Σ 詩ぐ魔 第12号
※12/10 19:30更新
おらが春
愛繕夢久(大阪)
おらが春の 野辺に歌えば
空の雲雀も合わせて歌うよ
虹の架け橋 光輝き
明日も晴れるさあの娘の笑顔
あの娘言ったよ 東京行くさと
受験に合格晴れてJD
地元の大学 あると止めるも
あの娘の心は東京に
こうなりゃヤケだよ 俺も行くだと
受験するため塾通い
必死に勉強 偏差値上がった
もっと早くにやっとけば
塾で美人の 彼女がささやく
勉強教えてくれと見つめる
彼女は地元の 大学志望
揺らぐ東京あの娘の笑顔
桜散ったよ 東京行けない
桜咲いたよ地元の大学
夢に描いた 東京あの娘
リアルで目覚めたお腹の子
卒業就職 二児のパパに
百姓のんびり暮らすはずが
野菜工場 会社社長に
明日の日本は俺が支える
バブル弾けて リーマンショック
倒産の危機を乗り越えて
父さん頑張った 切り抜けたよと
息子に譲ったバイオ企業
隠居生活 鍬を振り上げ
猫の額の野良仕事
仰ぎ見るは あの娘の笑顔
何処でどうしているのやら
透明で、ヒレが長い魚
小笠原鳥類(岩手)
去年(2023年)、新潮文庫の河上徹太郎編『萩原朔太郎詩集』が、新しいカバーが付けられて、書店にあった(そのカバーの下に、以前と同じ、加山又造が月と犬を描いているカバーも。カバーが2枚、ある)。新しいカバーに短い説明が「ヨルシカ×新潮文庫 コラボレーション限定カバー」、「カバー装画:加藤隆」、大きな月が出ている青い街の絵(そこに踊っている?人がいる)
ヨルシカ「月に吠える」(2021)は、YouTubeでアニメであるビデオクリップを見ることもできて、そこに、新潮文庫の限定カバーの絵と同じ絵を見る。作詞はヨルシカのn-bunaである(朔太郎の詩を歌っているのではない)。少し、こわいところもあって、時々聴くロングフィン・グラスエンゼルという魚が水槽にいることも
2023年の、この『萩原朔太郎詩集』の奥付に、1950年発行、2004年73刷改版、2023年82刷——と書いてある。じつは、1967年にも(27刷で)改版されていた。ロングフィン・グラスエンゼル(体長4㎝)が、ヒレが長い、透明な魚である大学のころ(卒業した後だったのか)に買った、1967年改版で2000年70刷の河上徹太郎編『萩原朔太郎詩集』(カバーの絵は加山又造が描いている月と犬の絵で、上記の2023年の本の2枚目のカバーにも同じ絵、しかし題名など文字のレイアウトが少し違う)も、(水槽も)ここにあって、それから
全身が透き通っている魚が(全身が、透き通っている、魚が)古本で見つけた、1950年發行で1953年6刷の河上徹太郎編『萩原朔太郎詩集』(淡い青に近い灰色の、文字だけが書かれている帯がある)も、(水槽も)ここにある
この水槽に魚がいたのは30年以上前だ
(2004年改版で)2023年に限定カバーの本と、(1967年改版で)2000年の本と、(1950年發行で)1953年の本と、3冊の『萩原朔太郎詩集』が、(水槽と)ここにある。文庫1冊では、すべての朔太郎の詩を収載することは、できないのかもしれなくて、選んでいる熱帯魚の本も見る。魚の写真
ロングフィン・グラスエンゼルのヒレが、長くのびて驚く目次を見ると、2023年の本と、2000年の本では、同じ詩が選ばれていて読める(ようである。こまかく読んでいくと、少し変化が、あるのだろうか)。しかし、1953年の本を見ると、そのあとの改版の本とは、詩の選び方が、少し違う。1953年の本で読めて、そのあとの改版では読めない詩がある(逆もあるけれど)
