SIIFによるインパクト・エコノミー鼎談:インパクト・エコノミーの探究
インパクト投資からインパクト・エコノミーへ
インパクト投資残高は、世界で 1.5 兆ドル(200兆円超)、日本国内で 10 兆円を超えています。2013年にインパクト投資の調査を開始して以来、これまで10年間インパクト投資を推進してきた私たちにとって、これは大きな成果です。しかし同時に「インパクト投資」という投資のあり方が存在感を示すようになってきたからこそ、見えてきた課題があります。
それらの課題を乗り越える術を探るべく、SIIFは2022年に新しい経済のあり方についての調査研究を行う「インパクト・エコノミー・ラボ」を設立しました。なぜ今、新たな概念として「インパクト・エコノミー」という概念を打ち出すのか。その狙いや課題を、活動の中核を担う、SIIFインパクトエコノミーラボ所長・菅野文美、SIIFインパクト・エコノミー・ラボ副所長・戸田 満、そしてSIIF常務理事・工藤七子が、過去10年の活動を振り返りながらお話します。
第一章 なぜ今、インパクト・エコノミーなのか
インパクト・エコノミーの概念は、SIIF創設時のミッションに包含されていた
戸田 SIIFは発足以来、国内におけるインパクト投資の推進役を担ってきました。そんななか、投資という枠組みに閉じた活動だけでは限界があるという感覚が、実感値としてあるのではないかと思います。
工藤 投資に閉じるべきではないということは新たな気づきというよりも、「自助・公助・共助の枠組みを超えた社会的・経済的資源のエコシステムの実現」は、SIIFの発足当初からのミッションでもあり、ずっと意識していたことです。それを言語化できる時機にきた、ということかもしれません。
戸田 インパクト・エコノミーという概念は、創設時のミッションに包含されていたということですよね。
工藤 はい。経済全体を取り扱うということは必然だという意識はあり、投資が効果的な介入点だという意識も、個人的にはそこまで強く思っていませんでした。他方で、戸田さんが言うように従来の手法だけでは変革の推進が困難だと感じているというのも事実です。
「投資」の一点突破には限界がある
菅野 「インパクト投資」という枠組みの課題の一つに、インパクトを生み出す主体が限定的に捉えられてしまうことがあると考えています。そのために、力の偏りが生じている。どうしても「投資」の部分に力点が置かれてしまうのです。社会課題に苦しむ当事者と向き合い、社会に変化を生むための実際の事業を行うのは、投資先の企業のほうだということは言うまでもないのですが、「インパクト『投資』」とした途端に、資金を提供する側に力が傾きやすい。課題の当事者や事業者ではなく、投資家側の都合で物事が動く業界構造になってしまうのではないかと言う危機感を持っています。
戸田 投資の一点突破に限界があり、価値を生み出す主体の事業者や社会課題の当事者に力点を置くことの重要性を感じているということですね。
菅野 はい。本質的なインパクトを起こすことに、今一度立ち戻るべきなのではないか、と感じています。インパクト投資という概念が急速に広がったあまりに、IMM(インパクト測定・マネジメント)的な手法論が社会の変革という目的に先行してしまってはいないか。そのために、本来創出されるべきインパクトの視点が欠如し、人々や場所、社会が享受すべき変化が見過ごされているのではないかという懸念を持っています。
戸田 また都市部や地方部の様々な格差や偏在を考えたときに、地域に根付いているということは、インパクト投資において欠かせない視点ですよね。
菅野 地域の課題は、地域の当事者が定義する。これは当たり前のことに思えますが、実際には金融機関による課題分析やインパクト創出の戦略が当事者の視点を十分に反映せずに先行してまうと、本来のインパクト創出の目的とそのための手法が切り離された状態に陥ることもあります。この溝を埋めていく必要がありますね。
戸田 投資という手法やIMMの方法論が先行していることの他にも、社会課題そのものや課題の当事者にスポットが当たりにくくなっている要因はあると感じますか。
菅野 共通言語の不在があげられる思います。これは、インパクト投資という枠組みが抱える二つ目の課題です。社会課題を解決し、価値創造をしようという想いで活動している主体が、セクターごとにバラバラに存在し、それぞれの点の活動に閉じてしまっているのです。特に日本は、米国などとくらべてセクター間の人材の流動性が低いこともあり、その傾向が顕著だと言われています。
