コロ騒ぎは、昔のインフル騒ぎと似てる

2010年1月に出版した『サはサイエンスのサ』(今でも売ってるから、面白そうと思ったら取り寄せて買ってね)から、ちょい長いけど、インフルエンザ関係の話のところを抜粋。だいたい今起きていることと同じだね。

しかし、今回は経済的ダメージと文化破壊がはるかに深刻になったという違いはあるが。

○インフルエンザと魂かなしばりの術
 二〇〇九年四月の終わり頃に流行が認識され、六月十一日にはWHOによるフェーズ6=パンデミック宣言も行われた、ブタインフルエンザというかメキシコかぜというか、公式名称新型インフルエンザA(H1N1)。
 これを巡る一連のできごとは、ぼくたちの世界認識が、いかにあやふやなものかを改めて認識させる、示唆的な出来事だったんじゃないかなあって思う。
 科学ってのは、とりあえず、この世界を最も正確に描写できる方法だと思われているよね。でも、そのやり方は、ゲゲゲの鬼太郎の必殺技、「魂かなしばりの術」みたいなものだ。
 この術は、強すぎて鬼太郎も敵わないとか、人間に憑依していて直接攻撃できない妖怪を倒す時に使われた奇計なんだよね。
 どういうものかというと、まず鬼太郎は画家の扮装をして、倒すべき妖怪の家を訪れる。
 で、あなたは強くてかっこよくて素晴らしい、ぜひ肖像画を描かせて下さいと頼むのね。おだてられていい気になった妖怪はそれを許可。鬼太郎は、あなたの好きな色は?とか、好きな食べ物は?とか、質問を一つしては紙とか石に点を打ち、点描のように肖像画を描いていく。
 ある数の点を打ち終わったとき(個数は適当みたい)、鬼太郎はその点を素早くつないで、絵を完成させる。すると、妖怪の魂は、絵の中に封じ込められ、あとは紙を焼くなり石を井戸の底に投げ込んで終了~。
 科学ってのは、まさにこんな感じで、世界に対して、実験や観測などの形で質問を投げかけ、一つずつ点を打っていく行為なんだよね。点一つだけでは、世界はほとんどわからないけど、たくさん点を打つうちに、なんとなくそれっぽい絵が浮かび上がってくる。
 もっとも、点はまばらにしか打てないので、その絵はおぼろげで、見方しだいで色々なものが見えちゃったりする。これは平たい団扇だよね、いやいや長い棍棒だろ常考……とかね。でも最終的には、でっかいゾウなのかも知れない。
 インフルエンザは、毎年流行するお馴染みの病気で、感染症の中でも最も明らかにされている部類の病気であることは間違いない。でも、現実には重要な知識の欠落がかなりある。
 ところが、その欠落の存在に、素人だけでなく、専門家もあまり気づけない。
 なぜなら、盲点と同じような感じで、わかっている知識から導かれる合理的な推論で、欠落部分を補完してしまうから。疑いの余地がなさそうな理路の通った説明で欠落が補完されると、それが現実には未解明で、真実とは違う虚像にすぎなくても、なかなかそのことに気づきにくい。
 たとえば今回の流行で、マスクにインフルエンザの予防効果があるかどうか、実は不明だってことが、突然知られるようになったよね。これについては、科学的にしっかりした証拠はなくて、WHOもCDCも予防効果は期待できないと警告していたのだった。
 マスクにはサージカルマスク(普通よく見るやつ)とレスピレータ(防塵マスク。N95とか)がある。前者は着用した人がくしゃみとかで飛沫を飛び散らす量を減らすもので、予防のためのものじゃない。後者は結核やSARSなどで有効だったけど、それは医療従事者がきちんと訓練を受けた上で防護服といっしょに運用したときの効果で、普通の人が日常で使って同じような予防効果があるとはとても期待できない。てことになると、病気じゃない人がマスクをするのは、魔除けのお札を貼るのと大差ない。
 ただ、サージカルマスクだって、予防効果ゼロかというと、必ずしもそうとは言い切れない。
