愛なき森で叫べ:Deep Cut

無事に一気観したぞ…!!
以前感想を書いたけれど結局お蔵入りにしてしまったので、他の感想などを検索する前にまとめておく。
2019年10月公開版を「映画版」、今作を「DC」とする。

「実話に着想を得た物語」の「実話」は現実で起きたとんでもない事件のことで、『闇金ウシジマくん』の「洗脳くん」パートの元になった事件と同じ。
最初に映画版を観たときは「洗脳くん」の感じを期待していたので途中までは監督のセルフオマージュを楽しむだけだった。
グロ目的なら『冷たい熱帯魚』の方がパンチあるなあと思いながら割と冷静に観ていた。
それが、映画版は最後の30分で大どんでん返しを食らってしまい、あまりにも深く突き刺さったので一気に大好きな映画に転じてしまった…
「むき出しの狂気よりも隠された狂気のほうが恐ろしい」というのを見せつけられて圧倒された。
私はこの映画を男の人に観てもらいたくなる。
最後の30分のために、DC版であれば第7話のために、1秒たりとも目を逸らせないようにがっつりホールドして視聴させたい。

⚠️以下ネタバレあり。⚠️

○構成比較
映画版とDCでは大筋は変わらなかった。
途中シンが妙子を殺す場面のカットが無くなっていたので妙子生存ルートか!?と思ったけれどそんなことは無かった…
映画版と違って途中でシンの正体をバラしてしまったのはマイナス要素だったな、、、
あとは美津子が死ぬ時に握っていた50円の見せ方がわざとらしくてあまり好きではなかった。
それ以外の細かな場面挿入、特に前半においては期待通りだった。公式補完という感じ。
特にJの妙子に対する見解、「本当は村田に惚れてんじゃね?」みたいな一言が加えられただけで、妙子の謎行動の落とし所になってくれた。
ロックアレンジの「仰げば尊し」が流れるタイミングや長さ、映画版では違和感があったけれど、DCでは自然な流れになっていたり。
「ヤリマン」を公言する妙子と童貞のシンがセックスする流れにならなかった理由がわかったり(これも映画版だとかなり違和感があった)。
撮影隊は元々Jの仲間だったのがわかったり。
映画版よりも情報量が多かったのに映画版よりもテンポよく感じた。
全体的な評としては、「公開してくれてありがとう!」と叫びたい。

○1番好きなカット
長野に逃亡した直後の女性トイレの場面、「にーんしーんにーんしーん」と歌いながら去る美津子の表情がめちゃくちゃ好き。
舌を出して笑っているのね。
この美津子は素に違いないと私は思っている。
DC版だとがっつり美津子にピントが合っている。
映画版だとボケていたので気付いたときはウワァーってなった。おんな、こわい。

○エイコの神聖性
DC版でエイコの場面が増えたことにより、彼女がみんなに愛されていたのがよくわかった。
エイコのもつキラキラした雰囲気、無邪気さや奔放さが、色んな人から愛された結果の性格なのがよくわかる。
「私は腐った魚なの」という美津子のセリフもだいぶ違和感なく飲み込めた気がする。まだ少し浮いている気もするが。
美津子と妙子のどちらが好きかは結局答えずにはぐらかしていたけれど、どっちも好きで選べなかったのではないかと思う。
傍から見ている感じだとエイコとして妙子を、ロミオとしてジュリエットを、それぞれ好きだったんだろうなぁという感じがする。美津子ではなくジュリエット。ただ本人はそこまで考えていなくて、好きという感情だけがあるような。
こういう無自覚な純粋さが1番厄介で、怒ることも憎むことも許さない暴力性を孕んでいるなあ、と思う。ずるい。これは現実の人間を見てもそう感じる。
J解体中、深夜の山荘で妙子がエイコと会話する場面はグッときた。ナイス補完。

