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「自分のときめき」を知るための、経済的に非合理的な意思決定

つい先日、弊社の創業事業である「Creatty」をやっていた頃の友人からアートフェア東京に招待いただいたのですが、ご縁あって人生で初めて大きめの絵を購入する機会がありました。

普段とは違って、圧倒的に経済合理性から遠い買い物だったので、自分にとって「なぜこの絵を買いたいと思ったのかなー」ということをブラブラしながら、10分ほど考えてました。
この時に考えたことはそれはそれで興味深かったのですが、それはまたの機会に譲るとして、今回はその絵をぼんやり眺めながら思い出した昔話について書いてみます。

僕が会社をやってきた歴史の中でお世話になった人は山ほどいるんですが、そんな中でもターニングポイントに立ち会った人が何人かいます。
その一人が弊社の株主だったアンリさんなんですが、しばらく前に一緒に話していて面白いなーと膝を打ったできごとがありました。

それは、寄付について話している際のことでした。

アンリさんはこの記事でも明言されてますが、毎年決まった額のお金をNPOなどに寄付しているとのことです。

寄付と聞くと、きっと中には「おー高尚だ〜、お金持ち!ノブレス・オブリージュ!ワシには関係ないのぉ」と、思われる方もいると思います。かくいう私も、どちらかと言えばですがそっち側に近かった気がします。

なので、なんとなしに「なんで寄付してるんですか?」と聞いてみたんですよね。
そしたらその質問に対する回答が興味深くて、

投資だと仕事だからこそリターンを考えないといけないし、必然的に時代性とかを考えることになる。
一方で寄付は「自分の好き嫌いに真っ向から向かい合って」物事を判断できて気持ちいいんだよね

と。

つまり、寄付というものは経済合理性が薄いからこそ
自分は何が好きなのか」という側面が純粋に映し出されるのだと気付いて、めちゃくちゃ面白いなと思ったのを今でも覚えています。(一年近く前のはずなのに!)

僕自身も今まさにエンジェル投資をしているわけですが、これは完全に自分の手金と自らのリスクでやっている性質上、相対的には「好き」に向かい合えている側面が強いです。
一方で投資である以上はリターンを求める性格があるため、好きなテーマでも時価総額が伸びないかも、、というものには食指が動きづらいことは多々あります。

意外に聞こえるかもしれませんが、一定であればお金を増やすための意思決定の方が簡単なんですよね。お金という定量軸があるので、その尺度に則っていれば計測と予測が可能だからです。しかしその尺度が定性的、かつ自分の内側にあるものというのは、実は自覚的にならないと深く触れないまま一生を過ごしてしまうと思います。

今は共感の時代なので、このような自分の内側に向かい合うための消費は、個人としても貴重な機会だと感じています。言い換えれば、お金を使うことを物語として上手につむぐことのできるところに、人は集ってくるのだと思います。

これからは可処分時間がより増えて、生きていくこと自体のハードルは下がっていくので、「自分が何にときめくのか」を見つけられることは、人生にとってかけがえのないことになります。

そういった文脈で、寄付は非常に示唆深いお金の使い方なのだろうなと感心して、今年はそういう感覚的なアクションも増やしていきたいなと思いました。

きみにとってたった一つの救いは、自分自身を見出すことだろう。そしてやがて見出すはずの自分について先入観をきっぱりと捨てなければ、自分を見出すことはできない。出典:アート・スピリット

※アイキャッチのバナナは、アート作品で本物のバナナじゃないです。凄くないです?(これは買った絵ではないのですが)
※3/22 14:00:友人から良いfbもらったので、ちょっと加筆しました

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