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写真や映像で仕事をしていきたい人たちへの話(半分自分の人生の話だけど) 後編

前編のお話はこちらからどうぞ→

イギリスの大学院への留学からbirdの立ち上げまで。数万から十数万のお仕事期

 2011年の3月頃は、僕もまだフリーランスでカタログの仕事などを中心にしていました。震災の日もちょうど、大きな現場でみんなで物撮り中だったことを覚えています。この震災をきっかけに、仕事がストップしてしまい、そこまで段階的に頑張っていたことが停滞して、この後どうしようかと不安でした。その時、両親と話していたのは、こういった自体は今後も起こり得るということ。そして、その時に何かに依存した状態は危ないということ。当然それには仕事だけでなく、日本という国への依存も含まれてくるわけで、そこから「留学」と言う選択肢が持ち上がってきました。高校卒業と同時に本当は外国に行きたかった自分としては、これは良いチャンスやと思って、親に猛プッシュして留学に行くことになります。その時点で9月入学には間に合わなかったので、翌年の9月を目指して留学の準備に。イギリスとアメリカの大学院をどちらも視野に入れてましたが、アートとしての写真を一度もやったことがなかったので、それを学びたいということ、そして1年でMA(Master of ART)を取れるということで、イギリスに留学することに決めました。
 2011年から12年の半ばまでは、留学の準備(英語の勉強や諸々作品揃えたり、書類揃えたり)と仕事を半々で行っている感じで。そこまで積極的に働いていたというよりは、むしろお金を使わないように実家などに住んだりしつつ、勉強をしていた思い出の方が強いかもしれない。その頃、妻に出会ったりもしてました(彼女は大学の後輩で、大学卒業生の集まりで出会った)。この頃はどんな仕事をしてたか正直あんまり覚えてないです。。。でも、それまでの延長線だったことは確かですね。どうせキャリアがリセットされてしまうので、そこまで気にしていなかったのでしょう。
 その後、イギリスの大学院に合格して無事に留学。1年間、アートとしての写真制作をみっちりやりました。留学中はほぼ仕事をしてなかったので、仕送りと奨学金で生きてました。僕の入ったUCAという芸術系大学はいくつかキャンパスがあるのですが、Rochesterという場所にPhotographyのコースがあって、そこの寮に入って1年かけて勉強をしながら作品制作をしました。これはすごく、良い経験でしたね。まず、チューター(受け持ち)の先生が素晴らしかった。写真に対してものすごく博識で、周辺の哲学から作品までとても深く知っている方だったので、講義やフィードバックの幅の広さに圧倒されました。良いチューターに当たるかは運もあって、一緒に留学していた中で最も仲の良かった台湾人の子のコースは先生がよくなくて、結局彼はUCA卒業後にオランドの名門アイントホーフェンに入り直してました(笑)留学してみないと学校や先生との相性って分からないもんで、結構多くの人が大学やコースを移ったり、すぐに辞めちゃってた印象があります。
 僕はこの1年間、結構真面目に作品制作と勉強に時間を費やしました。そのおかげで、この間にかなり写真に詳しくなりました。今、写真に関してのバックグラウンドにある程度の自信を持てるのは、この時期の勉強が支えてくれているんじゃないかな。イギリスでは、同級生にロシア人の元モデルだった女性とかもいて、その人などを被写体にしてファッションコースの子の作品のシュートとかもしていたので、撮影の技術自体も向上したと思います。
 無事に卒業制作と論文(英語で6000wordちょっと)を提出して、2013年の9月に卒業。卒業制作では、「/(slash)」という作品を作りました。「Identityと顔」に関するリサーチをベースにした作品で、全MAで(多分)一番良い成績を取れたのはめちゃくちゃ嬉しかった。そのまましばらくイギリスで過ごして、その後帰国。晩夏のイギリスの気候も素晴らしく、多くの友人と過ごして楽しかった思い出がたくさんあります。留学の間に行った色々な国での経験や、毎日のイギリスでの暮らし、そして多様性あふれた人との交流など、この1年強の時期が今の自分を作っていると強く思います。

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↑「/(slash)」については、帰国前に作ったサイトをご覧ください。サイトには、フリー時代の懐かしい仕事もちらほら(笑) この作品は、東京や台湾でも展示させてもらった思い出の作品。機会があれば続きを作りたい。

