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砂糖菓子の弾丸はわたしを撃ち抜けない おとなになって読む砂糖菓子

 いつからだろう。「未成年が主人公の小説」を読んで、自分の立ち位置が「大人」から動かせなくなってしまったのは。


 13歳たちが「自分はこうしなくちゃいけないんだ」とか「これは自分には望んでも叶わないものなんだ」とか思ってるあれやこれや、そうだけど君のせいではないよ!とか、それは辛いことだけど実はよく(でもないやつも)ある話なんよ、とか、それはそれとして筋の通らん話だよ保護者…!とか、そういう思考とともに読んでしまう、ということです。
 あまり出来の良いお母さんではないけれど、それでもやっぱりいちおうわたしも、ヒトノオヤであるいうことなのか……ほんっとに、ぜんぜん「いいお母さん」ではないのだけれど……そうなんだけど……


 13歳の時に。
もしくは未婚の時に、せめて子供を産む前の地点で、この本と出会っていたら。

 たぶんわたしはもっと違う感想を抱いたと思う。大人目線のアレコレなしで、どっぷりと13歳(と17歳)の世界に首までつかって、のっぴきならないこどもの世界の残酷さを、心に刻みつけて読んだと思うんだ。 

 残念ながら今となっては、砂糖菓子の弾丸はわたしを撃ち抜けない。いや、違う撃ち抜かれ方はしてはいるのだけれど、しかし、ちゃんと正当なやり方で撃ち抜かれたかったな、と、思う。その弾丸の鮮やかさを目撃した身としては。
 しかしそれは、今となっては、どうしようもない話。


 友彦がひきこもりになった直接の原因がなんであれ、「神」から17歳のこどもに一旦戻り、そのあと実弾を撃つ大人の男になるその成長のプロセスが、あの公団住宅の狭いお部屋では起こり得なかったのは、とてもよくわかる話で。

 軍隊がセーフティネットになる話なんて最低だし、しかしそれすらなかったらもっと最低だったのは明白で、だから大人としてわたしは、自分が所属して構成しているこの社会の最低なところを、ちゃんと考えていかないといけないよなと思う。見なかったふりをせずに。
 17歳に対して、こんな社会でごめんちくしょうしか言えない。言えないとか言ってるだけじゃなくてもうちょっと、なんかないのか。選挙に行くとかだけじゃなくて。ごめん。ほんとごめん。


 ああ。
夫が亡くなった後、ものすごく頭のいい長男をこの困窮をなんとかしてくれる魔法の杖みたいに考えていた母親のいる家では、友彦は子供に戻ることも、そのあと大人になることもできなかったんだろうな、というのがズシンと腹にくるかんじでリアルで。

 吐き気と、じゃあその孤独な未亡人に夢を見るなと外野の困窮していない誰かが言うグロテスクさと、じゃあそのために更に孤独な未成年を潰してしまうくらい抑圧してしまってよいのか?という問いとが、ぐるぐると頭の中を回るよ。なぎさちゃんがそこまでむちゃくちゃ頭がよくなくて、良かった。本当に良かった。第二の友彦コースだったかもしれんから……


 そういえばアレわかんなかった。兎殺し。藻屑パパが犯人かと思ったんだけど、彼、人や小動物を殺すことに取り憑かれた快楽殺人者ってタイプでもなかったと思うんよね(もしそうなら家宅侵入したなぎさちゃんをたぶん殺ってたと思うし)

 パパは、基本的に感情のコントロールができない、大きな子供だったのかなって思う。ヤバいクイズに合格できるあっち側のひとではあっても、どんどん死体を作るタイプではない気がした……

 「かわいそう」だし、物語がはじまるずっとずっと前の地点から助けを必要としていたのが海野パパだったのかもしれないとは思う。思うが。
 しかしながら、勿論彼はguiltyだ。真っ黒なguiltyだ。それどころか、未成年の保護者をやるというのは、本当はもっと、もっと………

 たくさんのものをこどもに与えなくちゃいけないんだよ、大人っていうのはね。そう、本来なら。本当なら。自分のおなかがすごくへってても、どんなにしんどくても、こどものことを考えるべき、なんだ。道義的に。
でも彼は、彼自身がこどもだった。こどもが他人に与えられるものしか、自分のこどもに差し出すことができなかった。だから藻屑ちゃんは砂糖菓子の弾丸を撃つしかなかった。与えられなかったこどもが持てた、唯一の武器を。

 感情のコントロールがきかなくて殺しちゃって、安易に「さよなら」なんて手紙を書けるような、そんなひとごろし。どうしようもないんだよ。そいつに責任を取らせようとしても無理だから、むしろその「どうしようもなさ」をまわりがわかって動かなくちゃいけない…大人でありながら幼児みたいな、やっかいな存在……

 そう。
だからむしろ道義的責任は、そういう人だってわかってて娘をそちらにやった、ママにあるんじゃないのか…がわたしの最終的な感想で。

 いや…こんだけわかりやすく虐待してる案件でママが引き取ろうとして行政に邪魔されることはないと思うけど法律詳しくないけどでもさ。それ、できるよね。可能だったよね。自分の意志で藻屑ちゃんを(もしかしたら死んじゃうかもしれないけど、そうなっても仕方ないと思って)パパのそばに置いてる状態にさせたんでしょ。それは、やっぱり、guiltyだよ…藻屑ちゃんの死の責任の、少なくない部分は、母親にあるでしょうよ、この構図……

 どんなにパパが抵抗しても、ガンガン戦って娘をさらっていって安全な場所に置くべきだった。でも、そうしなかったし、だから藻屑ちゃんがママを憎むのは相応の報い、だと思う。もちろん人を殺すやつが虐待するやつが、一番悪い。悪いに決まってる。それは当然のこととして、「虐待される」とわかっていて「殺されるかもしれない」のに未成年をそこに置くことの罪深さは……真っ黒なguiltyは……ひたすらに怖い、です。


 だからといってわたしがなぎさちゃんの母や藻屑ちゃんの両親よりマシな人間なのか?というと、ただ今現在追い詰められていないだけで、実は同類かそれ以下という可能性も、ある。全然ある。
 だから、こどもというものをみんなが育てる社会のほうがいいよね、と思っている。手を出せない部分が多いのは十々承知の上で、しかしながら親が終わっているとこどもも終わってしまう社会はさ、救いがないよね。そうじゃないほうがいいよね。

 うまく言語化できないけど、砂糖菓子の弾丸のことをちゃんと覚えておいて、そのことをずっと忘れないで生きていきたいと思う。それがちゃんとわたしの心臓を貫いてくれなかった読者という立場として、むしろそれは道義的な責任の話だと思うから。
 戒めとして。

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