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「職業としての小説家」 村上春樹

「もし本というものがなかったら、もしそれほどたくさんの本を読まなかったなら、僕の人生はおそらく今あるものよりももっと寒々しく、ぎすぎすしたものになっていたはずです。」



「職業としての小説家」 村上春樹


村上春樹さんの自伝的 (小説家についてのあるいは、小説についての) エッセイです。


村上春樹さん自身の自伝小説を読んでいるかような、そんな感覚でもありました。


また


小説を読むこと、文章を書くことについても深いことが書かれていて、それらを語る文体も心地いいものでした。


小説家というものは、とにかくものすごいスピードで物事を解析し、有している知識の抽斗(ひきだし)から、状況にあった物事を的確にバランスよく整え、読者にわかりやすく、おもしろく 「物語を語る」 のではないかとこの本を読むまでは、漠然と考えていました。


しかし


春樹さんは、こう語っています。


小説を書く ━ あるいは物語を語る ━という行為はかなりの低速、ロー・ギアでおこなわれる作業だからです。

実際的に言えば、歩くよりはいくらか速いかもしれないけど、自転車で行くよりは遅い、というくらいのスピードです。

(中略)

あくまで僕の個人的な意見ではありますが、小説を書くというのは、基本的にはずいぶん「鈍臭い」作業です。

そこにはスマートな要素はほとんど見当たりません。一人きりで部屋にこもって「ああでもない、こうでもない」とひたすら文章をいじっています。


この一節を読んでから小説を読むと、その味わい深さが変わりました。(かなり歩幅を小さくして、ゆっくり歩き、細部を表現しているという点で)


春樹さんの言う「物語というスローペースなヴィークル(乗り物)に、身体性を合わせていく」ことが、物語の旨みを味わうことだと感じたからです。


小説を書くきっかけも書かれていました。


1978年にプロ野球、ヤクルトVS広島戦を見に行ったとき、何の根拠もなく、ふと思ったそうです。


「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」


しかし


いったい何を書けばよいのか、考えがまったく浮かばなかったといいます。


そして、考えたのが


僕が最初の小説 『風の歌を聴け』 を書こうとしたとき、「これはもう、何も書くことがないということを書くしかないんじゃないか」と痛感しました。

というか、「何も書くことがない」ということを逆に武器にして、そういところから小説を書き進めていくしかないだろうと。

そうしないことには、先行する世代の作家たちに対抗する手段はありません。とにかくありあわせのもので、物語を作っていこうじゃないかということです。


それには、新しい言葉と文体を作ることだったのです。


まず「説明しない」ということでした。

それよりはいろんな断片的なエピソードやイメージや光景や言葉を、小説という容れ物の中にどんどん放り込んで、それを立体的に組み合わせていく。

(中略)

そういう作業を進めるにあたっては音楽が何より役に立ちました。ちょうど音楽を演奏するような要領で、僕は文章を作っていきました。

主にジャズが役に立ちました。ご存知のように、ジャズにとっていちばん大事なのはリズムです。


『村上春樹』の文体の1つ、リズムや軽快な会話などは、音楽やジャズの感覚を取り入れてたんですね。


それから


小説家になるための訓練に必要なことは?


これにはこう答えています。


小説家になろうという人にとって重要なのは、とりあえず本をたくさん読むことでしょう。

実にありきたりな答えで申し訳ないのですが、これはやはり小説を書くための何より大事な、欠かせない訓練になると思います。

小説を書くためには、小説というのがどういう成り立ちのものなのか、それを基本から体感として理解しなくてはなりません。


そして


春樹さんが創作する上での、とても重要なことが書かれてありました。


まさにそれは、村上春樹作品をよく読んでいる方にとって、心当たりがあり、村上作品の核となっているところでありました。


小説家の基本は物語を語ることです。そして物語を語るというのは、言い換えれば、意識の下部に自ら下っていくことです。心の闇の底に下降していくことです。

大きな物語を語ろうとすればするほど、作家はより深いところまで降りて行かなくてはなりません。大きなビルディングを建てようとすれば、基礎の地下部分も深く掘り下げなくてはならないのと同じことです。

また密な物語を語ろうとすればするほど、その地下の暗闇はますます重く分厚いものになります。

作家はその地下の暗闇の中から自分に必要なものを ━ つまり小説にとって必要な養分です ━ 見つけ、それを手に意識の上部領域に戻ってきます。

そしてそれを文章という、かたちと意味を持つものに転換していきます。その暗闇の中には、ときには危険なものごとが満ちています。そこに生息するものは往々にして、さまざまな形象をとって人を惑わせようとします。

また道標もなく地図もありません。迷路のようになっている箇所もあります。地下の洞窟と同じです。油断していると道に迷ってしまいます。そのまま地上に戻れなくなってしまうかもしれません。

その闇の中では集合的無意識と個人的無意識とが入り交じっています。太古と現代が入り交じっています。僕らはそれを腑分けすることなく持ち帰るわけですが、ある場合にはそのパッケージは危険な結果を生みかねません。

そのような深い闇の力に対抗するには、そして様々な危険と日常的に向き合うためには、どうしてもフィジカルな強さが必要になります。


この本は小説を書くということだけではなく、物を書く(Noteやブログや読書感想文もそうですね)上で、とても興味深いことが『村上春樹』の文体で書かれています。


非常に繊細で、奥深い内容であるにもかかわらず、軽快なリズムで読みやすい。読んでいるうちに「村上春樹」の文体の「たまり」に入ってしまうことになりました。



【出典】

「職業としての小説家」 村上春樹  新潮社




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