『シン・エヴァンゲリオン』地に足をつけて歩いていた彼らについて
ネタバレあります。
はい、エヴァ見ました。最初に言うと僕はこの作品好きです。面白かったとも思います。拙くもあったけど
今回のエヴァは昔からのエヴァとはかなり違っていたけど、一番違ったところは間違いなく生活感があり人がそこに生きていたということ。旧劇では現実を生きろと言うわりには作中のキャラが空虚で独りよがり。そんなふわふわした作品に現実を生きろとか言われても正直苦笑いしかでないわな。僕は全体で見ると好きでしたけどね
で、そこから技量が上がったのか庵野が"大人"になったのか分からないけどシン・エヴァンゲリオンではそこが改善されていた。彼も彼女もちゃんと生きていた。
じゃあこれだけで現実を生きろ、なんてものが物語として成立するのかと言えば僕はしないと思う。そもそもアニメ、いや、たとえ実写だろうと物語である以上現実で生きろなんてのは正直余計なお世話でしかない。何故なら殆どの人間は既に現実に存在し生きているからだ。もしかしたらそうでない人間もいるかもしれないがそんな奴らは今だろうと昔だろうとほんの一握りしかいない。ようは自意識過剰なのだ。エヴァンゲリオンは確かに社会現象を引き起こしたのかもしれない。それらに熱中していた人間がいたのも事実なのだろう。
だがそれでもきっと彼らは歩いていなかったわけじゃない。
シンエヴァンゲリオンでは庵野が自分でそれに気づけたんじゃないのかと僕は思っています
というのも、作中のシンジ君の台詞で「父さんは見送りたかっただけなんだね」というのがあったからだ。エヴァ/ユイに囚われていて現実を見ずに生きていたからではなく最後まで見届けたかっただけでしかない。それに気づけたんじゃないんだろうか?シンジのことを何とも思ってなかったわけじゃない父と子の和解は庵野と視聴者の和解でもあるのかもしれない。
こんなもんですかね。。。面白かったとも思いますし好きですけど正直物語として成立していたのかと言われると結構微妙だと思います。ただ、Air/まごころを、君によりは断然上手くやってたと思いますよ。実際評判も案外悪くないみたいですし。まあ、物語で現実を生きろ!は技量もしくはそれ以外のものが必要ということですかね。。。もちろんエヴァは後者よりだっと思いますよ。エヴァンゲリオンじゃないと成り立ってない話なので
ただ、だからといってシンエヴァンゲリオンが安直にアニメを卒業しろとか現実で生きろって言いたいわけではないんじゃないのかな。もちろんそういう側面が完全に無かったとは思わないけどシンジとアスカがお互いに好きだったと言う場面やシンジとマリのカットがアニメであった事からギリギリ踏みとどまってたと考えています。
大人になったな、庵野
ちなみに僕はシンジとゲンドウの父と子の話が一番好きだったよ(ここだけはちゃんと物語だったからね)
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