 インフルエンザのような飛沫感染の場合、感染の機会がいちばん多いのは、空気中に漂うウイルスを含んだ飛沫を吸い込むことじゃない。狭い空間で感染者と長時間いる場合ならそれもあるかもだけど、多くは、ドアノブとかつり革などに付着しているウイルスが手につき、その手で鼻や目を触れることで感染が起きる。だから、感染予防には手洗いがいちばん有効なわけね。
 ただ、マスクをしていれば、汚染した手で鼻や目を触る機会が減るから、感染の確率も自ずと下がるはず。……と、この説明はもっともらしいと思うかもしれないけど、これもまた、点としてわかっている事実を、論理で補完して描いた空想にすぎないんだよね。
 これで、本当にどの程度感染が防げるのか、定量的にはわからない。それでもやっといて損しないという考え方はあり得るけど、それは宝くじだって買わないと当たらないというのと同じ程度の発想だ。大昔からマスクは使われてきて、それにもかかわらず日常的なマスクの使用についての予防効果が明らかでないということは、仮にあったとしても、ごくわずかでおまじない程度でしかないってことだ。明白な効果があるのなら、もっと簡単に確かめられるだろう。
 だれかのおまじないのためにマスクが品切れになって、ウイルスを出しているインフルエンザの患者がマスクを手に入れられず、感染機会を増やすなんて本末転倒なことが起きてしまうとしたら、いい加減な推論はかえってリスクを増やすってことにもなる。(まあ、この推論も事実ベースではなく、空想なんだけどね)
 今回の新型が、こんなに話題になったのは、それが観測可能になったから、ということがかなりあると思う。
 世界的には、2003年に高病原性鳥インフルエンザH5N1が直接ヒトに感染することがわかって以来、これがいつヒトヒト感染する新型に変異してパンデミックを起こすかかわからないということで、世界的に厳戒態勢がしかれてきた。
 高病原性鳥インフルエンザは、これまでわかっている範囲では、ヒトに感染しても極めて致死率が高いらしい。幸い、トリの病気なので、滅多なことではヒトに感染しないし、感染したヒトから別のヒトへ次々に感染することもない。でも、もし、ヒトヒト感染する性質のウイルスに変異したら、つまりパンデミックが起きたらえらいことになるもんね。
 で、そういう厳戒体制のもとで、メキシコで異常に致死率の高いインフルエンザが発生したらしいという話が伝わって、今回の騒動がはじまった。
 まあ、致死率の話は、しばらく後に、誤認だったって事がわかったんだけど。でも、当初の警戒感から、高病原性鳥インフルエンザ用に用意されていた態勢が起動して、今まで見えなかったことが、見えるようになってしまった。で、それがこれまで普通に起きていたけど気づかなかったことなのか、全く新しい特別なことなのか、区別がつけられないって感じがある。
 たとえば、季節性インフルエンザは、北半球では夏には姿を消すと考えられてきた。たぶん南半球に流行の拠点を移して、そちらで命脈をつなぎ、北半球が冬になると戻ってきて流行を繰り返すんでないの、とか空想されていたわけね。
 でも、新型は夏も散発的に続いていた。これは果たして、新型ウイルスによるパンデミック特有の現象なんだろうか。それとも、もともと季節性のウイルスも、夏場に散発的に感染が続くものなのに、気づかれていなかっただけなのだろうか。
 新型は、これまでにないレベルで観測が続けられているし、メディアもインフルエンザの話題をどんどん流すので、例年なら気にしなかった人も、ちょっと具合悪いかなってだけですぐに病院へ行く。すると報告される患者数が増え、それがまた報道され、心配する人が増えて……なんてスパイラルが起きている可能性がある。
 季節性に流行する理由として、インフルエンザウイルスは湿気に弱いからと説明されてきた。でも、これも妙な話なんだよね。
 なぜなら、東南アジアなどの高温多湿な地域では、流行は雨期に起きるから。