1953年の新潮文庫の朔太郎詩集(むかしの印刷で読む朔太郎も、いいものだ)に、あって、そのあとの改版では読めない詩の1つ「龍宮城」(72~73ページ)から「七つの窓ぞつらなれる/窓には七つの魚をかけ/そのしろがねのうろこもて/月光の都會を泳がしむ」ヒレをかじる魚がいるので、ヒレが長いロングフィン・グラスエンゼルと同じ水槽には……同じ水槽には……
参考
佐々木浩之『アクアリウム☆飼い方上手になれる! 熱帯魚』(誠文堂新光社、2017)
タチガレ シマガレ ・・・
苗村吉昭(滋賀)
北八ヶ岳ロープウェイで
標高 2,237mの山頂駅へ向かう
小さくなっていく山麓の街を見ながら
タチガレ(立ち枯れ)シマガレ(縞枯れ)
というゴンドラ内アナウンスを聞いた
100年周期で起きる自然現象で
樹木が集団で立ち枯れる
その姿が遠景からは縞模様に見えるそうだ
実際に山に分け入ると
白骨化した木々が連なる場所に遭遇する
立ったまま力尽きている木々に混じり
風雨で横倒しになっているものもある
いずれにせよ世代交代のために
いっせいにこの地から取り除かれていく
100年人生などとはいうが
全盛期を過ぎ還暦を前にした私もまた
この木々のように社会から排除されるべき存在かも知れぬ
私と私に連なる不要と見なされた者たちが
立ったまま集団で枯れていくとき
せめて一筋の
美しい縞を形成できるか
枯れてもなお立ち続ける
純白の詩情を持ち続けているか
タチガレ シマガレ ヨミガエレ と
最後の祈りを唱えられるか。
壁紙
mako nishitani(韓国)
三年とちょっと前に越してきたこの家は
寝室の壁紙がベージュの地に
大きなリボンが掛けられた
灰色がかったピンクの花束のようなパターンが繰り返されている
壁紙の繰り返される模様の中に
犬の横顔や髭のおじさんの顔を見つけて
ひとり時間を過ごした幼いころの記憶
母の実家だと思い込んでいたが
よく考えてみたら
祖父母の家にそんな壁紙の部屋はなかったのだが
寝室の窓にカーテンをかけ
天井から観葉植物を吊るし
ベッドサイドに黒い小さなランプを置いた
つる性の植物が
三年とちょっとの間に
寝室からリビング、他の部屋へと増え垂れ下がる
この家に暮らし始めた日から
何か思い出しそうで思い出せない
寝室の隅にある書き物机の上に
真っ黒な花瓶を飾ったらどうだろう?
この壁紙によく映えて
とても美しいのではないだろうか
黒い、つるっとした表面の花瓶が良い
支路遺耕治と会った日
藤井晴美(東京)
異能の焼き芋。と
その場限り。
の裏切り。
何を思ったかカラオケ。
細くカワイイ鉛筆の芯。
思考ポタージュ。
どこ触った?
まさかの詩人。
とどこおった。
抜き身脳。
不味いです。
大腸は強迫的に輝いていた。
おれは丸飲みした詩を吐き出した。
夜立ち。の
ヒステリー死。
裏返った男の顔。
自我に包まれたオブラートの鍵。ナゾ。
おなかはフルーツ状態が続いています。
君と激昂マンガン。
無理軟弱。
時は雷。
非局所性ニーチェ。
引っ越しの残酷。
越境の金輪際。
がっちりニュースをお伝えしました。
慌てて十六本運休になっています。
体調管理をしっかりおこなってピークを迎えてください。
人物が行きつく、パニックのような駅。ライオン、ニンジン、鍋蓋。
後味の悪い男。
世間の裏メニューをとぼとぼと歩きながら味見した。
一種の小学生。
長年の小学生。
人類風呂上り。
破れた障子のラッシュアワー。
番茶の川川。
惑星の茶碗。
とても暗い人で、
暗い人といるととても落ち着く。
食べちゃうぞ。
予約がお化けのようになって、もう結構と私は言いたい。
伝送グリップを曲がったバスタブで、
絶えまない高気圧。
熱々。
の意識を齧った。
顔中に涎。
で目が覚めた。
確率射影をバッタの脚のようにのばして。
シャワーを浴びていると、体が泥のように流れていく。
