朝マック2世(2023.10.29〜11.4)

毎週土曜日は朝からマクドナルドで本を読み、朝マックを食べる習慣が僕にはある。
大体8時半に入店し、1人掛けのカウンターの一番通路側に座る。
窓際の席は長居するつもりの誰かがいつも参考書やタブレット、パソコンを広げているので1時間そこらで退店する僕は人が近くを通ろうとも通路側にいるのが一番気楽であるという考えて落ち着いていた。
朝早く起きる予定もなければ必要性もないが、休みの日に寝坊して生活リズムを狂わせるくらいなら平日と同じ時間に起きておこうという我ながら不自由な発想でずっと続いている。
金曜日に最寄り駅に隣接する商業施設に入っている小さな本屋で興味が湧いた本を買い、土曜日に朝マックを食べながら読み始め、大体は日曜日中に読み切ってしまう。
趣味とも呼べないものの、唯一続いている習慣を今日も実行に移すためにマクドナルドに来た僕は、いつもの席に座ってスマホでモバイルオーダーを済ませ、本を開く前にチラリを左側を見やる。
僕の座るカウンターの左手には通路があり、その通路を挟んで4人掛けの席が3組並んでいた。
互いに口も効かない常連客の中で、その一画は空けておくという暗黙の了解が存在していた。
毎週土曜日のこの時間にはいつも1人の男性の老人が3組の席の真ん中を占拠し、気難しい顔で新聞を広げているからというのがその理由だった。
別に常連の棲み分けが出来ているという微笑ましいものではなく、彼が顔だけでなく態度も気難しく、騒いでいる学生や子供に怒鳴ったり、彼が来る前にその席に座っていた客に悪態をついたりするから避けたい気持ちで同じ区画を利用していないだけである。
ファストフード店に静寂を求めるどころか強要しようとする態度には辟易するが、率先して関わりたくもないので自ずとその一画は空けておくようになった。
普段ならそろそろその老人がやってくるはずのその席に、今日は中学生くらいの少年が1人で座っている。
前髪で眉が完全に隠れ、大人しそうな印象を受ける彼がやって来た老人に悪態つかれ、席を移動させられるのを見るのは気が重く、心配になってしまうものの、声をかけようか迷っているうちに店員が注文した品を届けてくれた。
店員も心配なのか彼を見るものの、結局声をかけずに戻っていってしまった。
「あの、おはようございます」
何と声をかけたら良いか解らずに挨拶したものの、「すいません」で良かったのではと後悔していると彼は驚くでもなくこちらを真っ直ぐ見つめて返事をする。
「おはようございます」
あまりに真っ直ぐこちらを見るので顔だけ向けているのも失礼な気がして椅子を回転させ、通路を挟んで向き合う形に姿勢を直した。
「言いにくいんだけど、その席はいつも常連のお爺さんが座っていて、他の人が座ってると退かせようとするから席を移動しておいた方がいいと思うよ」
自分でも情けないことを言っている気がする。大人である自分が間に入ればいいのにトラブルを避けて始めから彼を退かせようとしている事が恥ずかしくなってくる。
彼は怪訝そうな表情を浮かべ、少し考える様に俯いてから口を開いた。
「そんな事をするんですか?」
「あぁ、騒がしくしてる人を怒鳴ったり、とか、店員さんにも文句を言ったりとか、されることがある」
この場にいない人の事を吹き込む自分も大概だなと思うと言葉が途切れがちになってしまう。少年はこちらを真っ直ぐ見たままでそれを聞いているので余計に恥ずかしくなる。
「要するに偏屈で煙たがられている人なんですね。」
容赦のない要約に僕は頷く前に思わず老人が来店していないかあたりを見渡してしまう。
その意図に気付いたのか少年は僕に続けて言う。
「大丈夫です。その人は来ません」
「え?」
「祖父は亡くなったので」
あんなに元気そうな老人が亡くなったという事実よりも、老人を祖父と呼ぶこの少年は孫という事になり、自分は遺族に悪口を吹き込んでいた事になる。失礼極まりない。