 となると、高緯度地帯での季節性の流行は、ウイルスが湿気に弱いからではなく、空気が乾燥することで、人間側の抵抗力が弱まるから起きているのかもしれない。
 こんな当たり前だと思われていたことですら、この世の真実なのか、点描によって見えている虚像なのか、区別するのはちょう難しいんだよね。

○公衆衛生上のリスクと個人の脅威
 それにしても、新型インフルエンザってのは、いったいどれくらい恐がったら良い病気なんだろう。メディアから連日のようにインフルエンザの話を耳にすると、なんだか不安になっちゃうんだけど……。
 この病気による致死率など、早いうちから色々な値が出てきているけど、そういうのは暫定的なもので、きちんとしたデータに基づいた結果は、パンデミックがだいたい収まった数年後にならないとわからない。ただはっきり言えるのは、警戒されていた鳥インフルエンザのような強毒性ではないので、リスクとしては季節性インフルエンザとほとんど同じくらいだろうって事だ。
 もっとも、季節性と全く同じというわけではなくて、日本での新型の特徴としては、5歳以上の子どもでも、脳炎になるケースが見つかっているってことがある。季節性では、インフルエンザ脳症は5歳以下の子どもの病気とされてきたんだよね。
 このインフルエンザ脳症ってのも、実はまだ謎が多い。この病気はインフルエンザによる発熱の後発症するんだけど、脳内でウイルスが見つからないんだよね。しかも、外国では症例がほとんどなくて、そのせいで海外に共同研究を働きかけても乗ってくれるところがないらしい。
 それって、いったい何を意味するんだろう。国の保険制度や文化の違いで他の国では目立たないだけなのか、あるいは日本人の遺伝的な特徴と病原性が関係しているのか。解熱剤との関係も疑われるけど、現時点でははっきりしたことは言えないんだよね。
 新型の特徴としては、もう一つ肺炎を起こしやすいともいわれている。これについては、東大の河岡義裕さんのグループの研究で、3種類の実験動物で肺で増えやすいという結果が出ているので、ウイルスの特徴としてそうなのかもしれない。
 こういう、子どもの重症化に注意という情報は大事なんだけど、受け取る側はこれをものすごく恐ろしいものだと感じてしまうって問題がある。
 冷静に考えれば、今回の新型は季節性と同じ程度のリスクなので、そんなに恐がる必要はないはずだ。実際、感染者総数の推定と死者を単純に割り算すると0.01%かそれ以下で、季節性の致死率より低いくらい。
 誤解を恐れずにあえていえば、インフルエンザなんて季節性も今回の新型も、水分取っておとなしく寝てれば何日かで癒る、たいしたことない病気なんだよね。ハイリスク群の人だって、大半はどってことない。
 こういうと、タミフル否定論者(というか全ての薬と予防接種の否定論者かな)の浜六郎さんの言っていることと同じみたいだし、毎年万のオーダーで人が死ぬ病気なのにたいしたことないわけないじゃんかと思う人もいるだろう。
 でもそれは、公衆衛生上のリスクと、個人レベルの脅威が、混同されていることによる誤解なんだよね。
 新型インフルエンザや、季節性のインフルエンザは、公衆衛生の観点からは重大な病気だ。ただし、それは致死率が高いからじゃない。
 インフルエンザによる致死率は、人類史上最悪の疫禍となった1918年のスペイン風邪で2%、パンデミックだった57年のアジア風邪と68年の香港風邪が0.5%、季節性インフルエンザだと日本で0.05%だ。
 この値は、感染症の致死率としてはたいしたもんじゃない。たとえば病原性大腸菌O157で溶血性尿毒症症候群になると致死率は1~5%。マラリアだと3%から下手すると20%なんてこともある。
 じゃあインフルエンザの何が問題かというと、感染力が強いので、短時間に感者数が莫大な数になることにつきる。
 患者数が莫大だと、重傷化率や致死率が低くても、絶対数は多くなる。それに、多くの患者が病院に殺到すると、ほとんどの人は軽症であるにもかかわらず、医療スタッフや薬品、治療機材などの医療資源を食いつぶしてしまう。その結果、十分な医療資源がないと命の危険に直結するような別の病気の人にまで、手が回らなくなる。
