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病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈43〉

 タルーは、たまたま当地を訪れた旅行者としてオランに滞在していた。
 いつでも朗らかで社交的、一見してとても安定した性格と皆に思われている。様々な遊興の作法に長けていたこともあり、やってきてからすぐオランの街にも馴染んで、町中に幅広く人脈を拡げていた。まだ年は若いようであったが、どうやら複数の収入源を持っている様子でもあり、すでに悠々自適な人生を謳歌しているようにも見えた。
 反面、そういった遊び仲間としてつき合いがある者らにも、彼の確かな素性というものはようと知られてはおらず、何やら芯のところでは謎の多い人物のようであるというのが、当初リウーが抱いていた、タルーに対する印象であった。

 そんなタルーは、そのごく初期の段階から、熱病が蔓延していくオランの町の様子を、詳細に自らの手記へと書きとめていた。そこからは、不意に見舞われたこの事態への関心の高さと、それに対する洞察力の確かさを、併せて窺わせてもいたのだった。
 リウーはおそらくタルーの死後まもなくに、彼の遺品となった荷物の中から、その手記の書かれたノートを発見したのだろうと思われる。そしてもし、このタルーによる手記がなければ、リウー自身もまた、オランの町におけるペストの物語を書き起こすために、あえて自分から主体的に筆を取ろうなどとは、きっと思いつきもしなかったことであろう。
 タルーは、その手記を書きつけていくことにあたって意図的に些末な出来事を描写することに固執しているかのようであり、それはあたかも彼が努めてそのような一見とるに足らないような物事、つまり誰の口にも上らないような「物語のないものの語り手」であろうとしているかのように、それらを一読したリウーには思われたのだった。
 そのような、手記執筆に際しての「基本姿勢」については、筆者であるタルー個人の「精神的な資質」として固有するとも思われる、ある種の「心の冷淡さ」といったものから来ているのではないかというように、あるいは読む者によっては訝しくも思い、かつそれを非難する向きさえあろうとリウーは分析しているが、しかしそのこと自体はリウー自身も、別に否定はしていない。ただし、そのようなペストにまつわる(あるいは、それとは全く関係のない諸事も含め)さまざまな些事について、無数に情報提供してくれるこの記録が、まさにこの時期のオランの町に漂う「奇妙な空気」を証言するのには、それ相応の重要性があるのだと、リウーはそんなタルーの執筆方針を擁護している。一方で、誰にも分け隔てなく人当たりのよい印象を周囲に与えていたタルーの、そのような心の奥底にある「冷淡さ」をリウーが見抜いていたというのは、実に興味深いことだとして一つ心に留めておきたいところである。
 さて、些末な事柄にこだわりを持つというのは、それ自体としても一つの病の傾向であるように思われるところだろうが、タルーの手記からはむしろ、「意識的に」些事をほじくり出すよう自らに強いているかに思えてくるところも、この手記の意味合いを考察するには大きな論点ともなるように思われる。
 逆に穿った見方をするならば、そうして「意識的に自らを強いなければならない」ほどに、そもそもそれらの事象に対しタルー自身としては、さほどの関心を抱いてもいなかった、ということでもあるのではないか。そういう部分においても、彼の「心の冷淡さ」というものが、たしかに表れているのだとも言えるのではないだろうか。

 蔓延するペストに対処するための、さまざまな雑事を担ってきた保健隊は、タルーがオランの町において築き上げてきた、その幅広い人間関係をベースに結成されたことは周知の通りである。ところでそのような人脈形成の能力というものは、まさにタルーが生来持ち合わせていた社交性に依るところが大きいと言える。そしてこういった社交性というのはおそらく、彼の「育ち」からもたらされたものであろうとみて差し支えないだろう。それは、タルーとはまるで真反対の育ち方をしたリウーには、ついに持ち合わせることのなかったものでもあるのだ。
 さらにかつてタルーが関わっていた、政治活動の経験なども、そこには大きく活かされたということは疑いない。そしてその働きぶりなどからして、かつての活動においてもまた、彼がけっして「下っ端」などではなく、それなりに「指導的な立場」にあったのだろうと想像するのも容易である。
 一方で、タルーにはどこか「上から物を見、かつ言う」傾向があるようにも思われる。コタールを保健隊に勧誘した際の振る舞いなどは、その典型と言えるだろう。ソフトな語り口とフランクな態度を表しているようでいて、背後にはどこか威圧的なところが垣間見えてくる。よく言えば相手を「対象化して」そのように対応しているつもりなのかもしれないが、これもまた、手記の執筆方針と同様に、タルー個人の内側にある「心の冷淡さ」なるものが表われているかのようでもあり、その源流を探るとしたらやはり、その生来の「育ち」からくるものと、さらにその後彼自身が長じてから得た、政治活動の経験において培われたものに見るというのは、けっして穿ち過ぎだとも言えないところである。

〈つづく〉

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