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Billie Marten "Flora Fauna"

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イギリス・リポン出身のシンガーソングライターによる、約2年ぶりフルレンス3作目。

自分の顔中を土まみれにして満面の笑みを浮かべるカバーアートがインパクト大だが、なぜそうしなければならなかったのか。土や草の感触、暖かみを直に確かめたかったからである。アルバム表題の "Flora Fauna" とは直訳すれば植物相・動物相、すなわち自然、世界ということになる。今作の歌詞には現代の自然や社会に対しての彼女の抱えている思いが随所に散りばめられており、それが音の鳴りと合わさることで優しさと辛辣さが入り混じった多層的な世界観を構築している。

音楽性はざっくり言えばオルタナティブロック。フォーク寄りのテイストだが、人によっては微かにグランジの匂いを嗅ぎ取れるかもしれない。過去の彼女の作品はそうではなく、アコースティック/エレクトリックギターの慎ましやかな弾き語りを軸に、奥行きのある空気感を注意深く醸成し、その中に淡い陽の光や幻想的な冷たさを滲ませた、若手のフォークシンガーとしては割と正統派と呼べるような方向性だった。それが…話によると酔っ払った勢いでベースギターを購入したのがきっかけだったらしいが…ここでは大胆な方向転換を図り、バンドサウンド主体で以前よりも音の多彩さと力強さが増した作風に仕上がっている。なにせオープナー "Garden of Eden" のイントロからフィンガーノイズも思いっきり混入してのぶっきらぼうなベースリフをカマしてくるので、従来のファンはまあ困惑しただろう。そしてサビでは寝室のカーテンを開けて朝日が差し込んできたのように開放的なサウンドとなり、彼女がかねてから持ち合わせている繊細なメロディセンス、そこに絶妙にドリームポップ風の心地良い浮遊感も打ち出し、総じてなんとも滋味深い良質のインディフォークロックとなっている。

その中で綴っている歌詞の内容はと言うと、"Garden of Eden" に関しては彼女の Instagram にセルフライナー的な投稿がある。いわく、「食べていくために、または活躍の場を与えられるために、競争社会の中で日々成長していくことを求められている私達は、本当の意味では生を全うしていないのかもしれない」というのがテーマ。色鮮やかな草花に太陽が降り注ぐ空間こそが自分の庭だとし、曲の終盤では「ここから逃げたい場所なんてない/私を見て、春に咲く花のようだわ」と歌う。この逃避願望の表れにはポジティブとネガティブ双方が綯交ぜの印象を受けるが、夢見心地な曲調とは裏腹のひりついたリアリティを感じるのは確かだ。そして次曲 "Creature of Mine" は自然破壊についての歌だと思うが、初っ端からいきなり「ああ、母なる自然は言う/全てが悪い方向に向かっていると」とあり、今いる場所から2人で逃げ出そうとするアポカリプス SF のような描写まで飛び出してくる。この世界観の拡大っぷりにはいささか面食らうが、演者の体温がひしひしと感じられるアンサンブル、そしてさり気なくそばに寄り添ってくる彼女の歌声が伴うと、環境の悪化が SF などではなく極めて身近な問題であり、自分も紛うことなく当事者のひとりであるという事実を再確認させられているような心地になり、陶酔感のある音の中でヒヤリとさせられる。

その後もフォークやオルタナティブの要素、または簡素な打ち込みを交えたりで上品かつタフな芯のあるサウンドを織り上げていくのだが、それらは表面的には耳馴染みが良く、程良く刺激的でありながら包容力もあり、ただただ聴き惚れるしかないといった塩梅である。しかし、その収まりの良さと相反するように、歌詞の中での彼女はずっと居心地の悪さを感じている。街中で戦車を乗り回す MV に度肝を抜かれる "Human Replacement" では、女性が夜にひとりで外出する時の恐怖を歌い(今年3月にはロンドンで帰宅途中の一般女性を警官が誘拐・殺害する事件が起きている)、"Ruin" では自罰的になりながらも心からの安息を求め、その次の "Pigeon" では世間一般が押し付けてくる「安息」のイメージに嫌悪感を示している。Garden of Eden なるものがこの世のどこに存在するのか、彼女は迷いながらも力強く歩を踏み出し、これまでの内省的なスタイルからも脱却して、あらゆる方向に強い眼差しを送っているのだ。今作は牧歌的でウェルメイドなポップロック集だが、単に心地良いだけではない複雑な感情の交錯を、音と言葉の隙間に読み取ることができる。実に聴き込み甲斐のある傑作だと思う。

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