 帰国後の動向については、色々迷っていました。帰る前から就活もしてましたし、いくつかオファーも受けていて。一方で、もっと作品制作をしていきたいという気持ちもあったので、RCA(イギリスの芸術系大学院の最高峰)の受験もしていて、選考はほぼパスしていましたが、結局どれも選ばず、日本に帰ってきてフリーランスに戻りました。理由は幾つかあるけど、やっぱり自分の力を試したいって気持ちがまた沸々と湧いていたことが一番でした。留学前の自分からパワーアップしたわけだから、ゲームでいう「強くてニューゲーム」状態で戻ってこれるのはすごく魅力的だなと(笑)
 同時に、イギリスでチューターだったFrancisに影響を受けて、自分も日本で写真を教えて貢献したいという想いが強くあったので、大学院の博士課程も受けることにしました。ギリギリの日程での受験でしたが、なんとか日芸の写真学科博士課程に入れていただき、日本におけるファッション写真の歴史についての研究を始めました。
 2013年末に戻ってきて、2014年からフリーランス再始動。まずはいろんな集まりに顔を出したり挨拶回りしたり。留学前から意識してFacebookなどのSNSでの繋がりを作っていたので、帰国の投稿をしたことから、声をかけていただいたり。中でも、大学のOB・OG会を通して先輩方にプレゼンする機会をいただき、そこで知り合った方々からお仕事をいただくことで、少しずつ仕事が増えていきました。
 帰国後感じたのは、明らかに周囲の反応が留学前と変わったこと。経歴のアップデートもそうですが、作品自体が充実したこともかなり大きかったと思います。前回のnoteの最後に書いた「作品を作る」ことを通して、色々とレベルアップしたわけです。自分自身も、写真を撮影することに対して、留学前よりもかなり自信を持てていました。金額的にも10万を超えるお仕事が当たり前になってきたのがこの頃ですね。最初に10万/dayを超える見積もりを出すときは、本当にドキドキしました(笑)本当に通るのかな?とかめちゃくちゃ思っていました。これはその後、100万、1000万の時も同じことを思いました(1000万はbirdとして、でしたが)。

<ここまでのポイント>

 この段階で一番大事なこと、それは「捨てること」だと思います。いかに自分の持っているものを手放していけるか。仕事、プライド、関係、経験、経歴、、、、これらを捨てられないと、持っているもので一杯一杯になってしまって、新しいチャンスが来ても受け取れません。だから、いかに捨てるかを真剣に考えてみる。これが大事だと思います。

1. まずは「仕事を手放す」

 恐らく、この段階にいる人は、これまでに色々な方々とお仕事をしてきて、何となく放っておいてもお仕事が入ってくるな〜という状態になってきてるかもしれません。しかし、もし依頼がある仕事を漫然と行なっているのであれば、それは成長にも繋がりませんし、何よりそれらの仕事で忙しいくて、新しい出会いや仕事に飛び込んだり、作品を作ったりしにくい状態になってると思います。つまり、仕事に忙殺されていると、いつの間にか「現状維持の道」を歩んでしまいやすくなる、ということです。
 そこで解決策として、思い切って今あるお仕事の中で「もうこれはルーティンになってしまっているな〜」と思う仕事や、「自分ではない人がやった方が良いのでは?」と思う仕事、価格帯が単純に合わなくなってるお仕事は、思い切って他の「やりたい!」という方を紹介しちゃいましょう!そうして空いた時間で、自分が今やりたい仕事や、自分を試せる仕事、やったことないけどお願いしてくれた仕事、もしくは評価がすごくしてもらえてるお仕事などをやっていきましょう。そうすることでスキルアップもしますし、仕事への満足度や評価も必ず上がっていきます。僕自身、イギリスに行くタイミングで仕事を全て手放したことは、その後のキャリアアップに対してプラスになったと思います。人は意識して自分の持ってるものを手放さないと、次に進めないものです。
 ちなみに、さらに先を考えるのであれば、人を紹介するだけではなく、誰かとパートナーを組んで仕事をしてみる(違うスキルの人同士で補完し合う)とか、思い切って人を雇ってみるとかしても良いと思います。特に、人を雇うと雑務の時間を含めやらなければいけないことを分散できるので、かなりおすすめです。もちろん、マネージメントの時間及び金銭的コストはかかってくるので考えて行うべきではあります。しかし、まあ何とかなるかな、、、くらいの感触があるのなら、思い切って一歩踏み出してみると新しい可能性がひらけてくるのではないかと思います(もちろん、一人でやるのが良いという人もたくさんいるし、それも良いと思いますが!)

