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人と人間、この文字が上手くまじりあう事は難しい、それ故にいろんな景色が生まれる。

ある朝の事、男は玄関の扉を横へガラガラガラと開けて外に出た。すると、何時もの様に自転車に乗って通学、通勤する人々が家の前を通り過ぎて行く、男は朝目覚めたばかりで、まだボーとして居た。そこへ5歳位の男の子を見つけると男は何故か男の子の手を捕まえると、「来い!」と手を引っ張った。
すると男の子は突然の出来事に怯えて声を上げて泣き出した。男は子供の顔を一発、ニ発とビンタをし、すると男の子は怯えきって泣くのを辞める。そしてもう一度手を引き連れて行こうとした瞬間、後ろから子供の手を勢いよく引っ張り返し、無言で男を睨みつける母親の姿が有った。
男はまずいと思い、思わず男の子の手を離すと何も無かったかの様に歩いて自宅の玄関の前を通り過ぎて逃げ去ろうとする。
母親は慌てて携帯電話を取り出すと、警察へ電話連絡を入れて電話越しに事細かく事情を説明した。少し経ってから警察が到着したが男は立ち去った後で、その場で取り押さえる事は出来なかった。
しかし一部始終を見て居た男の家の隣の奥さんが警察に事情を説明し、男の住所、氏名まで全てが判明した。名前は有馬敦司、三十九歳独身、職業高校教師で水仙女子高校の体育教師である。
逃げた有馬は判っていた。自分の素姓が全てバレている事が、有馬は何で自分の家の前であんな事をしてしまったのか自分でも判らなかった。「何故だろう~判らない!」
有馬は小走りで逃げた。逃げても、逃げても自分が今、何処へ向かって逃げて来ているのかすら、判らなかった。
男の頭の中には罪を犯したという罪悪感と何で自分はあんな事をしてしまったのだろうという、後悔する気持ちで一杯だった。
だが、そんな気持ちの中、有馬はひたすら必死に逃げた。だが一生懸命に逃げれば逃げる程、体が宙に浮き手足が空回りしたみたいに前に進んで行かない。そして焦る気持ちが更に自分を焦らせる。そんな中何故か人の視線を感じてふっと上を見上げると、一人の中年女性が自分をじっと見つめていた。誰だろうと思ったが取り合えず必死に茂垣ながら有馬は逃げた。走っても、走っても誰かに追われている気がして逃げる事を辞めれなかった。すると目の前には橋が出て来た。この橋を渡らないと向こう岸へは行けない。有馬は橋を渡り始めた。そして有馬は走った。しかし早く走ろうとすればするほどまたしても体が宙に浮き前へ進まない。
すると目の前に何故か橋の幅一杯の大きな扉が現れた。それは有馬の行く手を阻み罪に服せと言わんばかりであった。「何だ、これは・・・・・・」と思いながらも全身の力を込めて重いドアを有馬は押し開けて前へ進んだ。
そして有馬は更に必死で逃げた。
するとまた大きな扉が出て来た。
扉を開けて逃げる有馬、また扉が出て来た。扉を開ける有馬、そして逃げる、また扉が出て来た。扉を開けると、そこには逃げるという事の恐ろしさを漂わした心の壁が立ち塞がった。だが何故か有馬は踵を返し、まだ引き返し逃げようとする有馬自身がそこに居た。ふっと、また背中に視線を感じ上に目を遣ると、何故か先程の中年女性が自分を見つめている。何処へも逃がさないと言わんばかりに、自分をじっと見つめて威圧している。そこで有馬は夢から覚めた。
 その夢の中を逃げ惑って居たのが、男子教師有馬の心の奥底に住む本当の姿、臆病者の有馬敦司自身なのだ。だが今の有馬本人は気が付いていなかった。自分の精神状態の異常に、何故なら子供の頃からいじめられっ子だった有馬は毎日おどおどと怯える毎日を過ごして来た。そんな弱い自分自身を守るため自分の中にもう一人の強い自分を何時も想像し大丈夫、何事にも負けない強い自分が守ってくれる。守ってくれるんだと何時も自分に言い聞かせていた。そして一人で何もかも自分の意のままにする事の出来る強い空想の自分を作り出し、弱くて臆病な自分の心をガードし、心の中に二人の有馬が存在する様になっていた。現実と空想の世界の区別も付かない二重人格者である。
