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西城秀樹が歌う「若き獅子たち」にずっと感じていた苦い違和感と、それを振り払う新しい思いを抱いた瞬間

 *西城秀樹「若き獅子たち」に感じていた違和感は、それまでの自分の誤った解釈から生じたものであることを自分なりにまとめました。無名twitterの中では、反応が多く、ご意見もいただいたので、twitterで述べきれなかった解釈のプロセスにも触れました。ただ、これはもちろん当方の個人的な解釈あることをご承知おきください。


西城秀樹「若き獅子たち」は名曲だと思う。時々ラジオで流れることがあり、作業中の手をふと止めて考えることもあった。ただ、ずっと違和感を感じていたことも確かだ。

歌詞の「風よ なぶるな獅子のたて髪を」というレトリックが少し大げさに感じていた。以前、この曲を最初に聞いた時からの印象でもあった。歌謡曲なんて、そんなものと思っていた。

すがる女性に別れを告げて、自分が目標とする世界へ向けて進んでいこうとする大志を持つ若い男のストーリーを思い描く。ポジティブな歌であることは間違いない。

でも心からその男性を応援する気持ちにもなれない。「愛だけに生きて」とすがる女性を振り払って、自分の道を進むのは、その男性の人生にとっては前進なのだろうが、女性が気の毒な思いが抜けきれない。自分の道を歩むため、別の街(一般には都会を想起するだろう)で、新しい生活をするためには、今交際している女性とは別れるのが必然なのだろうと一応は思う。でも長距離恋愛もあるだろうに、なんとかならないのかなと、その女性のために考えたりもする。

男のこれからのあるべき有望な人生を考えない女性が身勝手だと思っていればいいのだろうか。歌詞のストーリーでは、そう判断できるように読める。なんの落ち度のない女性に対してだって非情になることはできる。自分の将来の明るい人生のためなのだから、と思おうとした。それが獅子のプライドだと考えていた。そのためには、女がすがろうと振り払って前進するのが男の人生だよ。後ろを振り向かないのが獅子の心だと。犠牲にするものがあっても仕方がない。

そう思ってきたのだが、つい先日、深夜のラジオでこの曲が流れていた時、その解釈が間違っていたことを知った。

歌詞の冒頭のフレーズ「太陽に向かい歩いてる限り 影を踏むことはない そう信じて」

今の女性との交際を影に例えている。好意を持つ女性との関係を影と例えることには、強い違和感を覚える。いや、影と表現せざるを得ない理由があるのだ。

「愛だけに生きてほしいのとすがる黒い瞳のあなた」は、不倫であってもお互いが好きであればそれでいい、と女性が説いているのではないか。恋愛には様々な形があるのだから、それに応じる選択肢もあるだろう。

でも、相手への好意を残しながらもその不倫の関係に終止符を打ち、去る男の姿を阿久悠は描いたのである。感情としては、今でも女性に好意は抱いている。しかし、男は不倫の関係に別れを告げる。自分の感情を犠牲にしながらも理に殉じ、もう後戻りしない。「風よなぶるな 獅子のたて髪を」と例えるのもふさわしいように思えてくる。

今まで感じていたすがっている女性は気の毒だな、とか、そうまでして進む人生のたとえが「獅子のたて髪」か。少しオーバーな気がするとか、もやもやしていたものが取り払われてくる。

そう思いながら「若き獅子たち」を何度も聴いた。

#西城秀樹 #若き獅子たち #歌謡曲 #大志 #不倫






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