2. プライドを捨てる

 上手くいってる、もしくは長くやってると、やってることへのプライドが生まれます。プライド自体が有害ではないのですが、プライドが邪魔して新しいチャンスを逃してしまう人や、変わるべきチャンスを手に取れない人が多いのもまた事実ではないかと思います。僕らは、作品へのプライドは持っていても良いと思います。でも同時に、プライドに固執しないと思っていることも大事だと思います。プライドを捨てることで、誰からでも教われますし、誰からでも学べます。そして、変なプライドがない人に人は多くのことを頼むものです。だって、色々言ってこない人の方が一緒にやっていて楽だし(笑)
 言い換えると、自分の経験を捨てて考える、ということなのかもしれません。アビリティはアビリティとして認識しつつも、自分は1から今ここに立っていると思えば、色々と学べますよね。自分の体験としては、イギリスにいる間、自分のこれまでの経歴とか抜きに、ただただ「何が作れるか、何ができるか」だけで関係を構築できたので、その経験が大きかったなと思います。そこで素直に勉強したこと、経験したことが後にすごく活きてます。また、その後の博士過程でもイチから日本の写真史を教わったりして、すごく良い経験となりました。動画を始めたのもたまたま友人のアニメーションの監督さんに誘われてやってみたことからだったし、何でもやってみようと思ってやっていたことが後に繋がっているわけです。

3. 恐怖心を捨てる

 個人的には、人は恐怖心によって色々な判断を狂わせていると思っています。恐怖心が原因で、人と衝突してしまったり、チャレンジができなかったりするんですよね。だからこそ、意識して「恐怖」を感じたらそれを認めた上で、思い切って一歩を踏み出すことが大事だと思います。フリーになることも、イギリスに行くのも、ある種の恐怖心はありましたが、それを振り払って行うことで「新しい自分」に出会えていけました。恐怖心は、自分が感じていることに気付くのが大事です。もし、何かに尻込みしたなら、恐怖心を感じてないか、自己チェックする癖をつけるといいと思います。恐怖心を除外した上で考えて、すべきではないと思えば、それはしないでもいいことだと思いますし、やるべきだと思ったら、やった方が良いです。例えば、上の世代の方でSNSとかやらない人って、面倒とかやる必要ないとか言いつつ、単に「なんか人に言われたらどうしよう」とか「受け入れられなかったらどうしよう」という恐怖心に負けてるだけで、本当はやった方がいいんだよな、、、と思っているケースが多くみられるので、もったいないな〜といつも思ってます(余談でした笑)

4. 手放したら、新しい仕事を見つけにいく

 手放すだけではなく、新しいことを始めましょう!もし、新しい仕事を見つけたいなら、まずやるべきことはポートフォリオを一新することです。具体的には、今、やりたい仕事や作りたい作品について考えて、ある程度集中して、それらを作る。それから、サイトやSNSの使い方も一回見直して、必要であれば新しいテイストに合わないものは消したり作り替えて、イメージを一新しましょう。新しいステージに行くには、新しい見せ方が必要です。意外に、ここを意識してない人が多い気がします。作品を変えていくところまで出来てても、前のテイストをそのまま引きずった見せ方してると、依頼する相手からすると、どういう仕事がしたいのか分からなかったりします。僕の周りの人でも、ガラッと作品を入れ替えて上手くいった人を何人も見てますし、本当にインスタとか消しまくってる人多いなという印象です(笑)僕自身は、イギリスから帰ってきた時に一新したんですが、これは成り行きでそうなった感じで、全然狙ってやってはいませんでした。意識してやりだしたのはbirdを立ち上げてしばらくしてから。サイトの構成を分かりやすさ重視のものから、一気にイメージ重視にガラッと変えた時です。これがこれまでで一番成功したイメージ戦略の一つで、それ以降は意識して何をどういう形で出していくか考えて行っています。
 それと、新しいお仕事の場合、オファーが来たら選り好みしすぎないのも大事です。やってみたい!と思ったら、チャレンジしてみるのはすごく大事。僕自身、今はスティルライフが一番得意で仕事量も多いですが、元々は全然やっていなかったんです。たまたま、ハッセルブラッドにいたフォトグラファーの人と知り合って、その人経由で彼の友人で駆け出しのプロップスタイリストだったKeiko Hudsonさんを紹介され、二人でハッセルでオープンセッションをやったのがきっかけで、スティルライフ面白いなと思いました。自分の意識外からきた仕事でも面白そう!と思ったらやってみると、案外新しい扉が開けます。