まずは謝らないと、そう思い口を開こうとした瞬間に少年が先に言葉を発する。
「家でもそんな人だったので、外でもそうだったのかと思うとより残念です」
その率直過ぎるコメントに何と声をかけて良いか解らず、とにかく何か言わないと、と言葉を絞り出す。
「ご、ご愁傷様でした」
彼の発言に対するツッコミの様な間になってしまい、もう何を言っても悪手なのではないかと思ってしまう。毎週の読書も目的がなければ表現として身についてくれはしないらしい。
彼も自身の発言への揶揄と取ったのか、初めてクスリと笑ってから頭を下げる。
「祖父がご迷惑をお掛けしました。土曜の朝からあの不機嫌な態度を見せられていい気はしないでしょう」
「散々な言い様だね」
あまりにも老人のことをバッサリと斬る発言をする少年に気圧されてしまう。
家でも老人の態度が変わらないとなると、孫からすると煙たい存在だったのかも知れない。
ただそれに何も知らない自分が同調する訳にもいかず、そう返すのが精一杯だった。
「祖父と孫の仲睦まじい出来事とは無縁でしたから。だからどんな人なのかもよく知りません。ただ、毎週こうして店に来てどんな景色を見ていたんだろうと急に興味が湧いて来てみたんです」
少年は僕の背後にある窓の外を眺めながら続ける。
「店員さんに聞くと、いつもここで新聞を広げていたと教えてもらいました。家の祖父の部屋は隣にマンションが建ってしまって陽が入らなくて、だから窓から外が見えるこの席を選んだんでしょうね」
週に一度、開放的な空間で1人の時間を持つためにこの店を利用していたのかと思うとあの老人の事が少し身近に感じられた。
「だからってマンションの人たちに言いがかりをつけていい訳じゃないですけど」
少年は大人しく見えてかなり口が達者なのかも知れない。
こちらが返答しにくいことを承知で言っているのだろう。そのまま視線を机に向ける。
「広げた新聞の隅に記事の事とか、思いついた事とかをよく書いていたんです。達筆過ぎて読めないものも多かったですけど、憂いている感じの内容が多かったかな」
あれだけ好きに振る舞っていた老人がまだ世を憂うのかと思いつつ、憂いているからこその振る舞いだった様にも思えてしまう。
「まぁ、家じゃない場所で毎週そういう時間が持てたのは良かったんだろうね」
「そう思います。僕は学校も勉強も習い事も趣味も、何かをずっと続けられた経験がないので、何か習慣に出来ていることは尊敬しています」
淡々と聞かされたものの、彼は不登校気味だったりと苦労しているのかも知れない。
ただ初対面でそこに踏み込める訳もなく、聞き留めることしか出来なかった。
「でも、決めた場所に来て、ただ時間を過ごすという習慣なら続くかも知れないと今日思いました。祖父にも続いたのだから、僕にも出来る気がします」
そう言って彼はトレイを持って立ち上がった。
「聞いてくれてありがとうございました」
「えっと、また来週」
急に話を切り上げられたので何と返して良いか少し考え、返事をした。
それを聞いて彼は笑顔で頷いてゴミ箱にゴミを捨て、去っていった。
「朝マック2世・・・か」
家系図的には3世なのかも知れないけれど、僕らやこの店やからすると2世だろう。
その背中を見送ってポツリと呟いてすっかり冷めてしまったマフィンにようやく手を伸ばす。
唯一続く自分の習慣の同志を2人得られて肯定された様な気分だった。
次は隣に座ってもいいかも知れない、何でもないことだとしても、同じ景色を見てみたいと僕は思った。

この短編は下記の日記から連想して書きました。
https://oka-p.hatenablog.com/entry/2023/11/05/212403

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?