 これはネットに例えるなら、あるサーバーに莫大な数のリクエストを集中させてダウンさせる、DDos攻撃みたいなことが起きるって事ね。
 公衆衛生上のリスクと個人レベルの脅威が違うということは、たばこの毒性を考えるとわかりやすいかもしれない。
 たばこの毒性については、世界中で多数の研究が繰り返し行われてきて、これほど明確な結果がでている話はないくらい。たばこはありとあらゆる病気の原因になり、非喫煙者に比べて死亡率も高い。
 死因を問わない死亡率は、日本人全体では年0.8%程度なのに、喫煙者に限ると1%以上になる。考え方によっちゃ、今回の新型インフルエンザより恐いわけだ。
 公衆衛生の観点からすると、色々な病気の原因になるたばこは、今現在、医療資源を多く消費しているので、やめてよねって宣伝される。たばこ税を上げようって話が出てくるのも、税収増よりそういう理由付けがある。
 ま、全ての人がたばこを吸わなくなっても、人はいつか必ず病気になるので、たばこ税を上げたからと言って、今より医療保険料や医療資源が節約できる保証はないけどね。
 それはともかく、個人のレベルでは、たばこを吸ったからって、ほとんどの場合即死するわけじゃないから、たいした脅威ではないと認識されていて、平気で吸えるわけ。
 これと同じで、個人レベルでのインフルエンザ感染は、ほとんどの場合どってことなくて、罹ってもそんなに怖がるようなことじゃないわけだ。
 WHOとかCDCとか厚生労働省とかの公的機関は、その立場上、公衆衛生上のリスクを語ることしかできない。でも、情報を受け取る側はそれを個人レベルの脅威と感じて、公衆衛生上はむしろやってはいけない行動をとり、問題をかえってややこしくするいうパラドキシカルな状況が生じてしまう。
 そういう問題があることは、公的機関も、メディアも、個人も、ほとんど自覚できていなんじゃないかな。
 インフルエンザの場合、公衆衛生の観点からすると、その目標は感染者の数をできるだけ少なくして、医療資源の食いつぶしを防ぐことだ。だとすると、やるべきことは入院患者がいる大きな病院には、インフルエンザ疑いのある患者を殺到させないってことなんだよね。
 極端な言い方をすれば、熱が出てインフルエンザっぽい人は、病院にも行かず、家でじっとして癒して貰うのがいちばんいい。
 どうせ滅多にたいしたことにならないんだから、それが最適なわけね。もちろん、普通とは違う異常な症状があるときは、迷わず速効で病院に行くべきだけど。
 それから、いろいろなところからそういう話を聞くんだけど、新型インフルエンザは、強毒化する前に罹っておく方がお得だ、なんて言いふらしている人がいるようだ。
 でも、それは大きな間違いだし、エゴイズム以外のなにものでもない。自分は大丈夫でも、ハイリスクな人など、誰かに移して重傷化させる可能性はある。患者の数を増やさないことが最も大事なので、早めに患者になろうなんてのは愚の骨頂なんだよね。
 だから罹っていない人は、なるべく罹らないように人混みを避け、手洗いを励行して、ワクチンが出てきたら早めに接種するというのが良いと思うのねん。
 
○予防原則もほどほどが良いんでないの
 それにしても、新型がそのうち強毒化するという話も、ぶっちゃけ、そういうことがあり得るかどうかすら怪しい話だ。この話の根拠は、スペインかぜが、第二波で強毒化したという説があるからだろう。
 スペインかぜは人類史上最大の死者を出した感染症で、1918年から19年にかけて当時の人口18億人のうち、6~9億人が感染し、2000~5000万人が死亡したと言われる。そしてこのとき、第一波はそれほど重傷者がいなかったのに、半年後の第二波でたくさんの人が亡くなったってことになっている。