丸焼きのお茶目なエントロピー。
ちぎれた時間。
こげつく体。
ワンピース、すっぽり。
ショーウィンドウを洗っているものだから、消防車がものすごいサイレンの音とともに走り去っていった。
1965年の皿回し。
ひどい頭痛
の形式ナイフ
絶対不安のオートバイ
を何もまとわないで
瞬間
乾いた風
が吹いていた
レコードの
めまい
白い手
はぼくは一年も鍵のかかった部屋にいた
ぼくが死んだ
とぼくの外で
ぼくが言っている
憂鬱
と非憂鬱
の丼飯の
空の
1回転
の
7回転の
皺だらけの紙
のんびり川沿いの道から西の空を見ると、鮫のような形の白い雲が私の心配。
底が抜けて落ちこんだ空。
を見上げる川の字。
カモが大きくて恐ろしげだった。パンダがにらみつけていた。
呼吸を止めて汽車は待っている。
今日も私はわざと詩を書いて、不甲斐なく外へ出た。
落書きの空。
今はいったニュースです。
明日は日曜日なのに真っ暗な家。に生まれて。
嘲笑う小鳥たち。
この人たちがどのくらい本気で飲んでいるのかわかりゃしない。
深夜目覚めてテレビをつけると、宝石をまとった女が浮かびあがる。恭子さんだ。
恭子さんがこちらを見ると、
抒情の疑惑です。
またあした。
さびしい出会い。
さびしい四次元。
おもちゃ化した死。
この場合、例えば60を声に出して読むときはロクジュウと読みますが、心の中ではロクゼロと読んでいます。ですから表記は六十でも60でもなく、6と0を分けた縦の表記なのです。
詩を見た目だけでなく心の中でどう捉えているかが問題なのです。詩の裏側とでもいいますか。これがどんな姿形をしているか、これが問題なのです。支路遺耕治が書くような。
死の泉の通過障害。
何らかの外形。
この、
デジタル菓子爆弾
は怖い。
もう死んでいる。
彼女はそのまま横になって肥った。
思いこんでいる場合じゃない。
早く二次元に戻ろう。
壮大なお菓子。
の真実。
の近傍。
の目くらまし。
注目地方。
体調為替市場。
カミナリ賭博。
二重三重の帳消し詩法。
そのレールの上を走った。
落下傘。
マジックインキの渇き。
一枚の近代。
湿ったニュース。
隣人低気圧。
もう痛かったが、虫を楽しんだ。
こんなに書いていると痛くなるのでブリキの方がいいかと。
もっと静かに!
あたかも子供が宇宙人の真似をしている文化が人類の文明となっている。
絶棒、これで殴ってやる。
マスクで顔を隠した医者たち。
住所を隠していた精神科医。
目を見るよりも明らか。
同情の余地はない。
が、お茶漬けは尊大だった。
頭を大きくひらいて。
透きとおる現在。
を跨いだ。
ふる川逆さの日没。
家に火をつけてピアニストになった。
神経深く、
かつて詩集だった岩石。
壁と思ったら陸だった。
海と思ったら塀だった。
父は永遠に逃亡した。他は皆縊死。
石の発情。
うようよいるぼくら。
男がヒステリックにノコギリを切っていた。
ぼくの拡性器は思考する。言葉じゃないのよ。雑音侍バレエふんどし!
事実性は揺らいでいる。
ぼくをないがしろにしたお頭。
ぼくの関係お膳立て。
脱力する洟と小便滲み出る、
老衰の雑炊。
啜って、
それぞれの怖さを発揮して、反応しました。
詩を丸のみした。
ウー!
デタラーメン。
アー。
である。
亀の子揺らす。グラス。
今夜落ちて死ぬ。
今夜落ちて死ぬ。
便所をさがしてさまよう。
クリスマスローズ。
気がすむまで。
煙支えて持ち上げた
新消火器。
街の実情。
思考粘土。ハウリング。ペンチ。バラの叫び。
科学も一時的なものに過ぎない。
のんきなものだ。
しゃぶしゃぶ馬っこ。
人間ではないものの不正がイソギンチャク。水疱瘡。
ニューロートレアモン!
