声を出す事
今日の練習はサーキットメニューで結構体にきましたね。オフ明けだから仕方ないのかもしれませんし、オフの取り組み不足かもしれません。
今日は声を出す事についてです。
よく、
良い雰囲気=声が出ている
と捉える人って少なくないと思うんです。
僕もそう思っている人の1人で、要求だったり褒めたり指摘したりする声が多ければ自然と声は出てくるものなのかなと思っています。
しかし、先日のゼミで少し興味深い事を言われました。
運動間(短いレスト)などに大きい声を出すと、脳血流の影響でパフォーマンスが下がる
というものでした。結構これって興味深くないですか?
声を出して盛り上げる事って美談なんでしょうかね。
やっているフリなのでしょうかね。
たしかに、パフォーマンスの観点で、正確性で言えば、黙ってやっていた方が集中力は上がるような気はします。パスコンが良い例な気がします。
しかし、集中力が切れてきた頃に誰かから、
集中しよう
みたいな声をかけられたら再度集中して練習に取り組めるとも思います。
フィジカル的な要素もそうです。
追い込む系のサーキットトレーニングのセット間で声を出し続けることは実感できるほど疲れます。頭がボーっとする感じもあります。
しかし、きついトレーニングこそ声をかけてそれこそ良い雰囲気でやればもっと頑張れる人っていると思うんですよね。また、きつい状況でも声を出している人は自分が言ってるから手を抜けないみたいな感じにもなるのではないかなとも思います。
まあ理想で言えば、必要以上の声なんか出さずとも全員が100%の集中でトレーニングが出来て、フィジカルトレーニングにおいても全員が限界まで追い込むことができるという事なのでしょうけどね。
それが出来ている集団から見れば、声に頼り雰囲気作りしている集団って
頑張っている風を出している。頑張っているように見せている。
みたいな感じに映るのでしょうかね。
まあでもあの青森山田のブラジル体操なんかすごい迫力で声出してますけどね。東北新人で見たときは衝撃を受けました。
僕は声によって雰囲気を作ることはすごく大切だと思っています。お世話になってきたコーチ陣たちがよく言っていたということに影響されているのかもしれません。あと僕はすぐに妥協したくなるので自分に対するプレッシャーにもなります。チームのためになるのであれば声は欠かせないのかなと思います。
生理学的観点ではパフォーマンスは落ちるけども、心理学的観点ではパフォーマンスが上がるなんてこともあるかもですね。
今回の声はGKによるコーチングとは全く別の声なので、そういう指示の声はまた違った話になってくると思います。認知的な観点ですよね。
なんか、声を出す事による筋力、正確性、脳血流による酸素供給みたいな観点からパフォーマンスと生理学現象みたいな感じを見ていけば卒業論文は完成しそうですね。
もう少し具体的な論文や資料を集めたいと思います。
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