戸田 さらに、実際の課題解決の度合いが、インパクト投資残高の伸長具合に見合っていないのではないか、という懸念もありそうです。
工藤 表層的な課題に対して、モグラ叩き的に対処していくのでは、根本的な解決になりません。課題の関連性を構造レベルで理解し、解決するという、課題の根本解決(システムチェンジ)の視点が必要なのではないかと考えています。社会・経済システムを構造的に捉え、理解する視点の不足は、三つ目の課題として挙げられそうです。
戸田 現状の課題として「主体を限定することによる力の偏り」「セクターを超えた共通言語の不在」そして「社会・経済システムの構造的な視点の不足」という三つが挙がりました。「インパクト・エコノミー」という概念を打ち出すことで、どのように乗り超えられると考えていますか。
菅野 力の偏りについては、社会課題の当事者と向き合い、もしくは当事者として、インパクトを生み出す主体を明確に意識することが克服の鍵になるのではないかと考えています。明確に意識する対象は、事業者や消費者です。彼らが主体だということを主張するのと同時に、投資家に対して実施しているのと同様に、インパクトに基づく意思決定を後押しするのです。また、共通言語の不在に関しては、インパクト・エコノミーという言葉や概念そのものが、セクターを超えた自分事としての物語として機能することを期待しています。
工藤 「エコノミー」という言葉を選んだ背景には、経済全体を俯瞰する視点をもつことが重要だという意識があります。そうすることではじめて、複雑に絡み合う社会課題の「根っこ」に対処することができるからです。SIIFが行なっている「課題の根本解決(システムチェンジ)」の取り組みとの相互作用により、三つ目の「構造的な視点の不足」も解消することができるのではないかと考えています。
第二章 インパクト・エコノミーを定義する
インパクト・エコノミーに関する関心の高まり
戸田 興味深いことに今、国外でも同時多発的にインパクト・エコノミーの理論化がおこなわれているのです。イギリスでも米国でも、土壌づくりが進められています。インパクト投資の父といわれるロナルド・コーエン卿はインパクト・エコノミーを「社会及び環境インパクトの測定(・マネジメント)が、あらゆる経済活動に統合され、政府・ビジネス・投資・消費における意思決定の中心にあること」と定義しています。
また、UBSサステナビリティ・アンド・インパクト・インスティテュート(※サステナビリティ関連するマクロ経済動向の議論の場を提供するUBSの研究機関)はImpact Economy White Paperにおいて、「インパクト経済学は、経済学の焦点を従来の幅広い領域に戻す、リセットを意味する」としています。ここでいう従来の幅広い焦点とは、GDPなどの「生産高」(アウトプット)に終始することなく、生産時の効率性や分配のありかた、長期的な視点で見た人々や地球環境にかける負荷などを加味したもの(アウトカム)を指しています。
工藤 環境負荷などの負のインパクトを視野に入れている点は興味深いです。一般的に「インパクト」というと、正の影響が想起されると思いますが、本来は正なものもあれば、負なものもある。世の中を良い方向に転換していくには、いかに負のインパクトを減らすことができるかという視点も大切なのだということに、私自身がインパクト投資の推進を通じて気がつきました。今振り返ると、SIIFを立ち上げた当時は社会的起業家やインパクトスタートアップなどの、いわゆるイノベーターを支援することこそが大切だと考えていました。しかし本来は、負のインパクトがどこから来るのかも考える必要があります。その構造に目を向けると、むしろ成熟した産業分野の大きな企業が生み出している負の外部性を減らさないことには、本当の意味でシステムを変革することにならない。
戸田 SIIFがスタートアップを対象とした投資から、大企業を対象とした活動を増やそうとしている背景ですね。
工藤 はい。規模が大きい存在ほど負のインパクトの規模が大きくなると考えた時に、注目すべきは大企業である、と現在は感じています。
第三章 移行へのアプローチとアクション
インパクトとは何か、を捉え直す