birdの立ち上げから、現在まで。数十万ー数百万のお仕事の話。

 2014年の1月末くらいに、当時RICOHに勤めていた友人の家でホームパーティーがありまして、そこでbirdの共同設立者である林くんに出会いました。林くんはRICOHのエンジニアだったんですが、出会った時に「実は、明日で会社退職するんです、その後はドローンを飛ばしながらプラプラ過ごす」と言ってて、友人の結婚の前撮り写真とかも見せてもらいました。それがとても良い写真だったので、「もし明日から暇なら、空いてる時に仕事のアシスタントしてよ!」と頼んだのがきっかけで、色々とお仕事を手伝ってもらうようになりました。いろんな話を仕事の合間にするようになって、当時流行していたバイラルメディアサイトを一緒に立ち上げたり(結構なPV数稼いでました)、色々な現場に撮影に行ったり。。で、当時、ウェディングの動画を一眼ワンオペでシネマライクに撮る人たちが欧米で出始めたタイミングだったんですが、その動画を見たのをきっかけに、これを自分たちでやればめっちゃ儲かるかも!と思って林くんに相談したことから、動画のチームを組む話に。動画経験が二人ともほぼなかったので、僕の大学時代の先輩で、卒業年度は一緒だった(笑)奥村さんという映像畑の人ディレクターとして誘いました。当時は全員フリーランスとしてチームに参加していた感じです。大学の先輩ウェブデザイナーさんが、渋谷でシェアオフィスをしていたので、そこのオフィスを間借りする形で、2014年の7月からbird and insectはスタートしました。
 とは言っても、実績も何もない状況からのスタート。しかも奥村さん以外の二人は映像の素人です。なので、友人のウェディングムービーを頼み込んで撮影させてもらうことから始めました。本当に見様見真似で撮って編集して、、というような感じだったので、一回一回恐ろしく時間がかかっていましたね。ウェディング撮影を数回やったら、これは簡単に儲かるどころじゃないぞ、めっちゃ大変だ。。。となってしまい(そりゃそうだ笑)、これならスチールの方が割りがいいな〜なんてぼやいたり。でも、せっかく始めたし、何より動画を作ることもチームで仕事をすることも全て初めてで、新鮮で楽しかったこともあり、活動を続けていきました。当時、動画系の登録サービスをスタートする会社も多かったので、そういうところに登録してお仕事もらったりもしました。中には今も続いてるご縁もあって、本当にありがたいことです。。。ただ、動画の依頼本数はそんなに多くなかったし、工数もめっちゃかかるし(林くんは毎回徹夜で編集して仕上げてくれてました、、、本当にありがとう)、なかなか先は見えない感じでした。当時から1年くらい前までの主な動画をまとめた林くんの記事もあるので、どんなの作っていたのか気になる方は、こちらも是非ご覧ください。

