祈りが2つ

人の祈りについての話をふたつ聴いた。

 目黒の美術館で開かれている、竹内浩一さんの絵画展に行った。動物をモチーフにした淡い柔らかい雰囲気の作品だった。動物には躍動感があるが、どこか寂しそうでもあった。
 美術館では作者のインタビュー映像が流れていたので、竹内さんがどういった考えで作品を作るのか気になり、椅子に腰かけ最後まで見ることにした。

 インタビューの中で心に残った言葉がある。
「自分の性格-切なさ-を表すために作品にした」
「作品は祈り念じる方向から、自らを迎えに来るもの」


 ところ変わって仙台の文学塾、ホラー作家の平山夢明さんの講話を聴いた。ホラー作家とは思えないほどファンキーでエネルギー溢れる人だった。

「作品を書くことは、よく祈りに似ているって言われている。人それぞれ祈り方が違っていて、何が良いとか何が悪い、というのはない。何かを書きたい人は、自分だけの祈り方をすればよい。」

そんなようなことを話していたような。

「祈り」という行為には、多様な意図がある。何を求め祈るのか、何に祈るのか。
祈りが成就するかは、分からない。その先が霧で見えない。自分の腹の底に達成したい何かがあって、それをつかみ取りたいから祈るのか?
作品をつくりあげることが、祈りに似ているというのは、何となくわかる気がする。

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