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”産業”とはなんだろう 大分『豊後絞り』

大分県に伝わる『豊後絞り』とは、江戸時代、大分でも一定規模の綿栽培が行われており、そこで生産されていた絞り染めのこと(自然発生的に生まれたのか他地域から伝播したのかは不明)。

豊後絞りは明治半ばには姿を消してしまい大分では存在すら忘れられていたけれど、有松・鳴海絞りで有名な愛知で『ぶんご』と言われる絞りが残っていて(愛知の絞りはこの『ぶんご』がベースになっているそう)、それを染色家の安藤宏子さんが発見し、大分で豊後絞りの復興活動が生まれた。30年程前のこと。安藤さんとその有志によって復興活動が今でも続いている。

絞り染めはかつて色々な地域で生産されていたけれど(岩手や秋田にもあったそう)、非常に手間のかかるものなので、近代化と共に産業としては消えゆく運命にあった。今でも産業として辛うじて残っているのは、京鹿の子絞りと、有松・鳴海絞りの二つ。豊後絞りも産業として一度完全に消えたものだ。

産業とはなんだろう。それは多分、モノだけではなく、それを作り続けるための環境、販路、技術や設備を保つ組織、そうした生態系みたいなものがまるっと含まれる総称だ(と僕は思ってる)。

今自分が携わっている仕事は、モノの事だけではなく、その生産量や効率性からくる価格設定、販路、安定収益や将来性に起因する継続性≒後継ぎ問題などなど、、具体的な経済活動と日々向き合う事だ。でも、そんな産業の生態系から、その土地・人のアイデンティティや思想(信仰)、文化なるものが生まれてくるんだとも。

だから、あえて乱暴にいってしまうと、モノだけの復興は本質的なものではないわけで。でも、だからこそ、この豊後絞りの復興活動に関心がある。それはアイデンティティや思想(信仰)の問題として。何かを復興させることは、そういったものがつきまとう(はず)。もちろん、それ自体が「お金になる(固有性や物語が価値を生む)」と言うこともあるけれど。

文化的なモノを義務感や懐古趣味的に愛でるだけではなく、現代のライフスタイルに合わせアップデートをすることは、うなぎの寝床さんのもんぺをはじめ、様々な地域で取り組まれているし、今の仕事も基本はそれを目指しバタバタやっている。経済活動はアイデンティティや思想ではなく、快適さや楽しさによって駆動している。

では豊後絞りはどうなのか。多分、産業としての復興は求められていないなぁとも思う。だとしたら、この豊後絞りによって何をどのように復興するのか。
調査しアーカイブを残すのでも有意味だと思うけれど、もっと生きたものとして活用されていく可能性が、あの有志(ほとんどの人が主婦の方々)の取り組みにあったなと思った。自分は何が出来るだろう。 

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