戸田 さきほど、菅野さんから経済活動の主体の話がありました。主体ごとに異なる変革のやり方がありそうですよね。コーエン卿の定義によれば、政府、ビジネス、投資家、消費者それぞれに役割がありそうです。
工藤 大企業の場合は、段階的な移行(トランジション)という考え方が有効だと思います。大企業のような社会の多数を占める存在は、急激に変わることが難しい。しかし、規模の大きい主体が少しづつでも変革することができれば、総量で捉えると大きな変化を生むことができます。特に負のインパクトを減らすという意味では、非常に効果的な手法であると考えられることから、上場株のインパクト投資には、大きな可能性を感じています。
戸田 サステナビリティ基準に基づく開示や投資家との対話といったIR的な対応にのみとどまるのではなく、企業の価値想像の源泉としてのインパクトに能動的に取り組むということですね。GSG Impact JAPAN(旧・GSG国内諮問委員会)によるガイダンスなどは参考になりそうです。また、その観点では、政府の変革も欠かせません。事業会社が出している正と負両面での開示のためのルールを整備したり、よりインパクトを創出する事業への資金が流れるような仕組みづくりが必要になると思います。
菅野 2018年にEUで採択された「サステナブルファイナンス・アクションプラン」や2021年に発表された「サステナブル経済への移行に向けたファイナンス戦略」が好例ですよね。日本でも、金融庁によりサステナビリティ情報開示が義務づけられました。
戸田 さらに、政府の役割でいえば、国家戦略を策定したり、公共経済の担い手としての役割も重要です。公共事業を行う際のインパクト測定・マネジメントの採用や、インパクト投資やインパクトビジネスを推進するための施策や戦略が必要になってきます。前者の事例でいえば、内閣府が推進する成果連動型民間委託方式(PFS:Pay for Success)は、社会課題の改善状況に連動して委託費用を支払うことで、社会的な価値創出に向けた動機づけの向上を図るものがあります。また、この仕組みに投資家からの資金提供を組み合わせたソーシャル・インパクト・ボンド(SIB:Social Impact Bond)も同様です。後者については、日本では「新しい資本主義」等の文脈で国の政策や方針に反映されたことも記憶に新しいです。
工藤 他方で、提供価値の受け取り手も視点を変える必要がありそうです。
戸田 はい。消費者の変革も重要です。いくら投資家のインパクト志向で投資を受けた事業者が、正のインパクトが大きい商品やサービスを提供しても、それらが手に取られなければ価値にならない。消費者側が、インパクト志向の消費に移行できるかどうかも焦点になるのではないでしょうか。そのためには、消費行動をインパクトやアウトカムに関する情報やデータを踏まえるようにすることも有効だと考えられそうです。
菅野 消費者の行動変容を起こすための仕組みを整える、ということですよね。
戸田 インパクトを重視して作られたモノやサービスは市場で横並びになると比較がしにくいですが、インパクトに関する情報が提供されれば「選ぶべき理由」がはっきりとします。B Corp認証のマークなどがいい例です。消費行動を変えるにはこういった判断材料の「わかりやすさ」も非常に重要なのではないかと感じます。
菅野 投資や資金の提供者の変革も、やはり欠かせません。具体的には、課題の当事者を尊重した資金提供のあり方を設計する必要があります。例えば、投資委員会の意思決定やデューデリジェンスのプロセスに、課題の当事者の声を入れる。財務的リターンの確保よりもインパクトの創出を優先するために、高いリスクも許容する投資を行う財団やファミリーオフィスなどによる、触媒的な資金の拡充も重要になってくると思います。
主体ごとに異なる変革の手法
菅野 経済活動の様々な主体がどのように行動を変えていくべきかについての話をしてきましたが、経済の前提や基盤そのものも変わる必要があります。
工藤 既存の社会・経済システムにおいては、社会課題や環境課題は経済の外にある事柄であると捉えられてきました。それらの外部性に対しては、政府や非営利セクターが対応するという姿勢です。しかし、インパクト・エコノミーで行おうとしていることは、今まで市場の外部にあったものを経済の中に取り込むことです。社会的インパクトを内在化したうえで、経済が駆動している状態にする必要があると考えています。
