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雪の多い北海道で京都的風景保存はムリなんだな〜と思えた件。

こんちはこんちは。
相変わらず納期に追われていながらも消費期限が早すぎる樹液のシロップ化に追われて忙しいフリしてるエフゲニーマエダです。

久々に敬愛するひろゆき氏こと西村博之氏が2018年かに叙述発行された著書「働き方無双」の後半にて、「日本は京都など歴史的景観で外国人を呼べてる独自文化のある国なのでこの先も景観を”放っておく”ことで新たな観光資源を生み出せる」と書かれてました。

街並みを"あえて"放ったらかして観光資源化する方法に関して僕は、比較的歴史の浅く開拓の歴史が色濃い北海道において明治維新以降の西洋文化の流入とともに発展した西洋色の濃い歴史的景観をこの先も保存することで自治体や地区が歴史の証人となりうるだろうと考えていたの
で・す・よ。

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結論からして、豪雪地帯とされる旧産炭地の空知地域はそれが難しいようです…。
(写真は空き家になって10年ほどの昭和30年型モルタル住宅)

空き家が2020年豪雪のドカ雪に耐えることができず、今朝11時頃ついにドシャッと逝ってしまわれました…。
屋根には落ちる事のなかった1mあまりの圧雪がありました。

雪国で昭和経済成長期型の建物が残りづらいプロセスはこうで、
①空き家になり、屋根に伝わる熱源が消える
②長年の人的管理がなされず、換気なされない湿気などで梁柱の強度が下がる

③積雪期、屋根に伝わる熱が無いので溶け落ちることなく残り続ける
④春になり屋根上にて雪が表面より溶けはじめることで落ちずに重くなる
⑤家屋が潰れる

こういったプロセスを辿って古材とトタンの瓦礫の山になります。
人のいない(生活熱の発生しない)家屋は屋根の雪が落ちないので、それが厄介なんですね。

いくらツルツルのペンキ塗装トタンであっても、屋根面と接する雪の部分はガリガリになっていて、それが大きな摩擦効果を生み出し屋根に残り続けます。
雪が降れば降るほど、純粋な積雪量となるのがまた恐ろしいところ…

なのでいくら灯油代暖房代が惜しいからといってケチり続けると屋根の上の雪が留まり続けるので良い事はないのを表していますね。

というワケで!!
我が街ではまたさらに空き地と瓦礫の山が苦しくも増えてしまいました!
所有者や行政ともに解体費用ろくに工面できずの結果なので、どうしたら良いのやら思い悩みますね。重いだけに!

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そもそもの家屋構造が重い石である明治期の札幌軟石造の蔵などはこの先しっかり残るんでしょうな。

我が街にもわずかに存在するこういった石倉はしっかり利用して有効活用していきたい考えのおいらです。

ではでは!
作業に戻ります!

P.S.この後日さらに2棟倒壊…

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市中心域の商業区の空き物件だったところ。

ここも昭和30年〜40年代に建てられたであろう、構造は古い建物ばかり。
建物互いに屋根が敷地内向きになっているので、敷地内側にどエライ量の圧雪が溜まり、弱い方から倒壊したという流れ。

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これは完全倒壊までは達していないのですが、建物が前のめりに傾いてきている状況。崩れれば富良野方向への動脈的交通路が塞がれるハメに。

元凶

図に描いて表すとこういう状況で、昔ながらの雪を裏手に受け流す構造が逆目に出て、流しきれなくなった雪が重みで建物の後ろから押しのけている形になってます。

雪って湿ると相当重くなるんです。

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