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海のまちに暮らす vol.35|ねむる餃子

〈前回までのあらすじ〉
鎌倉を回った日の心に残ったできごとなど

 10月、それから11月が思いのほか慌ただしくなってしまいそうで、冬の川底でじっとする魚のように息を潜めて生きていようと思っている。9月は主に、書くものの締め切りに追われていて、短歌や詩を書いていた。本当はここに載せておきたいのだけれど、できないので、もし雑誌に掲載されたら読んでください。夏はすぐに終わっていて、たぶんもうすぐ羽のついた布団が必要になる。

 自分は基本的に、生活必要経費以外にお金を使うことが少ないのだけど、買いたい本があればなるべく自由に買うことにしている。PayPay決済のおかげでいつでもAmazonで注文ができる。これは便利すぎて少し怖い。翌日か翌々日には家に届いている。本は買ってもすぐに読むわけではなく、数週間後に手に取ることが多い。数年経って初めて開く本もある。本を買いたいと思うタイミングと、読みたいと思うタイミングが別々にやってくるのだ。本を読まない人にこの感覚を伝えるのはけっこう難しい。自分で包んだ餃子はすぐに焼かずに一旦冷凍して、具材を寝かせて翌週焼いて食べたほうが味が深くて美味しい、みたいな例えを持ち出しても、あまりピンとこないだろうし、そもそもそういうメカニズムとはちょっと違う気がする。

 でも単に面倒くさがりだというわけではないです。僕にとって本を読むタイミングがそのような成り立ちだということです。タイミングというのは、かなり人の生理感覚によって決められる基準だと思う。居酒屋で、ものすごくトイレを刻む人もいれば、尿意の存在しない石のごとき人もいるから。それを他人に説明しようとすると意外に苦労する。それに、自分とタイミングが異なる人と一緒にいると不快感を感じる、という人もいるので、相手に気分良くなってもらうためにはとにかくタイミングを合わせることが重要です、とどこかの本に書いてあった(この本は買ってはいないと思う)。

 餃子はしばらく寝かせたほうが美味しいと気がついたのは先月のことだった。普段なら、その日に作ったぶんはすぐに焼いてしまうのだけれど、この日は前日に作った鍋の残りがあったので餃子はすべてラップに包んで冷凍庫に入れた。12個ずつに分けられた餃子が、薄い板状になって重ねられている。1ダースぶんの餃子。加熱前の餃子は未知の生物の蛹みたいに白く粉を吹いて、並んで安置されている。5日後に冷凍庫から取り出して、カチカチの状態のものを油を引いたフライパンに置いてゆく。強火にしてコップ一杯の水を注いだら、蓋をして蒸し焼き。待ち時間に酢と醤油、辣油を混ぜる。できあがった餃子は、挽肉の味が数段引き締まった感じがして美味しかった。冷凍庫にはまだ4ダースぶんの餃子が残っている。味を濃いめにしたので日持ちもするはずだ。

 休日の夕方に100個ぶんの餃子を包むのがルーティンになっている。primevideoで映画を観ながら黙々と餃子を包むのは、映画の展開とは別な独特のカタルシスがあるし、とても現代的な日常の一幕だなと自分でも感じる。2022年はYouTubeで焚き火を観るような時代だから。買った本についての話は、どこかでまた書けたらと思う。


vol.36につづく



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