 3人チームだったのは、1年半?いや、2年くらいですかね。この間にbirdは、オフィスを東長崎に変えたり(僕の妻の瑠璃ちゃんのおじいちゃんの商店だったところを改装しました)、アシスタントとしてちかちゃんが入ってくれたり。ちかちゃんは、birdの初期を本当に支えてくれて、現在はTASKO incさんで美術やプロップのお仕事をやっていて、今も一緒に仕事をしたりします。
 当時、僕個人のスチールの仕事は結構順調で、月に100-150万平均くらいは普通に売り上げていました。その反面、動画は全然まだまだで、多分年間で数百万レベル。それを3人で割っていたので、かなり厳しい感じでした。birdは当時、ドローンを使えることが売りの一つだったのですが、そもそもは奥村さんの友人であったスカイリンクさんとのご縁からドローンを始めた部分もありました。諸々の事情が絡み合って、奥村さんはドローンの販売をしているスカイリンクさんに転職することに。残念でしたが、当時の状況では仕方がなかったと思います。
 そうそう、奥村さんが去る少し前の2016年2月、birdは法人化しました。これはお金の分配の問題が難しくなってきたことがあって、給与制の方が揉めないってことがあったんですよね。もちろん、法人の方が信頼されるとかもありましたが、、、それよりもお金の問題が大きかったです。それによって、僕のスチール仕事もbirdとして受けることになり、個人的な収入はかなり減りました。でも、それによってチームとして一つにまとまることが出来る方が大きい、という判断だったと思います。法人化初年度の月の売り上げは200万平均くらい。それで4-5人のメンバーだったので、かなり苦しい売り上げで、毎月の資金繰りが大変でした。他にも色々と大変なことがありましたが、特に夏頃、林くんが精神的なダメージによって離脱してしまって、案件を僕とちかちゃん、そしてアシスタントとして入ってくれたゲンキくんの3人で行っていた時は大変でした。周りの人とかに助けてもらって何とかなりましたが、2016年はすごく大変な年だったという記憶しかありません(笑)博士課程もその年度で卒業のはずだったんですが、そんな状況では卒論が全くかけず、一年延長しました。僕はかなり精神的にはタフな方だと思うのですが、それでもこの年は全てを捨ててしまいたいと思ったことが何度もあるくらい追い込まれてましたね(今となっては良い思い出ですが笑)瑠璃ちゃんにはかなり支えてくれた年だったな〜と思います。
 そんな中でも良いこともあって、1つはクリエイターズエキスポに出たこと。これは2015年に友人のコバくん(当時は岡山の会社に所属していた若手のエディターだったのですが、その後1-10 inc.に入って活躍し、今はフリー)が出していたのをbirdで見に行った際に「意外に仕事になりますよ!」と教えてもらったことから、思い切って出してみようってことになりました。翌年出展して、ブースをちかちゃんに作ってもらったり、パンフレットは、今は同じオフィスにいるside inc.の大木さん(大木さんはnendo→id inc.創業→side inc.創業)に作ってもらったりして、それまでの出展者にはなかった「おしゃれさ」(自分で言うなって感じですが笑)と、あとドローンを飾ったりもしてたこともあり、めちゃくちゃ注目をもらえました。おかげで、2016年後半からは動画の仕事も結構順調になっていきました。
 2つめは、ムービーのディレクターがいなくなっちゃったので、友人だった屋敷さんに声をかけたこと。2016年の年末に声をかけて、2017年からbirdに入ってもらいました。屋敷さんは別のチームで映像などの仕事をしていたのですが、ちょうどそのチームがあまり機能しなくなってきていたタイミングだったので、両者の思惑が合致した感じです。でも、屋敷さんが入ってくれたことは、僕にとってすごく、その後も含めて、救ってくれた気がします。birdを作ったのは僕と林くんと奥村さんですが、屋敷さんとちかちゃんがいなかったら、存続してなかったと思います。そのくらい二人の功績は大きいです。。改めて感謝。屋敷さんは当時、色々と動画作っていたのですが、クオリティは・・・って感じでした(笑)一本だけ子供相撲の動画があって、それはとても良い作品でしたが。それよりも、むしろ出会った当初から屋敷さんが凄かったのは、頼まれたことを断らなかったこと。マジで選り好みをしないで何でもやっていて、それは彼の職歴をにも反映されていると思います。そういう人だったから、とにかく丸ごと吸収していくわけで、きっとディレクションもドンドン上達するだろうと思っていました。事実、この数年で本当に驚くほどの成長を遂げて、初期の作品を知っている身からすると、中野製薬さんとのお仕事とか、本当に同じ人かと思ってしまいます(笑)ちょっと脱線しますが、今、役員になってるメンバーは全員、写真や映像、製作などを全くの初心者の頃から知っているので、人間はやり切る根性と、何でも吸収する素直さと、ひたむきな情熱があると、こんなにも成長するのかと本当に驚きます。それくらい、成長率がすごい。会社をやっていて一番面白いのは、人が花開く瞬間に立ち会えることなのかもしれないですね。

 ちょっと脱線しました。そして長くなってきました(笑)さて奥村さんが去って、法人化して、屋敷さんも入ってきました。ここからの話は、法人と僕個人の両方の話があると思うのですが、個人の話に絞ります。法人でも紆余曲折、本当にありましたが、その話はまた別の機会に書こうと思います。
 法人設立前から、僕個人では大学の先輩であるデザイナーさんからお仕事をいただくことも多く、その成果をみて、次のお仕事を紹介してもらえるような流れが続いてました。これは、もちろん頼んでいただいた方との関係性もありましたが、要因として、自分の技術レベルが一定まできた事、そして僕自身がデザインや建築などを好きで勉強してきたので話が早いことなどがあったと思います。2015年末くらいに、シェアオフィスしている友人のフォトグラファーさんと思い切ってPhase Oneを共同購入し、それでSHOOTINGさんに記事にしていただいたりしたことなども大きかったです。この前後はたくさんテストシュートもしていました。

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↑懐かしい、最初にSHOOTINGさんに掲載いただいた記事。5人のメンバーがPhaseを紹介する記事だったのですが、伊藤彰紀さんとかND CHOWさんとかがいらっしゃる中、よくこのメンバーに選んでいただいたもんだな〜と、、、本当に坂田さんに感謝です。

 他にも、一つのターニングポイントになったのは、上でも書いたハッセルブラッドさんでKeiko Hudsonさんと行なった公開shootingと、その翌年にケイコさんと一緒に行わせてもらった展示ですね。

