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欠けた仏像、クメール、ガンダーラ、廃仏の記憶

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浦和にある調神社の蚤の市に行ったとき、片隅にあったガラクタ屋(失礼!でも、ここにあるものみんな500円ダヨとか言っていたお店だったので)で、妙に気になる仏像があった。


持ってみると、掌に乗るサイズにもかかわらず、ズシリと重い。石だ。後ろにはクモの卵の跡がいくつもある。
イミテーションにしては余りに素朴だし、そもそも壊れている。

これは何ですか、と店主に聞いたところ、よく分からないとの返事。顔も欠けているし売れないのでただ置いているとのこと。なんじゃそりゃ。
試しにおいくらか聞くと、拍子抜けするような値段だったので、思わず譲ってもらうことにした。


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ナーガというインド神話に出てくる蛇の上に座っている。顔はよく分からないけれど、タイかカンボジア辺りの仏像か。12,13世期頃のクメール期によく造られた様式のようだけれど、どうなのだろう。

カンボジアで廃仏が大量に発見されたというレポートを読んだことがある。廃仏は13世期の出来事で、胴体や首の部分が全て破壊されていたという。この石仏も、何か関連あるのかしら。

そうこう考えていたら、一昨年に行ったパキスタンでみた仏像のことを思い出した。
パキスタンはガンダーラ美術の発祥の地。つまり「仏像」誕生の地だ。しかし、この地がイスラム教の国になったことで、仏像の多くは破壊されてしまうことになる。


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タキシラという土地でみたそれらの仏像は、顔や身体が大きく損なわれており、信仰の対象としては機能しているとは言えない状態にあった。
それをみて、悲しみや怒りの感情は湧いては来なかったのだけど(仏教徒ではないからかしら)、ただ、かわいそうだなと思っていた。

このナーガ仏坐像は、パキスタンのものではないと思う。けれど、この顔の欠けた姿が、あの時と似たような感情を自分に引き起こしたのかもしれない。

この武蔵野の土地でも、明治期以降の廃仏毀釈による、大きな破壊は起こっただろう。この土の下には、もう誰も覚えていない石仏が眠っているかもしれない。

ともあれ、まさか自分が石仏を持つとは、、と思ったけれど、信心深くない自分にとっては、御顔が見えないくらいがちょうど良いというのもあり、今少し見守って(見守られて)みようかと思う。



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