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海のまちに暮らす vol.6|井戸に神あればタンポポに神あり

〈前回までのあらすじ〉
真鶴出版での初仕事が終わった。新生活のはじまりは思った以上に目まぐるしく、スピード感のあるものだった。

 そろそろ海に挨拶しておいたほうがいいな、と思った。海には海の神さまがいるから。山には山の神が、井戸には井戸の神がいて、タンポポにはタンポポの神さまがいる。僕の場合、以前の家では風呂にいる神様にいつもお世話になっていた。風呂神さまだ。風呂神さまはクリエイティブな神さまみたいで、僕が悩んでいる時によく助けてもらっていた。その姿を見たことはないが、僕が熱いシャワーを浴びたり、湯船に使っているあいだに、突然降って湧いたようなアイデアを授けれくれることがあった。実際のところ、それは降って湧いたというものではなく、風呂に入ってリラックスすることで、ちょっと別な角度から脳みそをつつかれて、それまで見えなかった点と点がつながりを持ち、まったく新しいアイデアが誕生したかのように感じるということなのかもしれない。でも風呂神さまのおかげだと思うほうが愉快だし、僕にとって風呂場というのは家の中で最もクリエイティブな感覚が刺激される空間になっている。神さまが住んでいたっておかしくはないのだ。

 真鶴といえば海の町だし、ここではなんとなく海の神さまが力を持っている気がする。一回くらいは挨拶をしておこうと思う。毎朝、寝室の窓から海を拝んではいるけれど、もっと近くで海を見たい。家の鍵だけポケットに入れて、玄関を出る。高架線の下をくぐって、〈パン屋秋日和〉のある道をくだっていく。下り坂のせいか、早足になる。海を見るのが楽しみだから余計に早足になる。

 パン屋秋日和にはつい最近行った。真鶴出版と同じ通り沿いにあるこじんまりとしたベーカリーだ。シミズさんという若い人がやっている。ここのパンはおいしい。一口においしいといってもいろいろな部類のおいしいがあるのだけれど、秋日和のパンはなんというか、肩肘はらずにおいしい味わいなのだ。また明日食べたくなるようなやさしい味だ。僕は自家製のあんこを包んだ「あんこパン」が好きだ。買ったパンたちを絵に描いた。また買いに行きたい。

 海まで坂を下っていく途中、春の花があちこちに咲いている。シバザクラ、ナノハナ、ユキヤナギ。終わりかけのウメにヤマザクラ。みんなそれぞれ、私が春の代表です、みたいな顔をして咲いているから、道路脇は鮮やかな色彩で溢れかえっている。そして、その後ろに大きな水平線が姿を現した。海だ。前に電車の窓から見た時は青かったけれど、今はもっとエメラルドグリーンに見える。このあたりは〈岩〉という地名で、この海は岩海岸という名前らしい。そういえば、真鶴出版の住所にも、岩と書いてあった。「真鶴町には、〈真鶴〉と〈岩〉という2つの地域があるよ」とトモミさんが言っていた。

 海岸に着くと自然と走り出してしまうのは人間の本能的なものだろうか。ズボッズボッと両足首を砂利に埋めながら、波打ち際まで行ってみる。岩海岸には力強い波が打ち付けていた。浅瀬の所々に黒っぽい岩が突き出している。そこへ波がぶつかって粉々に弾けたり、白く泡立ったりしている。海岸には石が多く、ゴツゴツしていて、波打ち際の近くにだけ色の濃い砂浜が現れる。鎌倉の海と違って、こっちは荒っぽい野生の海だなと思った。

 海に入って10メートルくらいのところに岩が盛り上がってできたような小島があった。小島の傾斜の中腹には真っ赤な鳥居が立っていて、脇にはクロマツが生えている。何かしらの神様を祀っているんだと思う。ここが海神さまの住処みたいなところなのかな。どうやってあそこまでいくのだろう。潮が今よりもっと引いたら、あの小島まで渡れるのかもしれない。海岸線を奥の方までずっと回り込んでいくと、砂浜が消え、足元は大きな岩だらけになった。岩と岩を飛び越えるように歩いていく。奥までいくと、崖があって行き止まりになっていた。岩同士の隙間に海水が溜まって、潮溜りになっている。臙脂色のふさふさした髪の毛みたいな海藻が岩の表面についていた。生き物を探したけれど小さいヤドカリしか見つからなかった。ここから近い大ヶ窪海岸というところで、磯の生き物がたくさん見られるらしいから、今度行ってみようと思う。干潮の時がいいというから、潮見表も手に入れよう。

 帰りにオダヒャクに寄る。真鶴にはオダヒャクというスーパーがあって、海から近いからよくそこで買い物をする。この日は水菜と卵が安かったから買って帰る。豚肉も買う。豚肉は塩胡椒をしてから紹興酒をほんの少し入れて、炒めるだけでおいしい。台所にタマネギがあったからそれも入れる。鶏がらスープの素で味を調節して、買ったばかりの水菜と一緒に食べた。ドレッシングがなくても、炒めた肉と合わせて食べると全然いける。今日はものすごく足が疲れていてお腹が空いていた。岩と岩のあいだを飛び越えながら長い時間歩いたからだと思う。食べ物がおいしいかどうかは自分の体の状態でかなり決まるのだなと最近感じるようになった。汗をかいて、ちょっと塩分が足りない状態だったり、激しい運動をして体の中のエネルギーを消耗している状態だと、わりとなんでもおいしいと感じるし、味を感じる感覚が鋭く研ぎ澄まされていくような気がする。なるべく夜ご飯を美味しく食べられるような疲れ方をする、というのが僕の今の小さなテーマかもしれない。

 翌朝、高架線を走る始発電車の音で目が覚めた。僕が住んでいる家は海からだいぶ高い場所に建っている。そして、家と同じくらいの高さに線路が通っている。線路まで直線距離にして100メートルもないから、ガタンゴトンという列車のリズムが聞こえてくる。風呂に浸かりながら、台所で野菜を水で洗いながら、真鶴の町中を走り抜けていく列車の音を聞くのは、なんともいえない情緒がある。

 天気の良い日には窓を開けておくと、青い海を背景に、さまざまな種類の列車が横切ってゆく。熱海・伊豆方面へゆく列車と小田原・横浜方面へゆく列車が交差する。右へ左へ。オレンジとグリーンの車体の東海道線や、ブルーの特急列車。貨物列車なんかもよく通る。注意して音を聞いていると、外を見なくても今どんな列車が走っているかがわかるようになった。早朝は5時くらいから電車が走るから、その時間に起きて活動を始めるのがちょうどいい。その代わり10時までには寝てしまう。日中、自分の足でよく歩くのもあって、夜8時を回ると眠くなってくる。僕の生活のリズムがだんだんと真鶴の時間に合わせられていく。アマガエルが生息する場所によって体の色を変えていくみたいに、僕も住む土地に合わせて少しずつ生態を変えていっている。それでいいのだと思う。動物にとって、そういうのはごく自然で当たり前のことなのだ。


vol.7につづく

p.s. 木蓮が咲きました






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