 この説は、非常に丁寧な分析ではあるんだけど、そもそもスペインかぜの流行状況は第一次大戦中の機密として秘匿されてしまって、データそのものがあまり確かなものではない。感染者数や死亡者数が研究によって大きくばらついているのもそのためだ。
 それに、他のインフルエンザパンデミックでは、第二波のほうが重症化するということはほとんど観察されていないのね。
 まあ、高病原性鳥インフルエンザについてなら、過去に一度、1983年のH5N3型が弱毒性ではじまったのに、途中で強毒性に変化したという事例がある。だけど、これとヒトのインフルエンザとはいっしょにできない。
 なぜなら、高病原性鳥インフルエンザの強毒性と弱毒性の違いは、遺伝子のレベルで明確に区別がつけられるけど、ヒトのインフルエンザが重傷化するか否かについての違いは、何が原因か全く解っていないからだ。と、いうより、そういう違いがあるかどうかさえ確かじゃない。世間では、ヒトのインフルエンザに対しても、強毒性、弱毒性という言葉を使っているけれど、実はこれは全く定義されていない間違った言葉なんだよね。
 スペインかぜは、季節性のインフルエンザと違って、高齢者や幼児よりも若者が重傷化しやすかったとか、それはサイトカインストーム(免疫系の暴走で自分を攻撃してしまう現象)のせいだとか色々言われたりもするけど、そういう話も状況証拠からもっともらしい話をでっち上げて推定しているだけで、厳密にはあまりあてにならない。
 そもそもこの時代は、まだ抗生物質がなかったので、細菌の二次感染で起きる肺炎で死ぬ人も多かった。つまり死亡率の高さが、必ずしもインフルエンザの毒性の高さを示すわけじゃない。
 それに、第一次大戦といえば、戦車という新兵器の開発に伴って、塹壕戦という全く新しい戦法が使われた時だった。塹壕の中ってのは、水が貯まったり、ものすごく寒くて不潔な超劣悪な環境で、その中に長時間多くの若い兵士が押し込められていた。そんな、伝染病に蔓延してくれといわんばかりの環境が、歴史上はじめてできたわけね。
 こう考えると、若者がバタバタ倒れたのはウイルスのせいというより、この酷い状況のせいじゃないかとも思える。実際、スペイン風邪の型はH1N1で、これは今の新型と同じだし、これまで季節性で世界で最も流行してきたAソ連型もこれだ。それぞれ遺伝配列には若干違いがあることは確かだけど、ホントは病原性に大きな違いはないのかもしれない。
 さらにいうなら、近いうちに高病原性鳥インフルエンザがヒトヒト感染するウイルスに変異し、ヒトをバタバタ殺す恐ろしいパンデミックが起きるかもという予測も、点描の世界に浮かび上がった幻にすぎないって可能性もある。
 高病原性鳥インフルエンザは、2003年までは家禽ペストと呼ばれていた。
 この病気にニワトリや七面鳥やクジャクがかかると、ウイルスが全身に感染して、脳炎や全身出血でほぼ確実に死んでしまう。だから、養鶏業者にとっては、深刻な経済的被害をもたらす恐ろしい病気だったのね。
 ただ、これがヒトに感染するとは思われていなかった。
 この病気が認識されたのは、18世紀末から19世紀はじめにヨーロッパで起きた大流行からだ。この少し前から、大規模な養鶏が行われるようになったんだよね。
 家禽ペストウイルスは1927年に分離されたんだけど、それが1955年になってA型インフルエンザ・ウイルスと同じものだいうことが明らかになった。実は、家禽ペストウイルスこそが、人類が最初にみつけたインフルエンザ・ウイルスだったんだよね。
 A型インフルエンザは、ウイルス表面に生えている糖鎖の違いで分類されていて、H鎖(ヘマグルチニン)が16種類、N鎖(ノイラミニダーゼ)が9種ある。
 でも、その全ての組み合わせのウイルスに感染するのは水禽類(カモ類)だけだ。しかも水禽類は感染しても普通は症状がなく、腸管にのみ感染して(呼吸器の病気じゃない)糞便に排出される。このことから、インフルエンザはもともと水禽類の病気で、進化の歴史の中で水禽類にとっては無害になったんじゃないかと推定されている。
