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カタツムリと悪癖 (9) あとがき

あとがき


 はじめて喫茶店に足を運んだのはたしか、16の夏だったと思う。気になる人がいた。ドラムを叩いていて、名前を知らないようなインディーズバンドのファンで、自分はそれには全然興味がなくて、話す口実を作りたくて6月の放課後にアルバムを借りた。無理やりiPodに入れたいくつかの曲は通学時にたまに聴くようになって、会話の回数もそれなりに増えた。横浜のタワレコに行きたいと言う彼女に合わせて約束した日曜日。近くの喫茶店で待ち合わせた。集合より30分早い店の中では心臓が8ビートを刻んでいて、ブラックのコーヒーは苦くて飲めなかった。早いとこ大人になりたかった。これはデートかもしれないと思った。

 22になって、気がつけば大人と言われる年齢にもなった。それでも大人になったのかは依然として確かめられなくて、そもそもどうして大人になりたかったのかもわからなくて、何となく人間関係みたいなものに嫌気がさして、この世に面白いものなんて何もないんじゃないかという気持ちになった。経歴上は大学で美術を学んでいて、美術を学ぶという状況自体が不可解だといつも思っていて、考えるのも面倒くさくなって、その先で結局、綺麗なものが美しいんだと思うようになった。そういうものを作りたいとも思って、作ってはみたが退屈だった。それまでは自分の中に確固たる創造性の湧き水みたいなものがあると思っていて、そこを掘ればいくらでも創作があふれ出してくると信じていた。掘ってみたら湧き水ではなくため池だった。水ははじめから湧いていなかった。

 ちょうどそのくらいの時期に喫茶店へ行った。ブラックコーヒーはもう飲めた。それでもカフェオレくらいが好きだった。たくさんの人がいた。たくさんの声が飛んだ。話の内容が耳から聞こえた。生々しかった。人間らしいと思った。肯定でも否定でもない。自分という愚かさも、他人という儚さも、聞こえてくる全てが人間臭かった。初めての感情だった。盗み聞く自分が恥ずかしくて、ゆっくり消えてしまいたかった。それでも興奮が止まらなかった。こんなに近くに面白いものがあることを知らなかった。誰かに伝えたかった。湧き水が自分の外に見つかったことを知らせたかった。自分にできたのはただ書くことだった。書いて本にしようと思った。2週間で原稿を書いた。友人に読ませた。喫茶店のことを書いているようで、これはおまえのことが書いてある本だ。そう言われた。たしかにそうだった。至るところに、のもとしゅうへいという人間が滲み出していた。自分でも止めかたがわからなかった。でもそれでいいと思った。

 この本で何を伝えたかったのかを最後に書こうとした。でもうまく書くことができなかった。それでも1つ言うとしたら、それは自分という人間から見た外の世界のことを書きたかった。外の世界を書くことで自分のことを知りたかった。喫茶店というのはただのきっかけで、外の世界への最初の入り口みたいなものだった。それでもすごく重要な場所だった。いちばん書きたかったことがあとがきに書けた。この本自体がこのあとがきを書くために存在しているのかもしれなかった。本を作ることができてよかった。

(令和三年七月、のもとしゅうへい)

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