ご入浴。
ひどいカラクリのように晴れ渡った。客席。
家が眠るように燃えている。
邪推振りまわして。
雑草青々。
樹々雑音。
違い線を浴びる。
特別君。
ボルヘスという洗面所で顔を洗い、
ロートレアモンというネアンデルタール人を
食べにいく。
一連の作業。
焼けた空重く。
テレビというお座敷。
に流れ着く。
この番組は人を傷つける総合アプリから成り立っています。
落雷が発生しますので、皆さん手袋をしてください。
永久の翻訳だ。
悲しみの重力波。
ぼくと彼女は出会わなかった。ほとんど誰とも。
デジタル恐怖。
最初の東よりの
風強くなり
スパナを回す
人が去り
現代詩内科。
で一度診察を受けた。
紙面に粗相をして。
近ごろは
下卑たビール
を飲み、
皮肉前投票。
をつまむ。
白面。
の皮。
仲睦ましい。
あの宇宙の人。
は行ってしまった。
木崎今日子
武登美枝
兼友法子
杉田佳代美
ワッ!
熱々農家。
この重いもの。
ハッタイ粉詩法、
事実に基づいて苦し紛れの嘘を書く。お八つ。
掃き捨ての抜擢。
もう老人じゃない。
100万人の詩人。
こんな広い庭があるのだから大砲でも据えるか。
雨が楽しく降るところがあるでしょう。へ行きましょうよ。
焦げ臭い人。
犯人はこちらです。
両耳が折れた詩集。
ノックアウトされたボクサーのように私は学校に通い続けた。
私はいつも教室の机の上でダウンしていた。
水浸し放列する。
深夜の通りやった。
調子にのっていつまでも。
氷頭。
風呂野球。
ふくら氏粉のような顔を舌が噴霧されたぼくの音便。
わざと日付が変わると、ぼくはわざと詩を書く。
滋味党をはじめ冷やし中華にしました。
(水道局とわずかな子供たち)
支路遺耕治と会った日。
蛾光が歌っていた。
もう熱い。
「そんなさらさらなぞる闇の肉・肉の涯」(支路遺耕治「黄金の腐蝕あるいは復活まえの敗走」)
それは重力のような日常的重みで私に迫ってくる。つまり私は苦痛を感じたのであり、私の幻覚が犯されたのだった。それにしてもやはり吐きそうなのだ、あるいは食べたいのだと絡んでくるものがある。いや絡みつくように反撃してくる。肉蝕。
の別の日。
汚らしいと見えるほどなのだから、そればかりか段々いとおしく思えてくる。と男が、詩肉を食べながら、チクロ。鍋。
詩が胡坐をかいたり腕枕をしたりしていたんだがと、箸でつまんで、御愛想。
いつもより濃い時計の長針と短針の下着。
貨幣の表と裏をなくすかのような詩自体の肉化が停止するのを告げている支路遺耕治の心臓。
「俺がさ、恭子と会ったのは……」暗殺広場。ではなく他者たち、ヤクザたち。
私は足の筋肉を食べながら走りました。
人生
松村信人(大阪)
私が50歳になったころ
先輩は古希を迎えていた
素敵なセブンティーン!に戻ったと楽しげだった
私が還暦を迎えたころ
別の先輩は80歳を超えていた
何かあると、もう80歳を超えた人間なんやぞ!