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↑上がハッセルの時のもの、下が展示の際のものですね。

 それまでは自分の得意分野は、建築・インテリア関係か人物の撮影だと思っていたのですが、この一連のテストシュートで物撮りの世界の面白さを知りました。そして、たまたま才能あふれるプロップスタイリストであるケイコさんが駆け出しの頃に一緒にやらせてもらったことで、引っ張り上げてもらった感じがしています。その後も、この展示にきてくれた青木静花さんとテストを行うようになり、青木さんがドンドン売れっ子になってきて、僕の方もブツ撮影が増えてきたので、色々と撮影をご一緒させてもらったりして、、そういうご縁が繋がって、得意分野として「スティルライフ」と言えるようになってきました。そういった経緯から、僕は手探りでスティルライフのライティングや撮影の仕方を訓練してきたタイプで、それがamanaさんなど出身の、しっかりした技術体系を持った方々との違いになってる気がしています。偶然そうなったわけですが、そういう運や出会いから自分の得意を知っていくことも大事だと思います。
 2017年は16年とは違って、かなり飛躍できた年でした。現在の経堂へ事務所を移転したり、大学の博士課程の研究をまとめたり(みんなにも資料のまとめ手伝ってもらったりして、本当に感謝)、birdの出世作になった「Flower/Metal」を作ったり、初のMVとして、今も音楽制作をお手伝いいただいてるGo Hiyamaさんの「Embrace」を作らせてもらったり。。

 この頃の作品はディレクターが僕で、撮影・編集が林くんという、今となっては貴重な一連の作品です(笑)「Flower/Metal」の前までは、クライアントさんから言われたことを行うという「請負仕事」として制作業をしていたのですが、「Flower/Metal」あたりから、こちらから提案をして作品と仕事の中間のように関わることを意識し始めました。それが、その後の飛躍の要因になったと思います。
 他にも、レタッチャーとして野口さんが加入してくれて、ようやくbird全メンバーでレタッチを回す状況も改善し、撮影に集中出来る様になりました。かなりの案件数のスチール撮影を行なっていたので、レタッチも自分でやっていたら本当に死んでいたと思います。野口さんは、パリに行くまでの期限付きだったんですが、その後戻ってきてまた加入してくれて、本当にbirdのスチール業を支えてくれています。野口さんいなくなったら、birdはヤバいですね。
 17年の年末には、ドローンにProfotoを載せて撮るというアイデアを膨らませて、大規模な作品も撮影行いました。それが「Gloaming」というシリーズで、今に続いてます(来月、また撮影する予定)。これにはスカイリンクに移った奥村さんにもドローンでお手伝いしてもらったりしてます。僕が大学生の頃からやりたかった、大規模な作品を作ることができて凄く嬉しかったし、それをSHOOTINGさんに取り上げていただいて、見てくださった方も結構いて、本当に嬉しかった。。。

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 順調だった2017年のおかげで、2018年以降は仕事もかなり拡大し、動画業界でも少しずつ名前が浸透してきました。会社の人員も増えたし、個人的にも、より最初の方向性作りに注力できるようになったので、イメージディレクターという肩書きがしっくりくるようになった気がします。スチール撮影も、スティルライフを中心にしつつ、動画と一緒にブランディングに関わるイメージを撮影するような機会が増えてきました。まあ、そこから会社としては更に紆余曲折あって今に至るのですが、個人としては順調に伸びていった気がします。メディアとかにも取り上げていただく機会も増えたりしました。
 ビューティーのお仕事が近年多いのですが、これは中野製薬さんとのお仕事をしたことが直接のきっかけにはなっていますが、それ以前からビューティーの仕事をしたいと思ってずっと作品作りをしてきたことが花開いた結果かなと感じています。一昨年の末には、ヘアメイクでヘッドピースデザイナーの北川さんと、それらの作品を集めるような形で展示もしました。ビューティーは個人的に写真として好きだし、得意だと思っていたので、運もありますが、結構狙って開拓した分野とも言えます。

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 直近では、僕自身、少しいろんな撮影をすることに疲れてきてしまったこともあり(笑)、本当に求められている仕事、自分にしか出来ないこと、そして好きな撮影にだけ関わりたいと思っています。birdには、タイプの違う色々なフォトグラファーが集まっているので、自分でなくても良い仕事や、自分以外の人が撮影した方が良い仕事はドンドン任せていって、必要であれば自分が監修とかイメージディレクションだけしています。この形は個人的には結構理想系で、クライアントさんにとってもフォトグラファーにとっても良い結果をもたらすと思っています。とはいえ、昔では考えられないほど、僕の作品や仕事を見てお願いしてくださる方々も多くなってきていますし、チャレンジングな案件もたくさんいただけるようになっているので、まだまだたくさん撮影していますし、撮影していくつもりです!また、今後もずっと、個人的な作品作りも続けていきたいです。

 ということで、最後のまとめ!

<ここまでのポイント>

1. まず、知ってもらうこと!