**○村田の特製通電棒 **
映画版でもDC版でもよーく目を凝らしてみたけれど、シンの身体には通電痕が見られなかった。
映画版では、アミが茂とアズミの解体をしている時に、シンが「手伝うよ」と言ってTシャツを脱ぐ場面があった。
一晩通電祭りが催されたという説明を挟んだ後なのに???と、映画版ではものすごく引っかかった場面が、DCでは確かカットされていた。
映画版ではシンが殺人鬼であることを知らないからこそ良い違和感が芽生える場面だからね、無くなっても仕方ない。
主要人物の中で恐らく唯一通電されなかったのだろうという点からもシンの異常性というか立ち回りの上手さ、三流ヘボ役者を凌ぐ実力を持っていることがよくわかる。
通電棒絡みの話だと、フカミは通電されていたのではないかな、と思っている。
飲みの場で1番先に懐柔されていたのに、一転して尋常じゃなく怯えていたので。
村田に「喜怒哀楽」を強要されると共にビンタをくらっていた時のフカミの涙は、その先に与えられる痛みを知っているからなのかな〜という答えのない深読み。
関係ないけれど、DC版では「喜怒哀楽」に謎字幕が出ていて笑っちゃった。

○フカミ
長谷川大さん、Twitterでいいねくれたから好きです(単純)。
同監督の『アンチポルノ』では撮られる側だったのに、今作では撮る側になっているのが面白い。
立場の逆転で言えばでんでんもそうだし、未履修の作品からもわさわさ出てきそうではあるけれど、『アンチポルノ』は1番好きな作品だなので気付けたのが嬉しい。
『アンチポルノ』では嫌な役だったけれど、フカミは良い奴だし美津子の死んでほしいリストにも名前が上がらないぐらい普通の男の子だったので、生存ルートで良かったなあと思いました(急に小並感)。

○妙子
村田を目の敵にしている割には映画班を引き合わせてしまったり、美津子が過去に囚われているのを叱責している割には自分の部屋も過去の写真だらけだったり、一貫性に欠けたキャラクターという印象。
よくいるサバサバ"系"女子のテンプレという感じで個人的に好きではない。こういう女子は特大ブーメランをぶん回して生きている人が多いのでな、、、
その都合のよさに人間味を感じてかわいいなぁとは思う。

○美津子
DC版を観て彼女に対する疑問が深まった。
村田を1度も愛したことがなかったと言うなら、50円玉でリスカしたのはなんで?とか死ぬ時に50円玉を握っていたのはなんで?とかってなってしまう、けれど、
この辺りは解釈の幅が広すぎるので理解できないものとして処理した。
私自身が愛だとか好きだとかという概念をよく理解していないから仕方ない。
作文朗読シーンの痛快感はDC版の勝ち。
映画版でも好きすぎて、真似できるぐらい何度も何度も観てしまったぐらい好き。
村田は美津子を利用しているようで、実際は逆だったというところ。
美津子に「むき出しになれ」と言っていたのに、美津子のむき出しを理解し切れなかった村田はやっぱり三流ヘボ役者。

○アミ
1番好きなキャラクター。1番正しくむき出しであった女の子。
愛を注がれた女は最強で可愛いというのを体現している。歩き方、喋り方、どこを切り取っても自信に溢れている。
エイコは純粋な可愛さである一方、アミは愛されているという自覚が強いためよりギラギラした可愛さというか、凶暴性を備えている感じがある。これがたまらない。
普段から遊び歩いてそういう性格に辿り着いたんだねぇという感じ。反論の余地もなく好き。
死ぬ直前に立ち上がる場面とかね、本当に強い、と感じさせる。好き。
村田と初対面のシーンで、家を出たときにスカート丈を直すアミちゃんがお気に入り。
そういえばDC版では村田のキスが気になった。
やたらと初手キスを決めたがるのは、キスすれば落とせる!という自信と実力及び実績があるんだろうなと思ってしまった。
よく考えたら村田、入りがワンパターンすぎてウッワって感じだしどこまでいっても三流ヘボ役者といったところ。

以上!書き残しがないか不安だけれど、これを公開するまで他の感想を見ない縛りを自分に課しているので、切り上げて巡回しようと思う。

私は園子温監督の作品が大好きだ。網羅しきれている訳ではないけれど。
叫び出したりのたうち回ったりしたくなる、言葉にし切れないどす黒い衝動を抱えて生きている私は、園監督の作品内で描かれるむき出しを観ることで、少しだけ昇華されるような感覚になれる。
「もっと殴って」というセリフが使われる度にわかる、となってしまう。
私の中の衝動を、もっと圧倒的なもので抑えつけてほしいという願望、現実では諦めたので。
いつか私にとってのシンが現れて、全部むき出しにしてそのまま殺してくれたらいいのに。

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