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ソーシャルキャピタルが高い社会だと何が良いのか?

ソーシャルキャピタルって、一般的には聞き慣れない言葉なのかなとは思うのですが、ざっくり捉えてもらうのであれば「社会や町の豊かさの一つの指標」であると思ってもらえればと思います。

ソーシャルキャピタルの古典である、「孤独なボウリング」によると、

「社会関係資本は市民的美徳と密接に関連している。」
「一般的互酬性によって特徴付けられた社会は、不信感渦巻く社会よりも効率が良い。」

→つまりよき市民である必要がある。よき市民であれば、お互い助け合ったりが信頼のもとで生まれるから、結果として効率の良い社会になるとされています。市民教育がどう言う風に行われているか?市民社会がどういう形態か?と言うことはソーシャルキャピタルに密接に関係してます。
一方、日本では「よき市民とは何か?」という哲学と、それに基づく市民教育が日本では薄いのかなと思っています。
(ここら辺はデータも結構ある。)


「つながりに富む個人であっても、つながりの乏しい社会にいる場合には、つながりに富んだ社会にいるつながりの富む個人ほど生産的たり得ない。そしてつながりの乏しい個人であっても、つながりの富む社会に住んでいる場合はそこから溢れ出た利益を得ることができる場合もある。」

→これってとっても面白いですよね。「繋がり」というものをどう定義していくか?という難しい問題もあるわけですが、シンプルに考えて、つながりが多い場所や町に住んだ方が個人でいっぱい努力しなくても利益を得られるならば、そういう社会に住みたいですよね。
(ただ繋がりを作ることや保つことに結構な労力がかかるような気もしますが(笑)

とまぁ、他にもたくさんあるのですが、
そもそも前提となる日本社会はどういう姿で、
日本人にとっての「繋がり」とか「信頼」とかって何かとかっていうのが非常に重要なポイントになってきます。

また市民的美徳とあるけども、日本には「市民」という概念の歴史がそもそもすごい浅いのも一つ、注目に値するポイントになるようです。

一旦ここら辺で。

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