寂しげに言い放った
私が古希を迎えたころ
また別の先輩は90歳を超えていた
90歳を過ぎたらわかることがたくさんある
お前も90歳になれば理解できるようになるはずだ
75歳になって九死に一生の手術を経験した
術後は病室のベッドに寝そべったまま天井を見つめる
人の生涯の流れを描いた絵巻物にこれまで出会った人たちの顔が浮かんでは消える
流れる川のようにこうして私も流れながらどこかに沈み込んでいくのだろう
人間
都 圭晴(大阪)
逢えて嬉しいよと笑みをこぼした君は
赤ワインを片手にぼそぼそと話しだした君は
僕の作品に人間を投影した君は
基本的な技術を超えて内容を語りたいと君は
何よりも苦悩が好き と言って
書かれていない希望をうつくしいとわらった
君の言葉は肉体の奥底を刺していく
君の視線は赤ワインと 僕の黒ビールに注がれている
君の好きな人間性はこの作品の中にあるはずで
君の強いて言えば の後に続く言葉を待つ
君の眼は僕を見据える
君の批評は 君のことも曝け出すものだ
左右には ナイフとフォークが並んでいる
愛せるようなら愛してくださいと 僕らは叫び合っている
やさしいひとの やさしい し
八木真央(山口)
やさしいひとに あいに
しんかんせんに のって でかけた
やさしいひとを いえにおいて でかけた
やさしいひとは えきの はなやのまえで
しんぱいそうに わたしを さがしていた
おひさしぶりです を いったかいわないか
おぼえていないくらいに やさしいひとは
なめらかに あたたかさをこぼしながら
わたしのはなしに みみをかたむけてくれた
やさしいひとは やきとりの くしを
ていねいにひきぬきながら いぬのめをして
そうね あぁ そうー とうなずき たびたび
たべないの だしまき といっては
ごじぶんは かるぴすそーだ を のんだ
うながされる だしまき は おいしいもんだな
と ふと いえにおいてきた やさしいひと を
おもいだした まぁちゃん たべんさい と
やさしいひとが やまぐちけんのなまりで
うながす いえの あたたかいだしまき を
きゅうにおもって むねがつかえて あわてて
かるぴすうぉーたー を のんだ めのまえの
やさしいひとは なまらないのに どこかが
あおくなつかしい こころのりずむやうねりに
ていねいにむきあっているひと どくとくの
すこしとおくをみるような め をしっかりみて
しのはなしをきいた まちのひとの そのめには
みているのに みていないよ の えんりょ と
みえているのに みえていないよ の はいりょ
の まく が かかる みたものはそっとむねに
しまわれる やさしいひとの やさしい し を
とても ほわほわ と おもった こんなふうに
かけたらいいのになぁ むねに やさしいひとの
やさしい し がみちてくる どうじに いえで
まつ やさしいひとの おんど と かたち が
し のかなしさで みえてきて どきどきする
きゅうに はやくかえらなければ とおもった
だしまきの あたたかさに かえらなければ と
《編集後記》
突然呼吸困難に陥り救急車で病院に搬送されたのが10月のはじめ、その時はもう昏睡状態であったと聞くから大掛かりな手術受けた記憶はない。なんでも肺に穴が空いていたらしく人工呼吸器のICチップを咽元に埋め込む作業になったとか。集中治療室のベッドの横には酸素ボンベがおいてあり私はベッドに縛りつけられた状態だった。声が出せなくてそのため約1か月は誰にも何処にも連絡が取れない。むろんこちらにも情報は入ってこない。ようやくICチップが外せてからも車椅子生活の苦難の日々は続く。11月の末になって退院の許可が出たがリハビリに励むこととなる。そうした影響で今回は原稿の集まりは悪かった。延期することも考えたが、せっかく投稿いただいた原稿を置いておくわけにはいかず刊行することにした。ただし年内は引き続き12号の原稿募集を受け付けることといたしますので、お気づきの方は是非ともご参加ください。(松村)
《投稿規定》
未発表の詩。投稿料は無料。自由に投稿していただいて結構です。掲載するか否かは編集部にご一任ください。校正はありません。行数、字数は自由。横書き、できればWordファイルで下記の編集委員にメールでお送りください。メール文での作品を送っていただいても結構です。季刊発行で、3,6,9,12月の隔月10日の予定。各号の締め切りは2,5,8,11月のそれぞれ月末です。ご質問はメールにて受け付けております。
関連リンク(随時募集中)
澪標 http://www.miotsukushi.co.jp /
∑詩ぐ魔(第12号)
――――――――――――――――――――――
発 行 2024年12月10日
編 集 松村信人 matsumura@miotsukushi.co.jp
協 力 山響堂pro.
発行所 澪標