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全ては自分で選んでいたりして?

のりご飯である。
日曜日のお昼に
子供に「パパなに食べたい?」
と聞かれて「のりご飯」
と答えたら

このようなアートが食卓に登場した♪

私の中での「のりご飯」は
ご飯だけがお茶碗にあって
そこに、くまもんのりが

のりの容器のまま置いてあって
のりを一枚ずつとって
パリパリの状態で
ご飯をはさんで食べる。

それを
「のりご飯」と認識
しているのである。

だがしかし

子供からして「のりご飯」
とは、ねんど遊びの延長であり
「手づかみで食べて良い
マナーは無礼講よ♡ 飯。。。」

という認識なのである。
インド式?

そーゆー無礼講飯なので
このようなアートを
楽しむことを
ぶっこんでくるのである。

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ご飯にくっついている部分は
しなしなしな~ってなっちまう。

「のりご飯」の醍醐味は
パリパリ&ご飯がふわっふわ
なのである。

これではのりが湿気すいこんで
ビミョーに硬くなって
パリパリどころか
ガムテープ食ってるみたいな
食感になるのである。

とりあえず子供が
一生懸命に作ってくれた
創作料理にたいして
じーぐい※文句は言わない。

ただ、たしかなことは
「のりご飯を食べたい」
という選択を
私がした。

そしたら
子供創作ガムテープ食感飯
が出てきた(笑)

これが事実なのである。

ただ、私が求めた
「のりご飯」
では無かった。

ただそれだけのこと。

この世というのは
そういうものでして

全ては自分で選択したこと
なのである。


いやいやいや
そんなことねーずら。

例えばイヤな人に悪口言われたり
そんな出来事とかでも
自分で言わせたってこと?

いやいやいや
そんなことねーずら。

と言いたい気持ちはよくわかる。

だがしかし!


100%自分の責任であり
全て自分で選択しているのである。

「のりご飯を食べる」
という選択をしたのは
私であるように

ただ、私が選び、
子供が創るイメージとの
違いをまた
私が選んだのである。

思ったのと違うじゃん?


そう認識したのは「自分」なのである。

そう、なんとなくわかる?

全ては自分の心が認識して
それを選択したのである。

思ったのと違うじゃん?


ってさ。

子供は子供の創作料理を
選んだだけ。

私は「のりご飯を食べる」
ことと

子供にそれを委託したことに
よって
「ガムテープ食感のりご飯」

という「食感」まで選択したのである。

それは、自分の心で選択したってこと。

どんな出来事であれ
全て自分の心が選択している。


ようは、自分自身の
心のとらえかたが
良いも悪いも決めている
のにもかかわらず

誰かのせいにしたり
トラウマだったり
なにかの出来事のせいにしたりする。

こうやって、自我というものは
外側の世界に意識を向けさせて
神我の本当の自分というのを
かくしていく。

全ては自分で選択をしている
という事実は
「のりご飯」のエピソードのように
日常生活の中では
たっくさん起こっている現象です。

とくに、意識してほしいことは
「これは絶対に自分のせいではない」
という出来事ほど

自分が選択したこと


なのである。

マジか?
って思うことだが
そういう風に起こる出来事を
観察していくと
なんとなくわかってくる。

これがわかってくると常に

自分がどういうことを
選択しているのか?


その癖がわかってくる。

それが、俗にいう
ポジティブシンキングとか
ネガティブシンキングとか
言われていること。

ズバリ!

「選択」は癖です。

自分の思い癖に気づけば
選ぶ選択肢が変えられる
ってこと。

自分の思い癖に気づき
選択肢が変われば
あなたの
目の前の景色を変えることが
できますよ~♪

この素晴らしき自由意志の
世界へようこそ!


ではまた!

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