戸田 資本主義を基盤とした経済を否定するのではなく、市場の中で市場を通じて、負のインパクトを低減し、正のインパクトを創出していくということですよね。市場における価値基準や情報のありかたが多様になっていくということですよね。
工藤 はい、これは端的にいうと、経済活動の担い手が自らの行動が及ぼす影響を意識する、ということだと捉えています。それらは非常に複雑なシステムの中で相互的な動きをするため、全体像を完全に把握しきることは難しい。個々人の意識ももちろんですが、複雑性を自覚した上で、経済システムそのものがそれらのインパクトを取り扱うものになっている必要があります。
戸田 そのためには、「インパクト」に関する情報が市場においてどのように生成され、流通し、活用されるかという、インパクト・エコノミーにおける情報インフラとして、インパクト・データに関するシステムの観点も重要になりそうです。
第四章 「新しい経済」とインパクト・エコノミー
新しい経済を前提とした、日本ならではの取り組み方
戸田 制度やルールの変更が経済主体の行動に影響を与えるとも言えそうです。価値判断が多様化するなかで、社会の制度やルールが経済主体の行動を制約し、再分配の論理を変えていくことができるのではないでしょうか。
工藤 はい。SIIFは新しい経済への移行を掲げていますが、それはインパクト・エコノミーの目指す姿そのものでもあります。鍵になるのが、全体性、システム思考、再生の3つです。
戸田 そうですね、社会課題を個別に解決していくというよりは、社会課題の真因も含めて全体性を観たり、要素間の関係性を観るようなシステム思考、また社会課題そのものを生じさせないような再生な経済というのが大事ですね。特に内面の変容に根差したやり方は、非常に日本的でもあると思います。日本的な価値観やアジア的な考え方は、鍵になりそうです。破壊的なイノベーションだけではなくて、既得権益の段階的な移行に基づく変容は、国際的にも新しい視点を与えることができるのではないか、と。
菅野 日本と対極のやり方をしてきたのが米国です。しかし、その米国でも最近は「分断を超える」というメッセージが掲げられるようになっています。背景には、衝突をしながらも社会を大きく変えていくという米国的な手法論が行き詰まっていることにあるのではないかと感じます。そこでは、未来の枠組みに向けてじわじわと移行させていくという日本の方法が参考になる部分があるかもしれません。個人の変革ではなく、エコシステムそのものを形成していく集団的自主性や合意形成のありかたは、インパクト・エコノミーにおける「日本ならではのやり方」として可視化することができると思います。
戸田 課題になるのはスピード感かもしれませんね。
工藤 確かに、地球規模の課題の大きさや進行の速さを考えると、「じわじわ」などという悠長なことはいっていられないという指摘もあります。ただ、集団的な合意形成には、一度集団内の空気が形成されてしまえば一気に物事が進むという側面もあります。いかにスイッチを入れるかというのがポイントになるかもしれません。
菅野 移行を阻害するような既得権益による、現状維持バイアスをいかに取り払うか、ということも考える必要がありますよね。
工藤 社会課題そのものが変化の契機になる可能性もありますよね。気候変動や人口減少などの逃れようのない大きな潮流がある中で、既存のビジネスの原理が通用しなくなることは明らかです。現状維持が合理的な戦略ではなくなっていくことによってインパクトを内在化したビジネスモデルへの転換が必要になる領域が増えるのではないでしょうか。
菅野 既存の経済システムをより持続可能な状態に移行させていくことと、既存の経済システムに内包されない、例えば地域に根差した新しい経済システムのあり方を築いていくこと。この二つが相まって、経済システムを変えていくということだと考えています。
おわりに
「インパクト・エコノミー」はまだ形成の過程にある概念ですが、従来的な手法に対して持っていた課題意識を言語化することによって、向き合うべき問いが少しずつ見えてきました。規模や業界を超えた主体を束ねることはできるのか。日本の社会に適した方法はどのようなものか。SIIFだからこそできることや、世界に貢献できることは何か。インパクト・エコノミー・ラボでは、ステークホルダーとの対話を続けながら、SIIFならではのインパクト・エコノミーのありかたを探求していきます。