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おしがけピンキーグレー

 那須高原で星が見たいと言ったら君は車を出してくれた。二時間走って降りると海だった。

 夜の海に砂浜はなく、代わりに工場の煙突がピンク色の炎をあげていた。そこは東扇島の埠頭だった。君はナビなんて見なかったし、ここならいいものが見れるんだとか言って車を駐めたっけね。冬の大三角形はかろうじて見えたけど、他の星はてんでダメ。対岸の工業地帯が二十四時間輝いているもんだから、夜空なんて霞んでしまってね。でもたしかに工場にあがる花火は美しかった。人工的な、まるでロマンなんてなさそうな建造物からあんなに鮮やかな煙と光がドカンドカン立ち上っているんだもの。頭の中の那須高原は爆破されて粉々に吹き飛ばされてしまったと思った。それから桟橋のあたりを歩いた。涼しい、風のない日だった。水平線と空がどろどろに溶けて混ざり合ったみたいな真っ暗い水面を見つめながら歩いた。こういう時にしか考えることのできないことってあると思う。人生でいちばんどうでもよくて、死ぬ時に真っ先に思い出すようなこと。喉が渇いて自販機でコーラを買った。隣にゼロカロリーのコーラもあった。カロリーをゼロにしてコーラを飲もうという人とはなんだか仲良くできないかもしれない。帰ろうとして車に乗り込んだらエンジンがかからなかった。うんともすんとも言わないもんだから二人で車を押した。押しがけ、と言うらしく人力で車を走らせて復旧させようとしたがダメだった。汗と空腹と疲労とでぐちゃぐちゃになった。ちょうど空が黒とピンクの中間のグレーみたいな色に変わってくる時間帯だった。
「畜生!」と君は叫んだ。海は黙ってそれを聞いていた。「馬鹿野郎!」と僕も叫んだ。それから二人で大声で笑った。死んだ魚みたいに堤防にひっくり返って長い間笑っていた。海は何の返事もよこさずに傍観していた。
「馬鹿アホ死ね!」と君は立ち上がってまた叫んだ。そうして海に向かって見事なアーチの立ち小便をした。


詩集『南緯三十四度二十一分』収録作

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