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余白を持たせておくこと

先日、余裕のある人とはどのような人かということを書きました。それに派生して、ちょっと別の角度から余裕さについて考えてみたことがありました。

余裕のない時って、「余白」がないんてすよね。時間的にも精神的にも。時間的な余白がなくなってくるとなおさら精神的な余白もなくなってくると言う感じ。

「余白」が、結構大事な要素なのではないかと思いました。

余白とは、自分のキャパシティの余剰部分というイメージでしょうか。100のキャパシティがあったときに、80くらいを稼働させ、残り20を余白として開けておくことができたらどうだろうかと思うわけです。

受け取れる情報の感度は、余白の有無によって左右されるのではないか

頭に余白がないと、目の前に起きていることの刺激を受け取れる感度が下がってしまうと思います。考えなければいけないことで頭がいっぱいなので、「今」に集中できず、目の前に通る情報に対して、スルーしてしまうのです。網目の粗いざるのようです。

一方で頭に余白があるときは、目の前のことに意識を向ける余力があるので、情報を感度高くキャッチすることができるのではないかと思います。遠くの景色を眺めながら空の青さと雲の流れ、そよ風の音に意識を向けたり、いつも通る道に咲くあじさいが咲いていることに気付いたりします。

普段スルーしてしまいがちなことに対して、一度立ち止まり、自分の心の感じを眺めることもできます。あぁ自分はこういうことに対して嬉しい、楽しい、感動を感じるのかということへの気づきも、余白の中で生まれるものではないかと思います。

クリエイティブは余白から発揮されるのではないか

脳の中で何かを生み出す作業や概念を紡ぐような作業は、頭に余白がないと結構難しい作業だと聞いたことがあります。タスクやTODOで埋められている状況の中で、新しいものを考えるというのはかなり難易度の高い所業です。

noteの文章を書くなどもまさにそうです。今日は何をテーマに書こうかと決めるとき、そのテーマに対してどのような構成で書こうかと考える時や、どのような言葉を使って書いていこうかを考える時、頭に余白があり時間的にも余裕がある時、よりクリエイティブに考えることができる実感があります。

最も余白が生まれるのが、サウナに入っている時かもしれません。サウナに入っている時には、タオルしか持ち物がないので、自分の頭の中と対話をする絶好の空間です。特にスマホから解放される1時間が最高に余白な時間となります。


どうしてもキャパシティ100で脳内メモリが埋め尽くされてしまいがちな最近、意図的に20の余白を持って目の前のことを感じることに意識を向けてみようと思いました。

それではまた。

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