端から見ると平常心を保った普通の人間に見えるのであった。しかし、既に本人の人格は心の奥底へ隠れてしまい、表には出てこない状態に成っていた。空想のもう一人の人格が勝手に有馬を支配し、独り歩きしている状態であった。そしてある日の夕方の帰り道、男子教師は商店街の真ん中を堂々と肩で風を切り歩いていた。夕方の商店街とあって人も多く賑い、買い物をする主婦や帰り道を急ぐ学生達で一杯だった。そんな人ごみの中を有馬は我が者顔で歩いていた。其処へトレンチコートを着たサラリーマン風の男と有馬は肩がぶつかった。一瞬何かが焼け焦げた匂いが辺りに立ち込めたが、吹き抜けの商店街という事も有って、直ぐにその匂いは消えて無くなった。
勿論、その匂いに気が付く人は一人も居らず人の流れが止まる事は無く流れ続けた。
すると急に有馬は立ち止まり白目を剥いて前のめりに倒れていった。
だが誰も倒れた有馬敦司が殺された等とは思いもしなかった。
ただ倒れた有馬の周りを通りがかりの人達が取り囲んで「どうしたんだ・・・この人、急に倒れたみたいだったぞ・・・・・・」余りの一瞬の出来事に何が起こったのか誰も知る余地も無かった。警察が駆けつけた時には有馬は完全に死んでおり、鑑識の結果は心臓部辺りに高圧電流を浴びせられてのショック死と断定された。つまりは他殺である。
しかし警察の捜査は目撃者が一人も居ない状況と犯人に繋がる物が何一つ見つからない事から、後に捜査は暗礁に乗り上げ、この事件は迷宮入りとなる。
だが有馬が犯した罪も、死んでしまった女子生徒自身は勿論の事、二人目の被害者の女子生徒も死んでしまった有馬への訴えをする事も無く事件が表ざたに成る事も無かった。
被害に遭った一人目の女子生徒にも、二人目の女子生徒にも今回の終わり方が一番ベストのであると判断したのは有馬をあの世に送った卓であり、この事によって何人もの人達が救われ、その中には事件を犯した有馬敦司自身もその中の一人である事を卓は知っていたのである。何故ならこの暗殺依頼をして来たのは、何を隠そう有馬敦司自身で有るからである。
仲介人の周の下に一通の手紙と一緒に依頼料として五百万円が入っていたのを確認した時、周自身が手紙を読んで驚いたのである。
手紙の内容は自分自身を殺して欲しいと言う暗殺以来であったからだ。周も長い事この仕事をやって来たが、こんな事は過去に例がなく迷った。そして周は卓の下に相談しに来た事から始まったのだった。

 有馬からの手紙にはこう書かれていた。
 私は教師の要職に有りながら、とんでもない事を犯してしまいました・・・ 

罪を償うには死をもってしても償えるとは思えませんが、私だけがこの世に生きる事は許される事ではありません。
なんとか殺人鬼と化してしまった私の命をこの世から消し去って下さい。
それが私の心の病が元で死に追いやってしまた彼女の無念を晴らす事に繋がる事だと私は思います。
そしてもう一人の彼女に植え付けてしまった恐怖と言う二文字を私が死ぬという事で少しでも取り除ければと思います。
それと間違いなく言える事は、このまま私が生きて居たならば、また何人もの被害者が出る事は間違い無い事でしょう。
それだけは何としても避けなければなりません。ご迷惑をおかけしますが何卒、お聞き入れ頂けます様お願い致します。
             

有馬敦司

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