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ブイヤベースまで36キロメートル



 「ブイヤベースまで36キロメートル」という標識が出ていた。砂丘にブイヤベース? 僕はクラッチを踏んでギアを五速に入れた。このあたりは取り締まりをやっていないから少し飛ばせる。長い直線なのだ。あたりに建物はまばら、といってもほとんどバラックみたいな小屋が砂の間にぽつぽつと突き刺さっているだけで、あとはマスタード色の大地が地平線とその輪郭を分かち合っているだけだった。

 オイル交換のために立ち寄ったある建屋(これはこのあたりでは即席のガソリンスタンドとして機能している)で男に会った。トラクターのボディを磨いていた男は、この地でカヤクサボテンの品種改良を行っていると話した。

 「ロシアの軍需組織に卸してるのさ」と彼は言った。

 「こいつを輪切りにして、天気のいい外に置いておく。そうすると威勢よくドカン、と弾ける。たった600グラムでこのボロ屋も更地になる。もっともここの乾いた砂でないと大きく育たないがね。運ぶのには冷凍する。あいつら顔はおっかないが、言い値で買ってくれるよ。研究に必要だとかなんとか言ってな」

 「いい商売ですね」と僕は言った。

 「ブイヤベースの標識を見たんですが、このあたりにあるのをご存知ですか」

 「ブイヤベース? ああ、そりゃきっと『釜』のことだ。いいか、あそこの山は頂上が窪んででっかい皿みたいになってるだろう。難しい言葉でカルデラだかなんとか言ってな、まるでフランス料理の寄せ鍋みたいだから、ある日誰かが名前をつけたのさ」と彼は言った。

 詳しく聞くとどうやらブイヤベースというのは大昔に山が吹き飛ばされてできた地形の名残りで、大きなすり鉢状の凹みのことをそう呼んでいるようだった。

 「車のメンテナンスをしに来たんです」と僕は言った。

 たった今オイルをさし燃料を補給した僕のマシンは、溌剌とした振動音で一帯の乾いた空気を震わせていた。

 「だったら寄ってくといい。この時期ならもしかするとオショロ・オマプが拝めるかもしれんからな」

 「なんですかそのオショノオ、なんとかって」

 「オショロ・オマプ。白い鳥だよ。雷鳥みたいに丸っこくて、砂丘の地下に迷路みたいな巣穴を掘ってる。めったに姿を見せんが、毎年この時期に雛を連れて地上に出てくるらしい。おまえは運がいい」

 「見つけると何かいいことがあるんでしょうか」

 「いいことだって?」

 男はにやりと笑ってから

 「近いうち死ぬよ」と言った。

 「近いうちに死ぬ」と僕は繰り返した。

 「見つけたやつはみんなそうさ。中には捕まえて食おうとしたやつもあったがな、そいつはろくな死に方をしなかった。とにかく見つけたらそう命は長くないと思え。それがここの地区では決まりになってる。オショロ・オマプを見たやつは死ぬ。だがオショロ・オマプはめったに地上には出てこない。オショロ・オマプを見る人間の数自体があまりに限られているのさ。その遭遇は単なるアクシデントにすぎない。生の中に含まれている死そのものの確率と変わりないほどにな。だから、おまえも怖がることはない。怖がろうと怖がらまいとあの鳥はそうやすやすと人様の前には現れんよ」





 ずいぶんと長い立ち話だった。僕はカヤクサボテンの蕾を土産に積み、ブイヤベースの地形に沿って山道を斜めに上っていった。午後一の太陽はこの世でいちばん高い場所からたたきつけるような日差しを下界に浴びせていたし、赤く濃厚な土煙は遠く麓の眺望を霞みがかったものにしていた。タイヤは時々空回り、その度に悪魔の唸り声のような不可思議な雑音を立てた。僕は興味半分で死地に赴こうとしていた。

詩集『南緯三十四度二十一分』収録作

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