 十数万円の仕事までと違い、ある程度の規模のお仕事の場合、「数」が限られてきます。めちゃくちゃ少ないわけではないですが、確実に高いレベルにあるフォトグラファーの人達と競って、オファーを獲得する必要が出てくるということです。そのためにまず大事なことは、そういうお仕事を持っている人たちに知ってもらう、というシンプルなこと。僕の場合、イギリスから帰ってきたタイミングで大学関係の会合などで、一気に先輩のデザイナーさんなどと繋がれたことが大きかったですね。そして、そこからクチコミで繋がっていったり。他にも、登録系サービスを通してディレクターやプロデューサーの人と知り合ったり、業界で有名なサイトなどに記事を掲載していただくことで、名前を出すチャンスがあったり、、、と様々な機会を通して知ってもらいました。難しいのは、この価格帯の仕事の場合は、単なる飲み会などで知り合っても、ほぼ仕事のオファーには繋がらないってところです。かなり作品に引きがあれば別ですが、競合のフォトグラファーと冷静に比べた結果、そんなに突出していないと感じるなら、まずは一つずつの仕事を丁寧に行い、その成果をSNSやサイトなどで伝えましょう。そして、出会った人とは必ずSNSなどで繋がっておいて、常に仕事を見てもらえるようにしておきましょう。ずっとこういった準備をコツコツしていたら、必ずより良いオファーの仕事に繋がっていきます。少し時間はかかるかもしれませんが、毎回のお仕事を全力でやって、繋がりのある方に見てもらう。そういう地道なことが結構効いてきます。こういう成果をシェアする努力は、お仕事をオファーしてくれる方々にとってもメリットしかないわけで、それをきっとみる人達も感じ取るからだと思います。

2. オファーしたくなる「個性」を作る

 まあ、これはみんな分かってるけど、難しいですよね(笑)ここが一番肝だけど、一番難しい。。。。でも、あえて言うならば、このレベル感までは個性って考えなくてもやって来れると思うのです。ただ、この先は競合と違う独自性をどう発露していくか、という世界。なので、個性、大事です。でも、個性って割と環境要因によると僕は思っていて、どういう人たちとやってるか、どんな場所でやってるか、どんな文化にいるか、どういう考えがスタンダードか、などの周囲の環境によって、自分の当たり前がどう活きるか。それが個性だと個人的には思っています。なので、同じ人でも、違うところにいくと、違う個性を発揮して輝いたり、反対にあんなに良い仕事してたのに、どうした、、、みたいなことが起こったりするわけです(笑)だから、個性を見つけるには、いろんなことにチャレンジし、色んな人に出会い、そういう中で、あれ?これなんか自分の個性として認識されてない?ってことを見出していくのが良いと思います。
 実はこれ、自分のことは自分で知るのが難しいってことと同じで、クリエイターとかじゃなくても、本当にあらゆる人が悩むことだと思うんですが、解決策は結局自分の中にないと思います。この辺の考え方は僕が大学院で作っていた「/ (slash)」の作品性にも影響を与えています。元々は、内田樹さんの

「ぼくたちが「ほんとうの自分」に出会うのは、ぼくのことをまったく知らない人間に向かって、「自分の過去」を物語るときです。」
(『疲れすぎて眠れぬ夜のために』から)

というような考え方に影響を受けていると思うんだけど、とにかくあんまり自分自分って考えずに、いろんな人との関わりの中で個性を見出していくのが良いと思います。

3. 「何とかしてくれる」スキルの大事さ

 これは、しっかりと積み上げていくことで誰でも可能になることだとは思っているので、前述の個性のところで迷う人は、ここを一つ目指したらどうでしょうか?基本的にはこの人に頼めば「何とかしてくれる!」という安心感と言いますか。専門家である人への高額のオファーの場合、ここは大前提として超大事だと思っています。むしろ、それを求めてるから高額を払っているというケースもあるわけですよね。そこって狙って訓練していけば絶対にできるはずなんですが、意外とここで勝負してない人って実は多い印象があります。例えば、超すごい作品作るけど、再現性がないとか、、、(飽きちゃうんでしょうね笑)、めちゃくちゃ個性的だけど、案件にハマるか分からないみたいなこと。そういう意味では、僕なんかはそこまでのぶっ飛び個性を持ち合わせてないので、むしろ再現性の高さや理解度の高さ、というのが一つの個性として認識されてオファーされている気がします。そこを踏まえてプラスアルファで良いものを作れる力、みたいな感じですかね。これが自分の個性だと気づいたのは、結構後になってからだし、何より自分では当たり前だと思っていたので、ここが競争力だとは自分ではやはり気づいてなくて、他の人からの評価を聞いて、初めて考えに至った感じです。
 このスキルを身につけるには、クリエイティブの勉強は当たり前として、ビジネスの勉強もしっかりして、相手の立場と世の中の立場と自分のフィーリングや考えを行ったり来たりしながら考えることが大事です。その上で、やりたいことのポイントを見定めて、それをしっかり技術で叶える。そのための技術を磨くのは当たり前ですが、不安があったらしっかりとテストを行うなどで準備をしていくことです。そういう当たり前のプロセスを踏んでいけば、誰でも出来るようになります。一朝一夕でいきなりスター!みたいなものではないですが(笑)、確実に息は長くなると思います。

