愛は熱になり人を動かす。生きる事とは愛される事だ。

映画『湯を沸かすほどの熱い愛』を観た。

様々な境遇の中に置かれた登場人物達は時に涙を堪えながら、しかし涙を流しながら前に進む事を選択していく。主人公の双葉の想いによって。双葉の言葉や行動は愛する事そのものであった。

中学生の安澄は学校でイジメに遭っていた、父親が蒸発してしまった複雑な家庭環境の中で母親の双葉にも誰にも言い出せずにいた。
教室の席から見える壁に小さく「笑って」と書いてある。私は泣いた。

そんな中、イジメはエスカレートしていく。
双葉の元に学校から連絡があり、駆けつけると、そこには絵具で制服も髪も全て汚された安澄の姿が。しかし必死に涙を堪え双葉に向かって『数えたら11色あった』と。私は泣いた。

双葉『その中で好きなのは?安澄の1番好きな色。』

安澄『…水色?』

双葉『お母ちゃんは、断然、赤。情熱の赤が好き。』

私『泣いた。』


ある日、双葉は職場で倒れてしまう。末期ガンだと医者から知らされる。もう手の施しようは無いと。私は泣くしか無かった。
双葉は探偵を雇い、蒸発してしまった夫の一浩を探し出す。一浩には別の女との子供の鮎子がおり、これから、双葉、安澄、一浩、鮎子の4人で暮らす事となる。最初の食事はしゃぶしゃぶである。
私も久しく、しゃぶしゃぶを食べておらず久しぶりに食べたくなったのであった。

一浩の家業である銭湯「幸の湯」を4人と私で始める事となる。

ある時、一浩は双葉の体の不調に気づき始める。2人は病院帰りの車内でこう繰り広げた。
 
一浩『別の病院へ行こう、東京のもっと大きな病院に行けば…』

双葉『私ね、少しの延命の為に、自分の生きる意味を見失うのは絶対嫌。私にはどうしてもやらなければ行けない事がまだある。』

私『そんなに強く生なきゃだめかな?君の強さに寄りかかってしまってるのは事実だけど…君を失った時の事を考えてしまう事が何より君に寄りかかっている証拠なのかな?』

双葉『行くよ。』

私は強さとは何か折れない芯の通った棒状の物をイメージしていた。しかし強さとは弱さの裏側ではないか?と感じた。しかも透けて見えるのだ。弱さを包み込んだ薄い布のような物の様に感じた。
双葉は幾度となくその弱さを包み込んだ強さごと人で積む見込む。それが愛する事なのではないかと感じた。
抱きしめられた物はその強さのマントを羽織って前に一歩踏み出す事ができる。
双葉はその後ろ姿をみて優しく微笑む。

この映画は各所に伏線が張られており、登場人物たちに深みを持たせる。
2時間の中の物語の世界には私が色濃い、けっして鮮やかではない人々の人生を垣間見る事ができる。
愛する事の力強さ、そこから一歩踏み出す人間は精彩を放つ。そして私は泣いた。


ぜひこの映画を観ていただきたい。そしてラストシーンの衝撃を是非味わって頂きたい。
このレビューは冒頭の30分のみの話を抜粋している。この物語には確かに人が生きていた。
愛された人間は動き出せる。向かい風にマントを棚引かせて。



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