 一方ニワトリは、Hの1~7、9、10と、Nの1、2、4、7の組み合わせのウイルスに感染するけど、大半はあまりたいした症状を出さない。ただ、H5とH7の中には、必殺の家禽ペストになるものがある。ここでポイントは、全てのH5、H7が必殺というわけではなくて、H5とH7の中でも、遺伝配列が特定のものだけが強毒性になることだ。
 それからヒトには、A香港型のH3N2、スペインかぜやイタリアかぜ、Aソ連型、今度の新型のH1N1、アジアかぜのH2N2の、3種類しか感染しないと思われていた。
 ところが、80年代後半くらいから遺伝子レベルの解析技術が劇的に進んで、ウイルスの進化の系統関係がわかるようになったんだよね。
 その結果、インフルエンザ・ウイルスは、まるで染色体みたいに遺伝子が8つの分節に分かれていて、パンデミックになるような大きな変異は点突然変異ではなく、分節ごと別の系統と入れ代わる、まるで異性生殖みたいな遺伝子交換で起きていることが明らかになった。
 ウイルスなのにそんな事があるなんて超びっくり。しかも、パンデミックを起こすウイルスは、トリにしかかからないウイルスの遺伝子の一部が混じっていたことも明らかになった。
 で、そういう遺伝子の交換は、ヒトとトリの双方のウイルスに感染するブタの体内で起きるんじゃないかと推定された。だからこのころは、パンデミックを起こす新型ウイルスは、アヒルとブタとヒトが同居する、中国南部あたりから発生するのではないかと警戒されていた。
 ところが1997年、タイでH5N1のヒトへの感染が初めてみつかり、しかも18例中6人が死亡するという驚きの事件が起きたのね。しかもこれは、トリのインフルエンザが直接人間に感染したものだった。ちょうどその少し前から、世界中でH5N1家禽ペストの大流行が起きていて、それが人間に感染したわけ。
 同じ頃、技術の進歩で、遺伝子の検査がすばやく安価にできるようになり、世界中で死んだ鳥とか動物にどんどん検査が行われ始めた。すると、世界中の野鳥にこのウイルスがが蔓延しているうえに、それまでインフルエンザにかからないと思われていたネコ科の動物まで、H5N1で死んだ例が見つかっていった。
 で、こりゃあ大変だ、このままでは死亡率の高いH5N1がパンデミックを起こすのも時間の問題だってんで、今の監視体制ができたわけだ。
 これだけ色々あれば、そりゃあ当然の対策ではあるよね。
 でも、少し落ち着いて考えてみると、これらの色々は、研究技術の進歩によって、新鮮な驚きとともに新しい事がわかってきたことと切り離せない。このびっくりどっきりによって、世界は点描の中に浮かび上がった幻を見ている可能性がある。
 今明確なのは、高病原性ってのは、分子メカニズム的にHの5と7の一部でしか生じない特徴で、歴史的にヒトヒトで感染を広げられるHは1と2と3しか知られていないってことだ。つまり、高病原性のウイルスがヒトヒト感染するようになる変異は、原理的におきない可能性だってあり得る。
 もちろん、今の段階でそう証明はできないけどね。だから、予防原則で今みたいな警戒態勢を敷くのは、正しいことは正しいと思う。
 ただ、予防原則というのは常に暴走しやすい性質がある。
 たとえば核兵器は、一時は地球を2000回焼き払えるくらい存在していた。これはつまり、敵がこうくるかもしれないからそれに備えようって言う予防原則で用意されたわけだ。
 でも、いくら予防のためでも、地球を2000回焼けるような量はいらんだろって今からなら思うよね。人は恐怖に後押しされると、それで利益を得る人もいっぱい出てくるし、その時はほどほどってものがわからなくなっちゃうのよね。よほど注意しないとやり過ぎちゃうわけだ。

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