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安らかな仕事



深く眠るとき、僕はごく丁寧に亡くなっているのだと思う。そうでなければあの眠りを説明できないから。細い蜘蛛の糸のような手がかりを伝って僕は僕の中にある暗い穴へ降りてゆく。穴はどこまでも深く、懐中灯で照らしても終わりなく下へ続いていく。穴は広く静かになってゆく。静かなことは本来ひどく恐ろしいものだということを僕は思い出す。人間は遥か昔から闇を照らし静寂をかき消してきたのだ。この穴の底には恐ろしいものが充満している。それは一般的な恐ろしさではない。他の誰でもない僕だけが適切に恐ろしがることのできるあらゆる事象や経験、物語がしまわれている。そうしたものたちの待つ穴の底へ僕は静かに降りてゆく。恐ろしいものに囲まれている場所はある種最も秩序のある静寂に守られていると言えるのだ。僕はそこで途方もなく深い眠りを獲得するためにやってきた。穴の底に足がつくすんでのところで僕は紐で結び目を作り、持ってきたもう一つのロープでもやい結びをして身体を空中に固定した。底に足をつくのは一度だけ許されている。それは身体と精神が永く休息を得る時だ。もう上に戻る必要のない、しかるべきタイミングが来ると僕はロープを離して底に足をつく。だが今はその時ではない。だから足をついてはいけない。僕は天を仰いだ。はるか上方に穴の内壁が円環状に重なって見え、奥にかすかな点が瞬いている。あれがかつて明るさだった場所、僕が戻ってゆく世界の入り口だ。すべての喜びと慈しみ、生命ある音楽を僕は置いてきた。一時的に手放したのだ。ここへは何度も降りてきているが、一定の喪失感とそれらが二度と自分の元へ戻ってこないのではないかという恐れが我が身を貫いてゆく。しばらく見上げた後、僕は再び孤独と悲しみの中に僕自身を横たえなければならなかった。それはとても辛く、安らかな仕事だった。


詩集『南緯三十四度二十一分』収録作

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