアルバムでは徳島レコーディングを敢行して「青春の一番札所」なる徳島ご当地ソングを収録したり、極めつけには徳島の最大キャパ会場であるアスティとくしまでフェスを主催するまでに至った。自らが県の宣伝隊長を買って出ると言わんばかりに、徳島関連のイベントや楽曲制作を積極的に行い、とにかく地元を活性化させようと奮闘していた。

翻って自分はどうなのかと言うと、現在は大阪に住んでいる。正直、徳島に帰るつもりはさらさらない。むしろ高校を卒業した時点で、もう徳島とは縁を切りたいとすら思っていた。何しろ田舎もいいところだ。どこぞの47都道府県魅力度ランキングでは下から数えた方が圧倒的に早い。電車はなく、ディーゼルエンジンで動いている電車もどきがある。それが1時間にせいぜい1、2本だ。実家の周りは山と川と田んぼしかない。車なしでは生活が成り立たない。幸い CD ショップは品揃いの良い店があったが、ライブの様子は基本的に雑誌か映像でしか確認できない。直に体験しておくべきだったのに叶わなかった現場がいったいどれだけあっただろうか。音楽にのめり込み始めていた田舎住まいの自分は、住んでいる環境に閉塞感を覚えていた。とにかく実家を出たい。都会に行きたい。そんなことばかり考えていたように思う。

いきなり全く別の畑に話が飛んでしまってアレだが、かつて cali≠gari が発表した曲の中に「東京病」というのがあって、その歌詞の内容がずっと自分の心に沁みついている。"自分の目に映る 今では笑ったこの大空が/東京病に敗れちまった僕には正しいというのにね" 。自分の場合は大阪病だが、この街にいる方が自分の望みを叶えられる、自分らしくいることができるという心情の吐露に深く共感していた。実際に都会に出てみて、自分が思い描いていたヴィジョンとのギャップや、不満などはひとつも出てこなかった。都会は刺激に満ち溢れていた。音源もライブも物量が段違いだった。この曲が発表されたのは2002年。この時点で、歌詞の中の主人公(桜井青)と同じように、いつしか自分は徳島を過去の中に捨てていた。

ところが。捨てたと思っていたら、チャットモンチーと出会ってしまったのだ。彼女らの止め処ない郷土愛を見るたびに、自分はとてもむず痒い気持ちになっていた。気持ち的には徳島を捨てておきながら、徳島出身のバンドには本能的に親近感を覚えてしまうという、このアンビバレンス。それは最初に述べた新徳島市長についても通じるものがある。細かなマニフェストは見ていないが、自分と同じ世代の人が、同じ故郷をどうにか活気づけようとする、その姿に感動を覚えようとしている。あまつさえ応援しようとすらしている。しかしそれはよくよく考えてみると、すでに徳島には帰らないと決めている人間が今更何を言うか、さすがにそれは傲慢なのではないか、などと色々複雑な心境になるのである。まあ新市長はともかくとして、チャットモンチーに対しては結局、自分はそういった感情を抱いたまま、最後まで目を離さずにいた。音源は発表されるたびにチェックし、曲の素晴らしさに感嘆したり、この曲はちょっとどうなんだ…と首を傾げたり、最後まで楽しませてもらっていた。単純に曲の魅力にのめり込んでいたし、成長の速度があまりにも鮮やかだったもので、映画のようなサクセスストーリーをリアルタイムで見る時の興奮にも取りつかれていた。常に翻弄されっぱなしだった。解散を発表したあと、最後のライブに行けなかったのが心残りだ。武道館公演は映画館のライブビューイングで見たけれど。色んな意味で、チャットモンチーは自分の中で決して忘れられないバンドのひとつとなった。

そして2020年。チャットモンチーはもういない。阿波踊りは金やら政治やらの話で運営がえらく揺れている。夏にはそごうの閉店が決まり、徳島は47都道府県で唯一デパートの存在しない県となる。駅前からは地元の個人商店が次々となくなり、商店街は日曜日でもえらく閑散としている。代わりに駅前あたりでは全国チェーンの店が幅を利かせるようになった。記名性は少しずつ脱落し続けている。かつて足繁く通っていた CD ショップは全て消え失せた。マチアソビというアニメ/ゲーム関連の町おこしイベントは定期的に行われているが、その中心地であった徳島のオタク聖地こと南海ブックスも閉店が決まった。若者向けのカルチャーは潰え、もう自然とか伝統的建造物とかしか残ってないんじゃなかろうか。たまに観光するぶんには良いが…。若い市長が決まってこれから風向きが変わるかもしれないが、自分の徳島に対するアンビバレンスは依然として根強く残っている。いつか氷解する日が来るんだろうか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?