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第八話 広田町への決意、外部の若者としての意味


14日間の滞在しての活動を終え、
帰る前に広田町が一望できる場所に連れて行っていただいた。

そこにはただただ一面に広がる瓦礫があった。
14日間、必死に活動した。
でも僕たちはこの現実に対して本当に僅かなことしかできなかった。
見渡す限りの瓦礫。
でも本当は東日本の沿岸部のほとんどがこうなった。
自然の大きさ、人間の力の小ささ、そして己の無力さを
いやというほど感じた。

一方で、町の方々からの声や笑顔。
確かに「この人たちの役にたっている」その実感を得ることができた。

たまたま出会った陸前高田市広田町という町。
だけど、この縁を大切に、この町で、
この人たちのために、活動をしていこう、と。
そう決めました。

若者世代である私たちは、何かにおいて
プロフェッショナリズムをもっているのかといわれると
そうでない場合が多い。
被災された現地の方々からしたら、 それで炊き出しを行うだとか、
子供たちと遊ぶだとかは迷惑だと感じるのかもしれない。
それでも広田町の方はこう言ってくれた。
「失敗してもいい。 種をまけ。 必ず芽が出るから。」
「ボランティアとか一括りにして荷物運びばっかやらされるな。
ままごとじゃねーんだ。 おまえらにしかできないことをやれ。」

私たちにしかできないこと。
それはご年配の方には孫として、
小学生や中学生からしたらお兄ちゃん・
お姉ちゃんとしての存在じゃないかな。

学生だけど、なにも専門知識はないけど、
「若い」ということが専門性になりえるのだ。
そう感じた。

こうして、4月6日~19日に及ぶ、2週間の第一回目の現地入りを終えた 。

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