見出し画像

ホワイトデーの起源(70年代前半)と推移「女性のプロポーズから儀礼的行為へ」~「諸説あり」は万能のフレーズではない。報道は、ネット検索だけでなく、取材や文献探索も




3月14日は、ホワイトデー。もう完全に定着したといってよいだろう。

◆便利な言葉「諸説あり」

ただし、気になることがある。多くのメディアがWikipedia等、検索を基にした取材でホワイトデーの起源 を1978年とし、念のためにといつも 諸説あり という便利な言葉で済ませている。

◆1970年代前半に存在していたホワイトデー

しかし、1970年代前半には、ホワイトデーはすでにあった。当時からメディアでは、新しい習慣としていくつも報じていたので、調べればその証跡もあるはずだが。最近、大宅壮一文庫の利用者が大きく減少しているようだが、大手メディアもネット検索のみですませているとしたら情けない。インターネットが普及する以前の情報は、当時の紙の情報をたどるしかない場合が多く、それをたどらなければ、Wikipediaに記された情報が「正解」として、後世に伝わることになる。

ホワイトデーの習慣は、当初なかなか定着しなかったとはいえ、知名度はあったのだから、当時を知る年配層に取材をかければ、78年がスタートの年でないことはわかるはずなのだが、最近のメディアは「諸説あり」という便利な言葉で逃げている。当初は、歴史番組でよく使われたフレーズと思われる。歴史上の事件は、現在の検証が困難である。ゆえに学者が様々な説を唱えるわけで、この言葉を使うのはわかる。しかし、周囲の年配層に聞いたり、図書館で縮刷版をめくれば、70年代前半にホワイトデーの知名度が高まりつつあったことはわかるのに、いつもネット情報から起源を1978年として「諸説あり」と楽に済ませてしまう。

◆1973年3月14日の教室で

自分が70年代前半に、ホワイトデーがあったと記憶しているのは、これにまつわる会話が当時の担任の顔と共に思い出されるからだ。小5の3月14日の朝1時間目。
騒がしい女子を目にした担任
「どうした?」
「今日、マシュマロデー」
「何、それ?」
「男子が好きな女子にマシュマロを贈る」
「そんな日ができたのか」
驚く担任。実は、自分もそのときに初めて知った。
別の女子が
「ホワイトデー って言う日」と補足。
別の女子がキャンディーデーとも言っていたことから、マシュマロかキャンディーメーカーが作った日なのだろうなと、小学生の自分は思ったのである。

◆すぐに定着しなかったホワイトデー

ただ、ホワイトデーは、知名度は高い日であったが、すぐには定着しなかった。バレンタインデーに対してお返しという概念は、なかなか根付かなかったからである。男女間の平均給与額に差があり、割り勘の風習はあまりなく
男性が女性にごちそうするの当たり前という意識が支配的なとき。普段は男性が女性にごちそうをする。でもこの日だけは、女性がプローズしていいし、贈り物もするという理屈だった。

◆バレンタインデーの価値の相対化と義理チョコの誕生

時代が進み、社会では性による差別に見直しの動きが入っていく。この日だけ女性がプロポーズしていいと決めつけるのはナンセンスとされ、バレンタインデー の価値が相対化。単なる1記念日になったのである。

すると女性がもらう日がないのは不公平となり、ホワイトデーも急速に定着
していった。バレンタインデーの贈り物が恋愛の告白と重大視されると女性にも逃げ場がない。義理チョコとして、多くの男性に(感情を薄めて?)チョコを贈ればプレッシャーも感じない。

◆義理チョコへの返礼需要として定着したホワイトデー

チョコがプロポーズの象徴から贈答品となったことで、男性にも返礼の必要性が浮上したといえる。自分が新入社員時代、バレンタインデーの贈り物は
恋愛の象徴という意識が強かった。だから、ホワイトデーのプレゼントも
あまりしなかった。返礼するということは、女性のプロポーズを受け入れるという愛情のお返しだった。

今は,ホワイトデーに返礼をする方が多数派のようだ。バレンタインチョコが儀礼的なものに変容したとするならば、返礼しないのは非礼となる。

#ホワイトデー #ホワイトデーの起源 #諸説あり #報道 #大宅壮一文庫 #バレンタインデー #義理チョコ #女性のプロポーズ #Wikipedia

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?