4. 時代にあっていること、文化にあっていること

 これ、最近すごく大事だな〜と思っていまして。その分野の文化や今の時代感からずれていないことは、良いものを作る上でとても大事です。時代の方は、実は若いうちは気にする必要がほとんどありません。時代と自分の感覚がずれないから。でも、ある程度の歳になってくると、だんだんと自分の感覚と時代がずれていくと思うんです。僕は今35ですが、そのくらいでもズレを感じ始めています。そしてこれは、偉大な先人を見ているとわかると思いますが、ずっと時代とチューニングを合わせられる人もいれば、一時は時代を作ったのに、そこからあっという間にズレていく人もいます。それをどうしていけば良い方向にいくのかは今後の自分の課題でもありますが、「時代とのずれ」というものが起こるということをまずは認識しないと始まりません。
 文化の方は、結構大事なのに意外と意識してない人が多いかもです。例えば同じデザイン分野であっても、ファッションはファッションの、建築は建築の、グラフィックはグラフィックの文化があり、そこでは全然違う価値観が生きています。これらの文化における差異を細かく認識しておくことは、とても大事。そして、それらの中でどこに自分が合うのかを考えて行動すると、とても楽です。例えば、僕はファッション写真が大好きで研究までしていますが、ファッションの世界の文化とはあまり相性が良いとは思っていません。もちろん努力したり、飛び込んだりして馴染んでいくことは不可能ではないけど、それよりも自分の水が合う建築とかインテリア、プロダクトとか、もう少し論理的なデザイン分野の方がやりやすかったので、そっちで結構仕事をしてきた実績があります。ここは価値観の問題なので難しいけど、個人的には、自分が好きだけど合わない文化のところで頑張るよりも、文化が呼吸をするように合うところで頑張る方がベターチョイスだと思います。なぜかというと、結局、そこで頑張って何かの成果を残すと、そこで得た技術や考え方、価値観を、「他の分野でちょっと違うことをしたい」という人たちに使ってもらえるケースが増えていくからです。むしろ、そういう時はその人の価値観を目掛けてオファーが来るので、多少文化の違いがあっても、全然OK。それが面白い!ってなることが多々起きます。実際、そういうケースって僕の周りにもゴロゴロあって、この人は文化の違うところで独自ポジション作ってるな〜という場合は、そういう入り方してことが多いと思いますね。なので、腐らず無理せず、気長に自分の得意なところで思いきっりやりましょう!そのうち、好きなことも出来ます(笑)そういうとこで損している若手の子って本当に多いから、側から見ているとすごく勿体無いからこそ、書きたくなりました。

5. 生涯勉強。生涯制作。

 結局、最後はこれだと思います。歩みを止めなければ、色々なことは起こるけど、最後は何かしらの達成はあるわけで。それが思い描いてたところにいくかは分かりませんが、それでも確実に昨日より成長します。だから、まずは自分はこれを生涯やる、というつもりで考えてみるといいかもしれません。森博嗣さんの本で知った、僕が大好きな言葉(本当はガンジーの言葉らしい)、

「明日死ぬと思って行動し、永遠に生きられると思って考える」

これだと思うんですよね。永遠に生きるつもりで勉強して、作品やプランを考える。でも、明日死んでもいいように、行動をどんどん起こす。この振り幅が、クリエイターとしても必要な気がします。僕自身も、今後どんな感じになっていくか分かりませんが、一生写真には携わっていくと決めていますし、同じく写真の道に入ってきた人とはライバルではありますが、それ以上に同志として一緒に歩んでいければと思います。

明日からも頑張りましょう!

ということで、めちゃくちゃ長いnoteになってしまった、、、感謝を伝えるべき人は本当にたくさんいるけど、全員のことは書けないので、申し訳ないです。でも、本当に多くの人に支えてもらって、感謝し切れません。
 今回のnoteで、現時点までの振り返りと、ポイント抽出は一旦書き切ったので、次は気が向いた時に会社ver.も書いてみようかなと思います。本当は10周年とかの方がいいんだろうな。そうなると4年後か(笑)







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