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資本主義の革命がはじまる

「資本主義の革命がはじまる」と断言する。

世界経済においては、金利の操作によって貨幣価値のコントロールが為されている。

こんなことで、果たして地球の輝かしき未来が開かれるものだろうか?

金利は、資本主義においてはなくてはならないものである。

しかしその金利が正当化されるのは、銀行家が、イノベーター、ベンチャーに、潤沢な資金を供給する、と覚悟した時のみである。

不幸にして銀行家は、長らくこの努力を怠ってきたように思う。

銀行家はあいも変わらず、そもそも潤沢な資金のあるところにお金を貸し付けようとする。

これは、銀行家がお金の配下と成りさがってしまうことを意味する。

潤沢な資金を持つものは、持たざる者からさらに徴収し、取り引き上公平ならざる条件を相手側に押し付けがちであり、やがては銀行家そのものを必要としなくなる。

時代を切り開くイノベーターは、その初期の段階において、目に見える財産を所有しない。

むしろ精神面において卓越したものがある。すなわち
集中力
独創性
合理性
社会性

などである。

よってこれからの銀行家は、これらの「精神労働」に潤沢な資金を投入すべきである。

本来金利とは、貨幣を必要とする需要が増大した場合に、貨幣価値をあげるために金利が上昇すべきもの。

これを政策側や銀行家が一方的に決める、と言うのは、原理原則から逸脱しているのではあるまいか?

そして、これからのお金の需要は、イノベーションを動機として高まるべきではあるまいか?

日本はペリーの来航を経て、安政の開国条約において、屈辱的不平等条約を結ばされ、明治4年、岩倉使節団を派遣したところ、不平等条約を改正したければ、資本主義国になれと言われて、資本主義へと直行した。

もともと、資本主義の精神には

労働それ自身を尊ぶ

というものがあったが、これを体現していたのが、薩長土佐などの、下級武士であり、彼らが作り上げた明治政府には、資本主義の土壌があったとみてよい。

しかし、労働とは単に目に見えるものだけを指すものではない。

むしろ、精神労働こそ、労働の本質と言ってよい。

これからの日本は、この精神労働の価値が深く理解されて、そこから世界を救うイノベーションが生まれるのである。

2024年8月18日 Dr.Shu 五島秀一

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