見出し画像

小豆島 「点描」

 播州赤穂に向かう三両編成の列車は空いていた。乗っている人々は、帰省の旅衣装には見えなかった。ぼんやりと窓枠に肘をついて山間の車窓を眺めていると、草木に覆われた風景以外、町はあった。工場やそれに連なるアパートがあり、畑やそれに連なる村落がある。まばらであろうとも、住処あり、飯の場があり、働きの場がある。どこにも行けないと感じるのは、単なる思い込みだと思った。備前を抜けた辺りから、車窓に海が混じり始めた。頬杖を下ろすと、急激にこのまま電車に乗っている事への嫌悪感が募り始めた。決めたつもりで、線路の上をただ走っているだけだ。こんなつまらない旅を、求めただろうか。不意に視界に入った駅看板に導かれて、私は気付けば日生の灼熱のホームに立っていた。

 小豆島は瀬戸内に浮かぶ、小さいとも大きいとも言えない島だ。四つ程の港を擁し、関西・中国・四国を結ぶ。オリーブが有名で、数少ない乗船客は、カップルか本土からの帰省客だった。チケットを手にしてじきに出港したフェリーで、私は今ようやっと当て所ない旅に出たのだと思った。
旅の中身が人との出会いなら、旅の形は移動手段が決める様に思う。徒歩、バス、飛行機、船、と様々で、それぞれのスピードがあり、なんとなく陸路が旅の形を「線描」で作るなら、空路と海路は「点描」で作る感覚があった。海と空では現在地の基準が素人目には見えないから、出発地から目的地まで、点と点で移動した様に感じる。その感覚が爽快とも味気ないとも取れるが、船のそれは好きだった。水の上をゆっくり進む様子や潮の匂い、総じて古ぼけた内装は、飛行機より味わい深い。
その日泊まる宿すら当てがなかったが、快適だったお仕着せの旅が、急に風来坊の様な幅の広さを見せ始めた。

 入港した大部は、熱射と民家以外に何もなかった。目を付けた方角の民宿には全て、休業か満室で宿泊を断られ、とにかく漠然と町に向けて歩き出すことにした。いくつか山を越えると、猛烈な後悔が押し寄せ始めた。コンビニどころか、自販機すらないのだ。登り切るたびに切り立った絶壁と小島と青い海が見える。そして必ず次の峠の始まりが見えた。疲れ切ってやっと辿り着いた道の駅のベンチに座り込んだ時、戻る気力も進む気力も失せていた。ただ不思議と、瀬戸内の優しい波間を眺めながら、落ち着いた気持ちになった。

 インドにいた時、道にひどく迷ったことがあった。拙い英語で道を聞いても、そもそも英語が伝わらない。寺院の椅子に腰掛けて、絶望していたが、そのうちなんでこんなに怯えているんだろう、と思った。私はインドまで来た。宿も決めずに、目的もなく、観光もせず。世界規模で見れば、ひどい道の迷い方だ。こんな町で道に迷ったくらいで、怯えることはないと思った。
砂糖を求める蟻が砂糖にたどり着く様に、人も求めるものに、いつのまにか辿り着くのだと思った。歩いていれば、道に迷っている様に見えて、自分の砂糖に辿り着けるのだと。今でもそう思っていたはずが、仕事に就いて日々を繰り返しているうちに、本当に随分と道に迷ったのだと思う。見えていない欲しいものを、見えていないのに遠ざけた。
今も道に迷って、宿もないし、寝床は防波堤の岩の上だ。蚊が飛び回っていて、日が暮れる絶望感は一入だ。それでも、見えない欲しいものに、手が届きそうな気がした。見えていないのだから、何かは分からない。このまま、また平日に戻れば、入れたアポ先に向かい、頭を下げたり、ゴマをすったり、ものを売ろうとしたりするだろう。つまらなくて、焦燥感が募る。それでも、久しぶりに道を迷えたこの感触が、私を前に動かす気がした。砂糖を求める蟻のように、火に飛び込む蛾のように、まだ見えないものに呼ばれていけるだろう。そんな気がした。

 西の空は、見たこともないほどに夕焼けた。そのうちとっぷりとした墨のような夜が来て、有り体だが見たこともないほどの星空が広がった。不思議なことに、月は明け方まで、一度も昇らなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?